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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第1章:進化は「分断」する――ダーウィンからセント=クロノス、そして「格差進化論」へ
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生物学的進化から「意識進化」「物語進化」へのパラダイムシフト。

ダーウィンが明らかにした生物学的進化のメカニズムは、数十億年にわたる生命の歴史を貫く根源的な力であり、その基本原理――変異、選択、遺伝――は、我々ホモ・サピエンスという種を含む、地球上のあらゆる生命のありようを規定してきた。

しかし、二〇世紀後半から二一世紀にかけての科学技術の爆発的な発展、特に本書で繰り返し論じてきたSID、霊子、AI、そして遺伝子技術の登場は、この進化のゲームのルールそのものを根本から書き換え、その舞台を生物学的な肉体と物理的環境という従来の領域から、人間の「意識」や「物語」といった、より抽象的で、しかし我々の存在にとって本質的な次元へと拡大させた。

我々は今、生物学的進化の長い歴史の上に、全く新しいレイヤーの進化――「意識進化」と「物語進化」とでも呼ぶべき、急速かつ不可逆的なパラダイムシフト――を経験しているのだ。


「意識進化」:SIDCOMネットワークという名の精神的生態系

伝統的な生物学的進化において、意識――特に自己意識や高度な認知能力――は、主に個体の生存と繁殖に有利な形質として、自然淘汰の結果、徐々に発達してきたと考えられている。

より複雑な環境を認識し、未来を予測し、他者と協調し、道具を使う能力は、初期人類にとって強力な生存戦略であった。

しかし、その進化は、あくまで個々の生物の脳という物理的な基盤に制約され、その情報処理能力や伝達速度には限界があった。


SIDの登場は、この制約を根底から覆した。

人間の脳を外部ネットワーク(SIDCOM)にダイレクトに接続し、他者の思考や感情とリアルタイムで情報を共有・同期することを可能にしたSIDは、個々の意識を、より広大な「集合的意識」あるいは「ネットワーク化された意識」の一部へと組み込んだ。

これは、あたかも単細胞生物が多細胞生物へと進化したように、あるいは個々の蟻がコロニーという超個体を形成するように、意識のあり方が質的に異なる新しいレベルへと移行する可能性を示唆している。


この「ネットワーク化された意識」の環境において、「適応的」とされるのは、どのような意識のあり方だろうか。

それは、大量の情報を効率的に処理し、多様な視点や知識を統合し、他者と円滑に共感し、そしてSIDCOMのプロトコルに最適化されたコミュニケーションを行う能力かもしれない。

高いSID親和性を持ち、マルチタスク処理に長け、膨大な情報の中から必要なものを瞬時に抽出し、AIアシスタントとシームレスに連携できる意識。

あるいは、他者の感情の波に乗りこなし、自らの感情を効果的に他者に伝播させ、SIDCOM上でポジティブな共感の連鎖を生み出すことのできる意識。

このような「接続的知性」や「共感的感受性」が、新たな「適応価」として評価され、個人の社会的成功や「物語スコア」を左右する。


一方で、旧世紀的な意味での「個」としての強い自律性や、内省的で孤独を好むような意識のあり方は、このネットワーク化された環境においては、むしろ「非適応的」あるいは「コミュニケーション不全」と見なされるかもしれない。

常に他者と接続され、思考や感情が流れ込んでくる中で、自己と他者の境界を明確に保ち、内なる声に耳を澄ますことは困難になる。

深い思索や、主流から外れた独創的なアイデアは、ネットワークのノイズとして平均化され、あるいは異端として排除されるリスクを伴う。

個人の記憶すらも、SIDCOM上の共有データベースや他者の改変可能な記憶と混淆し、その真正性や固有性が揺らぐ。


この「意識進化」は、リサ・セント=クロノスが「格差進化」の文脈で指摘したように、人間という種の中に新たな「意識の階層」を生み出しつつある。

SIDCOMネットワークへの適応度が高い者――いわば「進化した意識」の持ち主――は、情報と共感のフローを支配し、社会的な影響力を拡大していく。

一方で、適応度が低い者や、あえて接続を拒否するアンプラグドは、この新しい精神的生態系から疎外され、情報的・感情的な「弱者」として周縁化される。

そして、遺伝子編集によってSID親和性や特定の認知特性が「デザイン」されるようになれば、この意識の階層は、さらに固定化され、生物学的な基盤を持つものとなるだろう。


