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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第6章:進化の特異点――心霊ハッカー、シャドウSID、そして裏側の“異能者”たち
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霊子技術のオルタナティブな応用:記憶改竄、意識ハック、物語密売。

霊子クアノンの発見と、それが人間の精神エネルギーを可視化し、ある程度操作可能であることを示した二〇三八年のブレークスルーは、第3章で詳述したように、「物語資本主義」という新たな社会経済システムを誕生させた。

個人の体験、感情、記憶から紡ぎ出される「物語」が、SIDCOMネットワークを通じて流通し、「共感」の量に応じて「物語スコア」として評価され、「物語通貨」という形で経済的価値を持つようになった。

この公的なシステムは、一見すると、人間の内面的な豊かさや創造性を称揚し、誰もが「物語る」ことで価値を生み出せるユートピア的な可能性を秘めているかのように見える。

ICA(国際制御局)やSIDCOMコーポレーションは、霊子技術の応用を、個人の精神的ウェルビーイングの向上、教育やカウンセリングの質の改善、そしてより共感的で調和のとれた社会の実現といった、ポジティブな側面に限定しようと努めてきた。


しかし、いかなる強力なテクノロジーも、その開発者の意図や公的な規制の枠組みを超えて、オルタナティブな、そしてしばしばダークな形で利用される可能性を常に孕んでいる。

霊子技術もまた、その例外ではなかった。

人間の魂の最も深層に触れ、感情や記憶、そして意識そのものに影響を与えうるこの技術は、SIDCOMネットワークの「影」の領域で活動する心霊ハッカーや、倫理の枷を持たない非合法組織、あるいは自らの欲望や野心のために手段を選ばない個人にとって、まさに究極の「力」の源泉となりえたのだ。

彼らは、公式には存在しない、あるいは厳しく禁じられている霊子技術の応用方法を密かに開発・利用し、人間の精神を新たな戦場へと変容させていった。


その中でも、最も深刻かつ倫理的に問題視されているのが、**記憶改竄(Memory Alteration)**である。

人間の記憶は、自己同一性アイデンティティの根幹をなし、我々が誰であり、何を経験し、何を信じているのかを規定する、極めて重要な精神機能だ。

SIDと霊子技術の組み合わせは、理論的には、特定の記憶痕跡エングラムに対応する脳内の神経回路パターンと霊子活動パターンを特定し、それに外部から干渉することで、記憶を消去したり、内容を書き換えたり、あるいは偽の記憶を植え付けたりすることを可能にする。


公式には、この技術は、SIPSの治療過程で生じたトラウマ記憶の緩和や、犯罪捜査における目撃証言の信頼性向上といった、極めて限定的かつ厳格な管理下でのみ利用が許可されている。

しかし、アンダーグラウンドでは、より広範かつ悪質な目的で記憶改竄技術が利用されているという噂が絶えない。

例えば、特定の個人に不都合な記憶を消去し、過去の行為を隠蔽する。

あるいは、競争相手の記憶を混乱させ、その能力を低下させる。

さらには、洗脳やマインドコントロールの手段として、特定の思想や感情を記憶と共に植え付け、個人の自由意志を奪う。

これらの行為は、人間の魂に対する最も深刻な侵害であり、一度改竄された記憶は、当人でさえその真偽を区別することが困難になるため、その被害は計り知れない。


心霊ハッカーの中には、「メモリー・スカルプター(記憶彫刻家)」あるいは「ドリーム・ウィーバー(夢紡ぎ人)」などと自称し、高額な報酬と引き換えに、顧客の望む記憶を「創造」したり、不快な記憶を「編集」したりする者もいるという。

彼らは、SIDCOMのセキュリティを掻い潜り、対象者のSIDに侵入し、その深層意識にアクセスして、まるで脳内の映画監督のように記憶のシナリオを書き換える。

それは、ある種の究極の「パーソナル・ナラティブ・デザイン」かもしれないが、同時に、個人の歴史と自己認識の根幹を揺るがす、極めて危険な行為である。

もし、我々の記憶が、他者によって自由に編集可能なデータに過ぎなくなるとすれば、「私」という存在の連続性や固有性は、一体どこに担保されるのだろうか。


次に、**意識ハック(Consciousness Hacking)**と呼ばれる、より広範な精神操作技術がある。

これは、記憶改竄ほど直接的ではないものの、霊子エネルギーの微細なパターンを操作したり、SIDを通じて特定の感覚情報やサブリミナルなメッセージを送り込んだりすることで、個人の感情、気分、思考様式、あるいは意思決定に影響を与えようとする試みである。


例えば、特定の周波数の霊子波を放射することで、ターゲットとなる集団の気分を高揚させたり、逆に不安や恐怖を煽ったりする。

あるいは、SIDCOMネットワーク上で流通する情報コンテンツに、人間の意識下でしか知覚できないような微細な霊子シグナルを埋め込み、特定の製品への購買意欲を高めたり、特定の政治思想への共感を誘導したりする。

これらの技術は、旧世紀のサブリミナル広告やプロパガンダの手法を、霊子とSIDという新たなテクノロジーによって、より強力かつ不可視なものへと進化させたものと言える。


意識ハックのより高度な形態としては、「感情汚染(Emotional Contagion)」や「ミーム兵器(Memetic Weapon)」といったものが存在する。

感情汚染は、特定の強烈な感情(例えば、パニック、憎悪、あるいは逆に熱狂的な陶酔感)をエンコードした霊子パターンを、SIDCOMネットワークを通じて急速に拡散させ、多数の人々の感情を同期的に「感染」させる技術である。

