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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第6章:進化の特異点――心霊ハッカー、シャドウSID、そして裏側の“異能者”たち
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(特論)真菌ナノマシンと非公式能力拡張:規制を逃れた進化の実験場。

SID、霊子、AI、そして遺伝子編集――これらの基盤テクノロジーは、確かに人間の能力と存在様態を根底から変容させ、「格差進化」という新たな社会の力学を生み出した。

しかし、これらのテクノロジーは、その開発、普及、そして応用において、常にICA(国際制御局)を中心とする公的な管理機関や、SIDCOMコーポレーションのような巨大テクノロジー企業の厳格なコントロール下に置かれてきた(あるいは、少なくともそのように企図されてきた)。

倫理規定、安全基準、そして社会的な合意形成といった「公的な枠組み」が、その進化の速度と方向性をある程度規定し、暴走を防ぐためのブレーキとして機能してきた側面は否定できない。


だが、人間の探求心と、自らの限界を超えたいという根源的な欲望は、しばしばそのような「公的な枠組み」の制約を軽々と飛び越えてしまう。

特に、SIDCOM社会の階層化が進み、正規の手段では望むような能力や社会的地位を得られないと感じる人々や、あるいは既存の進化の方向性そのものに疑問を抱き、全く新しい生命のあり方を模索しようとする先鋭的な思想家や技術者たちにとって、公的なテクノロジーとその応用は、あまりにも遅く、あまりにも画一的で、そしてあまりにも「飼い慣らされすぎている」と映る。

彼らは、規制の網の目をかいくぐり、あるいは社会のアンダーグラウンドで、非公式かつしばしば非合法な手段を用いて、自らの肉体と精神を「拡張オーグメント」し、独自の進化の道を切り拓こうとする。

彼らこそが、本書で「裏側の進化者(Underground Augmentee)」と呼ぶ存在であり、現代の「格差進化」の最も予測不可能で、かつ最も危険なフロンティアを体現している。


裏側の進化者たちが用いる能力拡張技術は多岐にわたるが、その中でも近年、特に注目と警戒を集めているのが、「真菌ナノマシン(Fungal Nanomachine, FNM)」あるいは隠語で「菌糸体インタフェース(Mycelial Interface)」と呼ばれる、バイオテクノロジーとナノテクノロジーを融合させた特異な技術である。


この技術の基本的なアイデアは、遺伝子操作によって特殊な機能を付与された真菌(カビや酵母の一種)の胞子を、極微小なナノマシン(自己組織化する分子機械)と結合させ、それを生体に導入するというものである。

導入された真菌ナノマシンは、体内で増殖し、神経系や循環器系、あるいは脳の特定領域に菌糸体のようなネットワークを張り巡らせ、宿主の生体機能や精神活動に直接的かつ持続的な影響を与える。

それは、従来のSIDのような外部デバイスの埋め込みとは異なり、生命そのもののシステムとより深く、より有機的に融合し、宿主を文字通り「ハイブリッド生命体」へと変容させる可能性を秘めている。


真菌ナノマシンの研究は、元々は難治性の神経疾患の治療や、極限環境における人間の生存能力向上といった、公的な目的で開始されたという説もある。

しかし、そのあまりにも高いリスク(例えば、制御不能な増殖、宿主の免疫系への深刻な影響、あるいは精神汚染の可能性)と、倫理的な問題(生命の定義そのものを揺るがす)から、早い段階でICAによって開発・利用が厳しく禁止された。

にもかかわらず、その技術情報の一部はアンダーグラウンドに流出し、一部の非合法なバイオハッカーや、「進化の加速」を標榜するカルト的な集団によって、密かに研究と実験が続けられてきた。