この「意識進化」の行き着く先は、まだ誰にも予測できない。

それは、個々の意識を超えた、より高次の「集合知」や「グローバル・ブレイン」の誕生へと至る道なのかもしれない。

あるいは、個人の主体性が希薄化し、アルゴリズムによって管理・操作される、魂なき「ネットワークド・マインド」のディストピアかもしれない。

確かなことは、我々の「意識」が、もはや脳という頭蓋骨の中に閉じたものではなく、テクノロジーによって拡張され、変容し、そして進化の新たな最前線となっているという事実だ。


「物語進化」:物語資本主義という名の文化的淘汰圧

人間は、ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)であると同時に、ホモ・ナラティヴス(物語るヒト)でもある。

我々は、世界を理解し、他者と関係を築き、自らの存在に意味を与えるために、絶えず物語を創造し、消費し、共有してきた。

宗教、神話、歴史、文学、そして日々のゴシップに至るまで、物語は人間社会の接着剤であり、文化の遺伝子ミームとして、世代を超えて価値観や知識を伝達する役割を担ってきた。


しかし、二〇六〇年代の「物語資本主義」は、この物語のあり方を根本から変容させた。

霊子技術によって個人の感情や共感が数値化(QSI、物語スコア)され、SIDCOMネットワークを通じて物語が瞬時に流通し、物語通貨という形で経済的価値を持つようになった結果、物語は単なる文化現象から、社会のあらゆる場面における競争と選択の対象、すなわち「進化的淘汰圧」そのものとなったのだ。


この「物語進化」の環境において、「適応的」とされるのは、どのような「物語」であり、どのような「物語る能力」だろうか。

それは、より多くの人々の「共感」を呼び起こし、強い感情的インパクトを与え、SIDCOMのアルゴリズムによって拡散されやすい物語。

そして、そのような物語を効率的に、かつ持続的に創造し、発信し、そして自らの「物語スコア」を最大化できる能力。

高いQSIを持ち、トレンドを敏感に察知し、感情的なフックを巧みに用い、AIと協調して魅力的なナラティブ・コンテンツを生成できる「ナラティブ・エリート」は、この新しい生態系における「適者」として繁栄する。

彼らが紡ぐ物語は、市場で高い価値を呼び、彼らに富と名声、そしてさらなる影響力をもたらす。


一方で、マイナーなテーマや難解な表現、あるいは既存の価値観に挑戦するような物語は、多くの共感を得られず、「物語スコア」も上がりにくいため、淘汰されるか、あるいはごく一部のニッチなコミュニティでのみ生き残る。

また、そもそも魅力的な物語を紡ぐ能力を持たない、あるいはそのような競争に関心のない「無物語層」は、物語の消費者としては重要だが、創造者としては周縁化され、その他大勢の中に埋没していく。

彼らの声や経験は、「スコアの低い物語」として、SIDCOMの情報の奔流の中で見過ごされやすい。


この「物語進化」は、文化の多様性にとって深刻な脅威となる可能性がある。

もし、特定のタイプの物語――例えば、単純明快で、感情的で、即座に共感を呼ぶような物語――ばかりが「選択」され、増殖していくならば、我々の文化は次第に均質化し、深みや複雑さを失ってしまうだろう。

旧世紀のメディア論が指摘したように、メッセージの伝達手段メディアそのものが、メッセージの内容を規定する。

SIDCOMという超高速・超広範囲の共感増幅装置は、どのような物語を「進化」させ、どのような物語を「絶滅」へと追いやるのだろうか。


さらに、AIによる物語生成技術の進展は、この「物語進化」の様相をさらに複雑にしている。

AIは、過去の膨大な物語データを学習し、人間の感情パターンを分析することで、特定のターゲット層に最適化された、極めて効果的な物語を自動生成することができる。

それは、人間の創造性を支援するツールとなる一方で、人間の物語創造能力そのものを代替し、あるいは人間をAIが生成する物語の受動的な消費者へと変えてしまう可能性も秘めている。

