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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第1章:進化は「分断」する――ダーウィンからセント=クロノス、そして「格差進化論」へ
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「適者生存」の再解釈:進化は「平均化」ではなく「差異の先鋭化」である。

チャールズ・ダーウィンが一八五九年に発表した『種の起源』。

この書物が人類の思想に与えた衝撃は計り知れない。

それまでの静的で創造主によって設計されたと信じられていた生命の世界観を覆し、生命は絶え間ない変化のプロセスの中にあり、単純な形態から複雑な形態へと、時間をかけて「進化」してきたのだという、動的な自然観を提示したからだ。

そして、その進化の主要なメカニズムとして彼が提唱したのが、「自然淘汰(Natural Selection)」、あるいは後にハーバート・スペンサーが鋳造し、ダーウィン自身も採用したより有名な言葉で言えば「適者生存(Survival of the Fittest)」である。


しかし、この「適者生存」という言葉ほど、その真意が誤解され、あるいは意図的に曲解されてきたものも少ないだろう。

多くの人々は、これを文字通り「強いものが弱いものを打ち負かして生き残る」という、ある種の闘争的なイメージで捉えがちだ。

そして、このイメージは、社会ダーウィニズムのような思想と結びつき、人間社会における競争や格差を自然の摂理として正当化する論拠として利用されてきた。

だが、ダーウィンが本来意図した「適者」とは、必ずしも物理的な強者や、他者を圧倒する能力を持つ個体を意味するものではなかった。

むしろ、それは、与えられた環境条件に対して、より巧みに「適応」し、より多くの子孫を残すことができた個体を指す。

そして、その「適応」のあり方は、環境によって千差万別であり、ある環境では有利だった形質が、別の環境では不利になることもあり得る。


さらに重要なのは、自然淘汰が機能するための大前提として、ダーウィンが**「個体変異(Individual Variation)」**の存在を強調したことだ。

同じ種に属する個体間にも、形態、生理、行動において、わずかながらも無数の差異が存在する。

この「差異」がなければ、そもそも自然淘汰による「選択」は起こり得ない。

もしすべての個体が全く同一であれば、環境の変化に対して誰もが同じように反応し、有利不利の差は生まれないからだ。

つまり、進化の原動力は、種の「均質性」ではなく、むしろその内部に常に存在する「多様性」と「不均一性」なのである。


そして、ここからが本書の議論にとって決定的に重要なポイントだ。

自然淘汰は、この個体間に存在する無数の「差異」の中から、特定の環境において生存と繁殖に有利な「差異」を持つ個体を、そうでない個体よりも相対的に「選り好み」する。

その結果、有利な差異を持つ個体はより多くの子孫を残し、その「有利な差異」は世代を経るごとに集団内に広まっていく。

このプロセスを長期的に見れば、確かに種全体として環境への適応度が高まり、「進化」したように見える。

しかし、そのプロセスをミクロな視点、個体レベルの視点で見れば、それは常に**「選ばれて生き残る者」と「選ばれずに淘汰される者」、あるいは「より多くの子孫を残せる者」と「そうでない者」という「分断」**を伴う。

進化とは、決してすべての個体が手を取り合って同じ方向に進む「平均的な向上」のプロセスではなく、むしろ、種内に存在する「差異」が環境との相互作用によって選別され、特定の方向へと「先鋭化」していくプロセスなのである。


そして、この「差異の先鋭化」は、必然的に種内における**「格差」の発生と拡大**を意味する。

ある環境で有利な形質を持つ個体群は、そうでない個体群よりも多くの資源を獲得し、より安全な場所を確保し、より魅力的な配偶相手を得やすくなる。

その結果、彼らの生存率と繁殖成功率は高まり、その遺伝子は次世代へとより多く受け継がれる。

一方で、不利な形質を持つ個体群は、資源競争に敗れ、捕食リスクに晒され、繁殖の機会を逸しやすくなる。

その結果、彼らの遺伝子は相対的に淘汰され、集団内での割合を減らしていく。

これは、生物学的な意味での「成功」と「失敗」の格差であり、進化の過程において常に繰り返されてきたパターンなのだ。


例えば、キリンの首が長くなったという有名な進化の例を考えてみよう。

ダーウィンの説明によれば、かつてキリンの祖先の中には、首の長さに個体差があった。

そして、食物となる高い木の葉を食べる上で、わずかでも首の長い個体の方が有利だった。

旱魃などで低い場所の食物が枯渇した際には、その有利さは生存に直結しただろう。

結果として、首の長い個体は生き残りやすく、より多くの子孫を残し、その「首の長い」という形質が世代を超えて受け継がれ、徐々に首の長さが平均的に伸びていった。

これは、種全体としては環境への適応という「進化」だが、その過程では、常に「より首の長い(=適応的な)」キリンと、「より首の短い(=適応的でない)」キリンとの間に、生存と繁殖における「格差」が存在し、後者が淘汰されることで前者の形質が先鋭化していったのである。


