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我々はなぜ「進化=格差」の現実から目を逸らしてきたのか?

これらの問いこそが、本書『格差進化論』を貫く最も根源的で、かつ読者諸氏と共に深く掘り下げていきたい核心的な課題である。

なぜ、我々は、SIDCOMネットワークが織りなす快適な日常と、霊子技術が生み出す共感の絆、AIが提供する最適化された生活、そして遺伝子編集が約束する「より良い未来」という、一見すると輝かしい進歩の光景の裏側で、静かに、しかし確実に進行し、固定化されつつある「進化=格差」という冷厳な現実から、これほどまでに巧みに、あるいは無意識のうちに目を逸らし続けてきたのだろうか。


その理由は、決して単一ではなく、我々の心理の深層、社会システムの構造、そして何よりも、現代を規定する基盤テクノロジー群――SID、霊子、AI、遺伝子技術――が「人間存在の定義」そのものを根底から揺るがし、変容させてきたことと複雑に絡み合っている。

以下に、いくつかの主要な要因を考察し、それが本書全体の議論へとどのようにつながっていくのかを示したい。


第一に、進歩史観という名の甘美な麻薬である。

旧世紀から現代に至るまで、科学技術の発展は、常に人類社会に「進歩」と「より良い生活」をもたらすという、ある種の楽観的な物語ナラティブによって語られてきた。

SIDはコミュニケーションの壁を取り払い、知的能力を拡張した。

霊子技術は他者との深い共感を可能にし、精神的な豊かさをもたらすとされた。

AIは煩雑な労働から人間を解放し、創造的な活動に専念できる時間を生み出すと期待された。

遺伝子編集は、かつては不治とされた病を克服し、人間の潜在能力を最大限に引き出す夢の技術とされた。

これらの個々の技術革新は、それ自体が持つ圧倒的な利便性と魅力によって、我々に抗いがたい恩恵をもたらした。

そして、それらの恩恵を享受する中で、我々は知らず知らずのうちに、「テクノロジーの進化は常に善であり、その過程で生じる多少の犠牲や不均衡は、より大きな善のためには許容されるべきコストである」という思考の罠に陥っていった。


進化とは、本質的に前進であり、向上であるという無意識のバイアス。

この進歩史観は、SIDCOMのアルゴリズムやメディアを通じて絶えず強化され、我々の世界認識の基盤となっている。

この強力な物語の前では、「格差の拡大」や「人間性の変容」といったネガティブな側面は、進歩の過程で生じる些末な副作用、あるいは未来においていずれ解決されるべき一時的な問題として矮小化されやすい。

そして、このシステムによって利益を得ている層――高いQSIを持つナラティブ・エリートや、遺伝的に強化されたポストジェネティック世代、そしてこれらのテクノロジーを開発・提供する巨大複合企業――は、この進歩の物語を積極的に補強し、格差の現実を覆い隠す役割を果たしてきた。

彼らにとって、「進化=格差」は自然淘汰の現代的発露であり、社会全体の効率性とダイナミズムを促進する健全なメカニズムとさえ映るのだ。


第二に、格差の不可視性と日常への埋没である。

前述の通り、現代の格差は、旧世紀の経済格差のように単純な物質的指標で測れるものではない。

QSI、SID処理能力、物語創出力、遺伝的ポテンシャルといった格差の根源は、高度な専門知識や精密なスキャニングなしには「見えにくい」。

そして、我々の日常は、SIDCOMによって巧妙にパーソナライズされた情報環境フィルターバブルの中にあり、自分と異なる階層の人々の生活や苦悩に触れる機会は極めて少ない。

アルゴリズムは、我々が心地よいと感じる情報、我々の既存の価値観を肯定する情報を優先的に提示し、不都合な真実や社会の歪みから我々の目を逸らさせる。


朝目覚めてから眠りにつくまで、我々はSIDCOMを通じて流れ込む膨大な情報と他者の思念に晒され、自らの「物語スコア」の維持・向上に腐心し、AIアシスタントが提案する最適化された行動を無意識に選択している。

このような日常の中で、社会全体の構造的な格差や、その中で自分がどのような位置にあるのかを客観的に把握し、批判的に考察するための精神的余裕と時間的余裕は、意図的に作り出さない限り、容易には得られない。

格差は、個人の努力不足や運不運の問題として矮小化され、社会システム全体の問題として認識されることは稀だ。

むしろ、格差はエンターテイメントとして消費されることさえある。

高QSI者の華やかな成功物語や、逆に無物語層の悲惨な転落劇は、SIDCOM上で人気のナラティブ・コンテンツとなり、我々はそれを一時的な感情の起伏と共に消費し、そしてすぐに忘れてしまう。

このようにして、格差の現実は日常の情報の海の中に希釈され、その深刻さと構造性は見えにくくなっている。


第三に、「人間存在の変容」という根源的な変化に対する認知的不協和と適応戦略である。

SID、霊子、AI、遺伝子技術は、単に社会の外部環境を変えただけでなく、我々の「内面」――思考様式、感情のあり方、自己認識、そして他者との関係性――そのものを根本から変容させた。