彼らが真菌ナノマシンに求める機能は、公的なSIDや遺伝子編集技術が提供する能力拡張とは、しばしば質的に異なる、よりラディカルで、より異質なものである。


例えば、超感覚知覚(Extrasensory Perception, ESP)の獲得。

特定の真菌ナノマシンは、宿主の感覚器官を拡張し、通常では知覚できない電磁波スペクトル(例えば、赤外線や紫外線、あるいは脳波)を「見る」能力や、微細な音響振動や化学物質の濃度変化を「感じる」能力、さらには他者の霊子フィールドや感情エネルギーを直接的に「読み取る」といった、動物的な、あるいは超人的な感覚をもたらすとされる。

これは、SIDが提供する情報的な知覚拡張とは異なり、より身体的で、直感的な世界の捉え方を可能にする。


また、身体変容(Metamorphosis)と環境適応能力の強化も、真菌ナノマシンの主要な応用分野の一つである。

ある種のFNMは、宿主の代謝プロセスを改変し、極端な低酸素状態や高放射線環境、あるいは有毒な大気中でも生存できるようにしたり、皮膚や筋肉組織を強化して物理的な耐久力を高めたり、さらには体表に保護的な外皮や擬態能力のある色彩パターンを形成させるといった、SF的な身体変容を引き起こすという。

これは、遺伝子編集によるエンハンスメントが、あくまで人間の生物学的枠組みの中での「最適化」を目指すのに対し、FNMは人間をより異質な生命形態へと「トランスフォーム」させることを志向している点で根本的に異なる。


そして、最も注目され、かつ最も危険視されているのが、集合意識(Collective Consciousness)あるいは菌糸体ネットワーク(Mycelial Network)への精神接続である。

一部の高度なFNMは、複数の宿主の脳神経系に菌糸体ネットワークを形成し、それらを介して思考や感情、記憶、さらには自我の一部までもを共有・同期させる、一種の「生物学的SIDCOM」を構築するとされる。

これは、SIDCOMのようなデジタルな情報共有とは異なり、より直接的で、より有機的で、そしておそらくはより不可逆的な精神の融合をもたらす。

この菌糸体ネットワークに接続された個体は、個としての境界を失い、コロニー全体が一つの超個体的な意識として機能するようになると言われている。

その意識は、我々個人主義的な旧人類のそれとは全く異なる原理で世界を認識し、意思決定を行うのかもしれない。


これらの真菌ナノマシンによる能力拡張の試みは、その多くがアンダーグラウンドなコミュニティや、インターネットの深層ウェブ(いわゆる「菌糸界(Myco-Sphere)」と呼ばれる領域)で、断片的な情報や噂として語られるに過ぎず、その実態や成功率は定かではない。

しかし、時折、FNMの実験によって重篤な副作用(例えば、肉体の奇形化、精神崩壊、あるいは制御不能な真菌汚染)を引き起こしたと思われる症例や、FNMによって特異な能力を発現させたと主張する個人が、アンダーグラウンドなメディアに登場することがある。

彼らは、自らを「新人類(Neo-Sapiens)」あるいは「菌類の子(Children of the Fungus)」などと称し、既存の人類社会の価値観や倫理観を否定し、生命の新たな進化の可能性を過激な言葉で語る。


これらの「裏側の進化者」たちの思想的背景には、しばしば、現代のテクノロジー社会や管理体制に対する強い不信感と、人間中心主義的な世界観へのラディカルな批判が見られる。

彼らは、SIDCOMやICAが推進する「公的な進化」の方向性――すなわち、より効率的で、より管理的で、より均質的な人間――を、生命の多様性と自由を奪う「家畜化」あるいは「去勢」とみなし、それに対抗するために、より混沌として、より予測不可能で、そしてより「野生」に近い進化の道を模索する。

真菌という、地球上で最も古く、最も多様で、そして最も強靭な生命形態の一つと融合することで、彼らは人間の限界を超え、新たな生命の可能性を切り拓こうとしているのだ。


この思想は、旧世紀のトランスヒューマニズムの一部――特に、人間の生物学的形態からの完全な解放を目指す「ポストジェンダー主義」や「アニマル・ライツの拡張としての自己動物化」といった、より過激な潮流――とも共振する部分がある。