この視点は、進化という現象を、単なる「種の改良」や「環境への調和」といった牧歌的なイメージから解放し、その内部に常に存在するダイナミックな「競争」と「選別」、そしてそれに伴う「格差生成」のメカニズムを露わにする。

すべての生物は、この進化の非情なゲームに参加しているのであり、そこでは常に「差異」が試され、「適性」が問われ、そして「結果」として格差が生まれるのだ。


二〇世紀に入り、メンデルの遺伝法則が再発見され、遺伝子の存在が明らかになると、ダーウィンの進化論は新たな展開を迎える。

突然変異によって遺伝子に生じるランダムな変化が、個体変異の源泉であることが理解され、集団遺伝学は、遺伝子の頻度変化という観点から進化を数学的に記述する道を開いた。

この「ネオ・ダーウィニズム」あるいは「総合説(Modern Synthesis)」と呼ばれるパラダイムは、進化が遺伝子レベルでの「差異」の蓄積と選択によって駆動されることを明確に示した。

個々の遺伝子や遺伝子の組み合わせ(遺伝子型)が、表現型(個体の具体的な形質)に影響を与え、その表現型が環境との相互作用の中で自然淘汰の対象となる。


この遺伝子中心の視点から見れば、「格差」はさらに根源的なレベルで進化に組み込まれていることがわかる。

突然変異はランダムに生じるため、ある個体には有利な変異が、別の個体には不利な変異が、あるいは中立的な変異が生じうる。

そして、それらの変異を持つ個体が、それぞれの環境で生存競争を繰り広げ、結果として特定の遺伝子型が次世代へとより多く伝えられていく。

つまり、遺伝子のレベルで既に「有利なカード」と「不利なカード」が存在し、それが個体の運命を左右し、集団内での遺伝的格差を生み出すのである。


リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で鮮やかに描いたように、我々個々の生物は、遺伝子が自らを複製し、次世代へと受け渡していくための「乗りビークル」に過ぎないのかもしれない。

そして、その乗り物の性能――生存能力や繁殖能力――の差が、遺伝子の視点から見た「成功」の格差となる。

この視座は、個体間の格差だけでなく、種間の競争や、さらには性淘汰(配偶者をめぐる競争)といった、より複雑な進化の様相を理解する上で強力な枠組みを提供する。


さて、ここまで述べてきた生物学的進化における「差異の先鋭化」と「格差生成」のメカニズムは、果たして現代の人間社会、特にSID、霊子、AI、遺伝子技術といった高度なテクノロジーによって変容しつつある我々の社会にも適用できるのだろうか。

一見すると、ダーウィンの時代の自然界と、二〇六五年の高度情報化社会とでは、あまりにも状況が異なりすぎているように思えるかもしれない。

我々はもはや、飢餓や捕食といった旧来の自然淘汰圧に直接晒されているわけではなく、むしろ自らの手で環境を積極的に改変し、さらには自らの生物学的限界すらも乗り越えようとしている。


しかし、私は、進化の基本的な力学――すなわち、**「変異(差異の発生)」「選択(環境による選別)」「遺伝(形質の継承)」という三つの要素が揃えば、それは生物学的領域に限らず、あらゆる複雑系において「進化」と呼びうるプロセスが進行し、そしてそこには必然的に「差異の先鋭化」と「格差の生成」が伴うと主張したい。

そして、現代の基盤テクノロジーは、まさにこの三つの要素を、人間社会においてかつてない規模と速度で増幅・加速させているのである。


例えば、「変異」について考えてみよう。

生物学的な突然変異は、基本的にはランダムで低頻度にしか起こらない。

しかし、現代のテクノロジーは、人間の能力や意識における「差異」を、より意図的に、より多様に、より高頻度に生み出すことを可能にしている。

SIDは、個人の認知能力や情報処理スタイルに新たな「変異」をもたらし、接続者プラグドとアンプラグドという質的な差異を生み出した。

霊子技術は、QSIという新たな指標で人々の共感力や物語創出力の「差異」を可視化し、序列化した。

AIは、人間の知的能力を拡張し、AIと協調できる人間とそうでない人間の間に新たな「差異」を生み出しつつある。

そして、遺伝子編集技術は、文字通り人間の設計図に直接介入し、これまで自然には存在しえなかったような「有利な変異」を意図的に作り出すことを可能にしている。

これらのテクノロジーが生み出す「差異」は、もはや生物学的なランダム性に委ねられるのではなく、ある程度「設計」されうるものとなり、その多様性と振れ幅は飛躍的に増大している。