我々の意識はSIDCOMを通じて他者と接続され、「個」の境界は曖昧になった。

感情は霊子技術によって操作可能な対象となり、物語は通貨となった。

AIは人間の知的作業の多くを代替し、「考える」ということの意味すら問い直されている。

そして遺伝子技術は、生命の設計図に手を加え、「人間とは何か」という定義そのものを揺るがしている。


これらの変化はあまりにも急激で、あまりにも根源的であるため、我々の旧世紀的な人間観や倫理観では容易に処理しきれない。

この認知的な負荷に対し、我々はしばしば、無意識の防衛機制として「目を逸らす」ことを選択する。

人間がサイボーグ化し、意識がネットワーク化し、生命がデザインされるという現実は、我々の存在の基盤を揺るがす不安と恐怖を喚起する。

その不安から逃れるために、我々はテクノロジーの利便性や快楽の側面のみに焦点を当て、その深層で進行している人間性の変容については思考停止に陥る。

あるいは、積極的にこの新しい環境に適応し、自らもその変容の波に乗り、「新しい人間」へと進化していくことを選ぶ。

その過程で、旧い価値観や、それに固執する人々は「時代遅れ」として切り捨てられる。


この適応戦略は、個人の生存という観点からは合理的かもしれない。

しかし、それは同時に、我々が何者であったのか、そして何者になろうとしているのかという問いを放棄することでもある。

もし、我々が自らの人間性の変容に対して無自覚・無批判であるならば、それはもはや「進化」ではなく、単なる「漂流」あるいは「解体」でしかない。

そして、その過程で生まれる格差は、もはや「人間間の格差」ですらなく、「人間と、かつて人間であった何か、あるいは人間を超える何かとの間の、存在論的な断絶」となってしまうだろう。


第四に、ネオ・ダーウィニズムと市場原理のイデオロギー的結合である。

現代の「格差進化論」を支える強力なイデオロギーの一つに、ダーウィンの進化論を社会経済システムに応用しようとする、ある種のネオ・ダーウィニズム的思考がある。

それは、「適者生存」の原理が市場経済においても貫徹されるべきであり、競争こそが進歩と革新の源泉であるという信念だ。

この思想の下では、SID親和性、QSI、物語創出力といった新たな「能力」における差異は、自然な競争の結果として生じるものであり、それによって社会的資源が効率的に配分され、優れた「物語」が社会全体に共有されることは、むしろ望ましいこととされる。


物語資本主義は、このイデオロギーを経済システムとして具現化したものだ。

個人の「物語価値」が市場で評価され、物語通貨として流通する。

より多くの共感を集める物語を創造できる者が富と名声を得る。

これは一見、能力主義的で公正なシステムのように見える。

しかし、その「共感」の基準や「価値」の尺度は、SIDCOMのアルゴリズムや、ナラティブ・エリートたちが形成する支配的な言説空間によって、知らず知らずのうちに操作されている可能性を我々は常に疑う必要がある。

そして、AIによるポテンシャル評価や遺伝子編集による能力の事前設計は、この「競争」のスタートラインそのものを、生まれた瞬間から不平等なものにしている。


市場原理は効率的な資源配分メカニズムかもしれないが、それは決して万能ではなく、倫理的な価値判断や、長期的な視点、そして弱者への配慮を欠くことが多い。

もし、人間社会の進化が、市場における短期的な「物語スコア」の最大化競争のみによって駆動されるならば、その先に待っているのは、一部の勝者と大多数の敗者を生み出す、過酷で不安定な世界だろう。

そして、その中で見過ごされるのは、市場価値には還元できない人間の尊厳や、文化の多様性、そして持続可能な社会のあり方といった、より根源的な価値である。


第五に、「大消去(The Great Erasure)」のトラウマと、安定への希求である。

二〇四〇年代後半、特に二〇四八年にピークを迎えたアメリカ内戦の激化と、それに続く「大消去」と呼ばれるネオ・フェデラリスト急進派の粛清は、SIDCOM社会に深いトラウマを刻み込んだ。

旧世紀的なイデオロギー対立と、テクノロジーの暴走が結びついた結果として生じた混乱と破壊は、多くの人々に、強力な管理と安定を求める心理を植え付けた。

ICA(国際制御局)を中心とする国際的な統治機構は、SIDCOMネットワークの安定化と、霊子技術の倫理的コントロールを最優先課題とし、その過程で、個人の自由やプライバシーよりも、社会全体の秩序と調和を優先する傾向を強めてきた。


このような歴史的背景の中で、社会システムに対する根本的な疑義や、格差構造に対する批判は、社会の安定を脅かす危険思想として扱われやすい。

多くの人々は、かつての混乱の時代への逆戻りを恐れ、現状のシステムが提供する(たとえそれが表面的であったとしても)平和と繁栄を受け入れ、その下で進行する格差には目をつぶることを選ぶ。

これは、ある種の「事後処理的合理化」であり、トラウマを乗り越えるための一つの社会的適応と言えるかもしれない。

しかし、その安定が、声なき人々の犠牲と、人間性の多様性の抑圧の上に成り立っているとしたら、それは真の安定と言えるだろうか。


これら五つの要因――進歩史観という麻薬、格差の不可視化、人間存在の変容への認知的不協和、ネオ・ダーウィニズムと市場原理の結合、そして大消去のトラウマ――は、相互に影響し合いながら、我々が「進化=格差」の現実から目を逸らすための強力な心理的・社会的構造を形成している。


しかし、この構造を認識し、そのメカニズムを理解することこそが、我々がこの現実と対峙し、主体的な未来を切り開くための第一歩となる。

本書は、まさにそのための知的武装を提供することを目的としている。

次の第一章からは、進化論の原点に立ち返り、ダーウィンからリサ・セント=クロノスに至る思想史的な流れの中で、「格差進化」という概念がどのように形成され、そしてそれが我々の現代社会にいかなる意味を持つのかを、より具体的に、そして多角的に掘り下げていく。


我々が目を逸らしてきた現実は、確かに厳しい。

しかし、その現実の中にこそ、未来への可能性の種もまた眠っている。

その種を見つけ出し、育むためには、まず、我々が立っているこの「格差進化」の土壌を、徹底的に分析し理解する必要があるのだ。


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