第2章:接続される魂、選別される意識――SIDCOMネットワークという名の選別装置
前章において、我々は進化という現象が本質的に「差異の先鋭化」であり、「格差の生成」を伴う力学であることを、ダーウィンの自然淘汰説からリサ・セント=クロノスの「格差進化論」に至る思想史的パースペクティブの中で確認した。
そして、SID(Society-Integrated Device)、霊子、AI、遺伝子技術といった二〇六〇年代の基盤テクノロジー群が、この進化のベクトルを生物学的な領域から「意識」や「物語」の次元へと拡張し、かつてない規模と速度で人間という種を分断し、階層化している様を概観した。
これらのテクノロジーは、もはや単なる外部的な道具ではなく、我々の存在様態そのものに深く介入し、「人間とは何か」という根源的な定義すら揺るがしている。
その中でも、現代の「格差進化」を理解する上で、避けて通ることのできない核心的なテクノロジー・インフラが存在する。
それが、SIDを介して人間の脳と精神をグローバルな情報ネットワークに接続する、**SIDCOM(Society-Integrated Device Communication)**システムである。
この巨大なネットワークは、我々の思考、記憶、感情、そして意識そのものを、かつては想像もできなかったレベルで他者と共有・同期させ、知識の伝達効率を飛躍的に高め、新たな共感の形を生み出した。
それは、人類の知性と精神が新たな段階へと飛躍する可能性を秘めた、壮大な実験場と言えるかもしれない。
しかし、同時にSIDCOMは、その誕生から現在に至るまで、常に光と影の両面を併せ持つ、極めて両義的な存在であり続けてきた。
それは、接続された魂に無限の可能性の地平を拓くと同時に、その魂を精妙なアルゴリズムによって選別し、序列化し、そして見えざる力で管理・操作する、巨大な「選別装置」としての顔を持つからだ。
SIDCOMは、我々の社会に遍在し、空気や水のように不可欠なインフラとなりながら、その透明なインターフェースの裏側で、常に我々の適応度を問い、物語価値を査定し、そして静かに、しかし確実に、新たな階層構造を刻み込んでいる。
本章では、このSIDCOMネットワークという名の「選別装置」に焦点を当て、その歴史的発展、技術的特性、そしてそれが人間の意識、社会構造、そして「格差進化」の力学に与えてきた多岐にわたる影響を、批判的に検証していく。
我々は、SIDの開発史を辿り、初期の非侵襲型デバイスから、脳のより深層領域にアクセスする現行の生体侵襲型SIDに至る技術的変遷と、それに伴う倫理的・社会的問題の変容を追う。
また、SID-induced Psychosonic Syndrome (SIPS)――SID誘発性心音症候群――という悲劇的な副作用の発生や、二〇四八年の「大消去(The Great Erasure)」と呼ばれる社会的大混乱が、SIDCOM社会の形成にどのようなトラウマと教訓を刻んだのかを考察する。
そして最後に、SIDCOMへの「接続」が、いかにして新たな能力格差を生み出し、非接続者である「アンプラグド」を社会の周縁へと追いやっているのか、彼らがこの進化の潮流の中でどのような意味を持つのかを問いかける。
このSIDCOMという名の迷宮を探訪することは、我々自身の魂のありようと、この社会の深層構造を映し出す鏡を覗き込むことに他ならない。
そこには、接続されることの甘美な誘惑と、選別されることの冷厳な現実、そしてその狭間で揺れ動く人間の脆さと強靭さが、鮮やかに映し出されるだろう。
この旅を通じて、我々は、SIDCOMがもたらす「進化」の真の意味と、その代償として我々が何を失い、あるいは何を得ようとしているのかを、より深く理解することができるはずだ。
この巨大なネットワークは、まさに現代の「神」なのか、それとも「悪魔」なのか。
あるいは、その両方の顔を持つ、我々自身の創造物であり、そして我々を映し出す鏡なのかもしれない。
その答えを見出すためには、まず、SIDというテクノロジーが、どのようにして生まれ、我々の脳と精神をその網膜へと取り込んでいったのか、その歴史の暗がりから探求を始めなければならない。