しかし、FNMを用いる裏側の進化者たちは、シリコンベースのデジタルなテクノロジーによって「精神をアップロードする」といった旧来のトランスヒューマニスト的な構想よりも、むしろ、カーボンベースの有機的な生命システムと「融合」し、「変容」するという、より生態学的で、ある意味ではアニミズム的な世界観に親和性を持つように見える。

彼らにとって、真菌は単なる道具ではなく、むしろ共生し、進化を共にするパートナーであり、その菌糸体ネットワークは、地球全体の生命と意識を繋ぐ、根源的な「ガイア意識」へのアクセスポイントとなりうるとさえ考えられている。


もちろん、これらの真菌ナノマシンをめぐる言説や実践は、その多くが科学的根拠に乏しく、誇張や虚偽、あるいは単なるカルト的な妄想に過ぎない可能性も高い。

そして、その非合法な実験がもたらす医学的・生態学的なリスクは計り知れず、もし制御不能なFNMが環境中に拡散するようなことがあれば、それはバイオハザードとして人類全体の生存を脅かす大惨事を引き起こしかねない。

ICAや各国の法執行機関は、これらのアンダーグラウンドなFNM研究・利用に対し、厳重な警戒と取締りを行っているが、その活動は極めて秘匿性が高く、全貌を把握することは困難である。


しかし、この特異な現象を、単なる一部の過激分子による逸脱行動として片付けてしまうことは、我々が直面している「格差進化」の本質を見誤ることに繋がるかもしれない。

なぜなら、真菌ナノマシンという、一見すると奇矯でグロテスクなテクノロジーの中に、実は、現代社会が抱えるいくつかの根源的な問いと、それに対するラディカルな応答の萌芽が隠されているからだ。


それは、例えば、生命と非生命、自然と人工の境界線はどこにあるのかという問いである。

遺伝子操作された真菌とナノマシンが融合し、人間の肉体と精神を変容させるという現実は、我々が自明としてきたこれらの二項対立を無効化し、より流動的でハイブリッドな生命のあり方を提示する。


また、進化の主体は誰か、そしてその方向性は誰が決めるのかという問い。

公的な管理体制下で進められる「トップダウン型の進化」に対し、裏側の進化者たちは、より分散的で、ボトムアップ型で、そして予測不可能な「アナーキーな進化」の可能性を追求する。


そして何よりも、人間とは何か、そして人間であることの限界はどこにあるのかという、最も根源的な問い。

彼らは、既存の「人間」というカテゴリーに囚われることなく、自らの肉体と精神をラディカルに変容させることで、人間を超える、あるいは人間とは異なる新たな存在へと「脱皮」しようとしている。


これらの問いは、必ずしも真菌ナノマシンという特定のテクノロジーに限定されるものではない。

それは、SID、霊子、AI、そして正規の遺伝子編集技術といった、我々が日常的に利用し、その恩恵を受けているテクノロジーに対しても、形を変えて投げかけられうるものだ。

我々は、これらのテクノロジーによって、知らず知らずのうちに、生命と非生命の境界を曖昧にし、進化の方向性を特定の力によって誘導され、そして「人間であること」の意味を問い直されているのではないだろうか。


裏側の進化者たちの試みは、極めて危険で、倫理的に許容しがたい側面を多く含んでいる。

しかし、彼らが、その歪んだ形ではあれ、現代の「格差進化」のシステムに対する最も先鋭的な批判者であり、そして最もラディカルな実験者であるという事実は、我々が見過ごしてはならない重要な示唆を与えてくれる。

彼らは、システムの「バグ」として排除されるべき存在なのか、それとも、我々自身の未来の可能性(あるいは悪夢)を先取りする、制御不能な「進化の加速装置」なのか。


この問いに答えることは、この書物の最終的な結論へと我々を導くだろう。


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