これは、SIPSの発生メカニズムと表裏一体であり、集団ヒステリーや社会不安を意図的に引き起こすために利用される危険性がある。

ミーム兵器は、特定の思想や信念ミームを、極めて感染力の高い物語やイメージの形にパッケージ化し、それを霊子シグナルで強化してSIDCOM上にばら撒くことで、人々の価値観や世界観を根本から書き換えようとする試みだ。

それは、まさに「精神のウイルス」であり、一度感染すると、論理的な反論や批判的思考を受け付けなくなる。


これらの意識ハック技術は、個人の自律的な思考や感情の自由を著しく脅かすものであり、SIDCOM社会における「見えざる戦争」の新たな武器となっている。

国家間の情報戦、企業間の競争、あるいはイデオロギー集団による勢力拡大など、様々な目的でこれらの技術が悪用されているという疑惑は後を絶たない。

そして、我々一般のSIDユーザーは、日々の情報洪水の中で、知らず知らずのうちにこれらの巧妙な精神操作の対象となっている可能性を、常に意識しなければならない。


そして、物語資本主義という土壌の上で、霊子技術のオルタナティブな応用が最も直接的かつ広範な形で現れているのが、**物語密売(Narrative Trafficking)**という闇市場の存在である。

公的なSIDCOMプラットフォームでは、物語スコアのアルゴリズムやICAの倫理規定によって、流通する物語の内容や表現がある程度フィルタリングされ、標準化される傾向にある。

しかし、人間の欲望は常に、規制された枠組みからはみ出す、より刺激的で、より禁断の物語を求める。

そして、その需要に応える形で、アンダーグラウンドな市場で、非合法な、あるいは倫理的に問題のある「物語」が、高額な物語通貨や、時には旧世紀的な実物資産と引き換えに取引されているのだ。


物語密売の対象となるのは、例えば、SIDCOM上では閲覧が禁止されている暴力的なコンテンツや、極端な性的倒錯を描いたナラティブ、あるいは実在の人物のプライベートな記憶や感情を盗み撮りしたかのような「覗き見ナラティブ」などである。

これらのコンテンツは、人間の最も原始的でタブー視された欲望を刺激し、一部の層には強烈な魅力を放つ。

また、より巧妙な形としては、「感情ドーピング(Emotional Doping)」と呼ばれるサービスが存在する。

これは、高いQSIを持つ「感情のスペシャリスト」が、顧客のSIDに接続し、その精神状態を一時的に操作することで、強烈な幸福感、万能感、あるいは性的興奮といった、日常では得られないような感情体験を「販売」するものである。

それは、まるで精神の麻薬であり、一度その快楽を知ってしまうと、依存症に陥り、現実世界の感情が色褪せて見えるようになる危険性がある。


さらに、物語密売の市場では、「物語ロンダリング(Narrative Laundering)」や「スコア・ブースティング(Score Boosting)」といった、物語スコアを不正に操作するためのサービスも横行している。

例えば、低評価の物語やネガティブな評判を、専門の「物語改竄業者」が記憶編集技術や偽の共感シグナルの大量送信によって「浄化」したり、あるいはAIボットや「共感ファーム」を利用して、特定の物語のスコアを人為的に吊り上げたりする。

これらの行為は、物語資本主義の根幹である「共感の真正性」を著しく損ない、スコアシステムの信頼性を揺るがす。

しかし、高い物語スコアが社会的成功と直結する現代において、その誘惑に抗うことは難しい。


これらの霊子技術のオルタナティブな応用――記憶改竄、意識ハック、物語密売――は、SIDCOM社会の「光」の側面が強調する、共感的で調和のとれたユートピアというイメージとは正反対の、人間の欲望、欺瞞、そして魂の脆弱性が渦巻く、深淵な「影」の世界を我々に見せつける。

そして、この「影」の世界は、公的なシステムから完全に独立して存在するのではなく、むしろ公的なシステムと密接に結びつき、その隙間や矛盾を利用しながら、寄生するように存在している。

例えば、物語密売で得た非合法な物語通貨が、巧妙なロンダリングを経て公的な経済システムに還流したり、あるいは意識ハック技術が、公的な情報操作や世論誘導に密かに利用されたりといった形で。


この霊子技術をめぐる光と影の攻防は、まさに「格差進化」の新たな次元を開いたと言えるだろう。

それは、単に情報アクセスや認知能力の格差に留まらず、人間の記憶、感情、意識、そして物語そのものを「資源」とし、「操作」の対象とし、そして「商品」として取引する、新たな権力と支配の構造を生み出している。

高い霊子リテラシーと倫理観を持ち、これらの精神操作技術から自らを守ることができる「精神的強者」と、そうでない「精神的弱者」との間の格差は、ますます拡大していく。

そして、その格差は、個人の努力や選択だけでなく、QSIのような先天的な資質や、どのような「物語環境」で育ったかといった、より根源的な要因によって規定されやすい。


もし、我々の魂の最も内奥な部分までもが、テクノロジーによって侵食され、市場の論理によって商品化され、そして見えざる力によって操作されるのだとすれば、「人間であること」の尊厳は、一体どこに見出せば良いのだろうか。

そして、この進化のベクトルは、我々をどのような未来へと導こうとしているのだろうか。


この問いに対する一つの、そしておそらくは最もラディカルな答えを提示しようとしているのが、本章の最後に特論として取り上げる、「裏側の進化者」たちと、彼らが用いる非公式な能力拡張技術――特に、真菌ナノマシンをめぐる驚くべき実験――である。

彼らは、SIDCOMの管理体制からも、公的な倫理規範からも逸脱し、自らの肉体と精神を、文字通り「規制を逃れた進化の実験場」と化そうとしている。

その試みが示すのは、人類の新たな飛躍か、それとも禁断の領域への暴走か。


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