もし、最も「共感」を集め、最も高い「物語スコア」を獲得するのがAIによって生成された物語であるならば、人間の物語る意味とは、一体どこにあるのだろうか。


この「物語進化」の力学は、もはや個人の才能や努力といったレベルを超え、社会全体の価値観、集合的記憶、そして「真実」の定義そのものを形成し、変容させていく。

支配的なナラティブは、教育や情報環境を通じて我々の無意識に刷り込まれ、それが現実を認識するためのレンズとなる。

リサ・セント=クロノスは、かつて「現実とは、最も説得力のある物語に過ぎない」と喝破したが、現代の物語資本主義は、その「説得力」をめぐる競争を先鋭化させ、勝者の物語が現実を規定する力を、かつてなく強化している。


進化のパラダイムシフトと、残された問い

このように、SID、霊子、AI、遺伝子技術といった現代の基盤テクノロジーは、進化の舞台を生物学的な肉体から、人間の「意識」と「物語」の次元へと拡大させ、そこに新たな「変異」「選択」「遺伝」のメカニズムを導入した。

これは、単なる進化の加速ではなく、進化の「質」そのもののパラダイムシフトと言えるだろう。


生物学的進化が、DNAというデジタルコードと自然淘汰というアナログなプロセスによって、数百万年、数千万年という時間スケールで進行してきたのに対し、「意識進化」と「物語進化」は、SIDCOMというデジタルネットワークと、霊子やAIによって媒介される精神的・文化的相互作用によって、数年、数ヶ月、あるいは数日という、比較にならないほど短い時間スケールで進行する。

その変化の速度と範囲は、我々の適応能力の限界を試すものであり、しばしば社会的な混乱や倫理的なジレンマを引き起こす。


そして、この新しい進化のパラダイムは、我々にいくつかの根源的な問いを突きつける。


第一に、この「意識進化」と「物語進化」は、我々をどのような「人間」へと変えようとしているのか。

より接続され、より共感的で、より情報処理能力の高い「進化した人間」は、果たしてより幸福で、より自由で、より賢明な存在なのだろうか。

それとも、個性を失い、主体性を放棄し、システムによって管理される、ある種の「家畜化された人間」なのだろうか。


第二に、この新しい進化の方向性は、誰によって、どのように決定されているのか。

それは、個々人の自由な選択の総体なのか、それともSIDCOMのアルゴリズムや、ナラティブ・エリートたちの意図、あるいはテクノロジーそのものが持つ内在的な論理によって、見えざる形で誘導されているのだろうか。

そして、もし誘導されているとすれば、我々はその方向性に対して異議を申し立て、自らの手で未来を選択する余地を残されているのだろうか。


第三に、この進化のプロセスから「取り残される」あるいは「逸脱する」人々――アンプラグド、無物語層、あるいは旧世紀的な価値観に固執する人々――の運命はどうなるのか。

彼らは単なる進化の「敗者」として切り捨てられるべき存在なのか、それとも、彼らが持つ異質性や抵抗の中にこそ、進化の暴走を食い止め、人間性の多様性を守るための鍵が隠されているのだろうか。


そして最後に、この「格差進化」の果てに、人類はどのような未来を迎えるのか。

セント=クロノスが予見したように、我々は能力や意識において決定的に分断され、複数の「種」へと分岐していくのだろうか。

それとも、新たなテクノロジー倫理や社会システムを構築することで、この分断を乗り越え、より包摂的で、より人間的な進化の道筋を見出すことができるのだろうか。


これらの問いに答えるためには、まず、現代の「格差進化」を駆動する個別のテクノロジー――特に、我々の魂を選別し、意識をネットワーク化するSIDCOMシステム――の具体的なメカニズムと、それが我々の精神と社会に与える影響を、より深く掘り下げていく必要がある。


次の第2章では、まさにその核心である「接続される魂、選別される意識――SIDCOMネットワークという名の選別装置」と題し、この巨大な情報・意識インフラが、いかにして我々を新たな階層へと振り分け、そして我々の「人間であること」の意味そのものを問い直しているのかを、詳細に分析していく。

この旅は、我々自身の存在の根幹に触れる、困難だが避けては通れない知的探求となるだろう。


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