次に、「選択」のメカニズムだ。

自然界における選択圧は、主に生存と繁殖に関わるものであった。

しかし、現代社会における「選択」は、より複雑で多岐にわたる。

物語資本主義においては、個人の「物語価値」が市場で評価され、「共感」の多寡がその人物の社会的成功を左右する。

高いQSIを持つ者、魅力的なナラティブを創造できる者は「選択」され、富と名声を得る。

企業や組織においては、AIによるポテンシャル評価が、採用や昇進の基準となり、特定のスキルセットや思考様式を持つ者が「選択」される。

教育においては、SIDを用いた学習適性や情報処理能力の高い者が「選択」され、より高度な知識や機会へのアクセスを得る。

そして、恋愛や結婚といった人間関係においてすら、遺伝的プロファイルや予測される子孫の能力といった要素が、「選択」の基準として影響力を増している。

これらの「選択圧」は、旧世紀のそれとは比較にならないほど効率的で、網羅的で、そして時に冷酷だ。

そして、それらは常に特定の「差異」を有利とし、別の「差異」を不利とすることで、社会内に新たな序列と階層を形成していく。


最後に、「遺伝(継承)」のプロセスだ。

生物学的な遺伝は、両親から子へとDNAが受け継がれることで起こる。

しかし、現代においては、この「継承」のあり方もまた変容しつつある。

遺伝子編集によって獲得された「有利な形質」は、文字通り次世代へと遺伝的に継承されうる。

また、高い物語価値や社会的地位を持つ親は、その物語資本や人脈、そして教育環境といった形で、子に「文化的な遺伝」とも呼ぶべきアドバンテージを継承させることができる。

SIDCOMネットワークを通じて共有される知識やスキル、価値観もまた、一種の「情報的遺伝」として、世代を超えて、あるいは社会全体に急速に伝播し、定着していく。

このように、「継承」のチャネルは多様化し、そのスピードも加速している。

そして、それは有利な「差異」を持つ者が、そのアドバンテージをより確実かつ効率的に次世代や他者へと伝達し、格差を再生産・固定化するメカニズムを強化している。


このように見てくると、現代の人間社会は、ダーウィンが描いた自然界とは異なる装いを纏いながらも、その根底においては同様の進化の力学――絶え間ない「差異」の発生、環境による「選択」、そして形質の「継承」――によって駆動されており、そしてそれが必然的に「差異の先鋭化」と「格差の生成」をもたらしていることが理解できるだろう。

かつての自然淘汰が、生物種を環境に適応させ、多様な生態学的ニッチへと分化させていったように、現代のテクノロジーによって加速された「社会文化的淘汰」あるいは「テクノ進化的淘汰」とでも呼ぶべき力は、人間という種を、能力、意識、そして価値観において、急速に多様なサブグループへと分化させ、それぞれに異なる「進化的ニッチ」を割り当てようとしているのかもしれない。


そして、もしこの見立てが正しいとすれば、「平等」という理想は、進化の持つ本源的な「分断」の力学と、テクノロジーによるその加速作用に対して、あまりにも無力であるように思える。

むしろ、進化のベクトルは、常に「平均化」ではなく「差異の先鋭化」を志向するのであり、その結果として生じる格差は、ある意味で進化の必然的な帰結、あるいはエンジンそのものなのかもしれない。


この認識は、我々にとって決して心地よいものではないだろう。

それは、旧世紀から受け継いできた人間中心主義的な価値観や、平等で公正な社会への希望を根底から揺るがすものだからだ。

しかし、この厳しい現実を直視することなしに、我々が直面している課題の本質を理解し、未来への処方箋を描くことはできない。


次のセクションでは、この「進化=差異の先鋭化」という基本的な視座を踏まえ、具体的にSID、霊子、AI、そして遺伝子技術という個別のテクノロジーが、それぞれどのようにして人間の「差異」を増幅し、特定の方向へと「先鋭化」させ、そしてその結果としてどのような「格差」の構造を生み出しているのかを、より詳細に分析していく。

そこでは、これらのテクノロジーが単に既存の格差を拡大するだけでなく、全く新しい次元の格差、すなわち「人間存在の定義」そのものに関わる根源的な格差を生み出しつつある様が、より鮮明に浮かび上がってくるはずだ。


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