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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第6章:進化の特異点――心霊ハッカー、シャドウSID、そして裏側の“異能者”たち
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SIDCOMネットワークの光と影:正規アクセスと非正規アクセスの狭間。

SIDCOM(Society-Integrated Device Communication)ネットワークは、二〇六五年の現代において、我々の生活の隅々にまで浸透し、教育、労働、コミュニケーション、そして自己認識に至るまで、人間活動のあらゆる側面を規定する、巨大な情報・意識インフラである。

その公的な側面――SID(Society-Integrated Device)を通じた正規のアクセス――は、膨大な知識への瞬時のアクセス、他者とのシームレスな思考共有、AIアシスタントによる生活の最適化、そして物語スコアを通じた社会的評価といった、数多くの恩恵を我々にもたらしている。

それは、一見すると、透明で、効率的で、そして遍在的な、人類の知性と精神を統合する「グローバル・ブレイン」の実現のように見える。

ICA(国際制御局)を中心とする管理機構は、SIPS(SID誘発性心音症候群)や「大消去」といった過去のトラウマを乗り越え、ネットワークの安定と安全、そしてユーザーの精神的ウェルビーイングを維持するために、絶えずその監視と制御のアルゴリズムを更新し続けている。


しかし、この公的に管理され、照らし出されたSIDCOMの「光」の世界の裏側には、常に広大で、複雑で、そしてしばしば危険な「影」の領域が存在してきた。

それは、正規のアクセスプロトコルを回避し、システムの脆弱性を突き、あるいは意図的に設けられた制限を突破して、SIDCOMネットワークのより深層へ、より自由な形でアクセスしようとする人々の活動領域である。

彼らは、一般に「心霊ハッカー(Psychic Hacker, Psycher)」あるいは、より広義には「非正規アクセス者(Unauthorized Access User, UAU)」などと呼ばれ、その動機も技術も、そして倫理観も多種多様だ。


ある者は、純粋な知的好奇心や技術的挑戦心から、SIDCOMのブラックボックス化されたアルゴリズムの解明や、未解放の機能へのアクセスを試みる。

彼らは、旧世紀のコンピューターハッカーの精神的後継者であり、システムの限界を探求し、情報の自由を信奉する。

またある者は、SIDCOMが提供する均質化された情報環境や、アルゴリズムによる思考誘導に反発し、より多様で、フィルターのかからない、生の情報を求めてネットワークの深層を徘徊する。

彼らは、いわば「情報的ゲリラ」であり、支配的なナラティブに対するオルタナティブな視点を探し求める。


さらに、より直接的な利益や目的のために非正規アクセスを行う者たちも存在する。

例えば、他人のSIDアカウントに不正侵入し、個人情報や「物語通貨」を窃盗するサイバー犯罪者。

あるいは、特定の個人や組織の評判を失墜させるために、偽情報や悪意のあるミームをSIDCOM上に拡散する情報工作員。

そして、最も謎に包まれ、かつ恐れられているのが、他者の精神そのものに直接介入し、記憶を操作したり、感情を誘導したり、あるいは人格を支配したりすると噂される、高度な技術を持つ心霊ハッカーたちである。

彼らは、SIDの深層意識アクセス機能を非合法に利用し、人間の魂を弄ぶ「精神的テロリスト」として、ICAの最重要警戒対象となっている。


これらの非正規アクセス者たちは、SIDCOMのセキュリティシステムやAIによる監視アルゴリズムと、絶えずイタチごっこを繰り返している。

彼らは、システムの裏口や未知の脆弱性を発見し、それを悪用するための巧妙なソフトウェア(しばしば「サイキック・エクスプロイト」や「ゴーストウェア」と呼ばれる)を開発し、アンダーグラウンドな情報チャネルで共有する。

一方、ICAやSIDCOMコーポレーションは、これらの不正アクセスを検知し、防御し、そして犯人を追跡するための技術を常にアップデートしている。

この攻防は、二〇六〇年代における、目に見えない、しかし熾烈な「サイバースペースの戦争」の様相を呈している。


心霊ハッカーたちが用いる技術は、正規のSIDユーザーがアクセスできない、あるいはその存在すら知らないような、SIDCOMの深層プロトコルや、霊子エネルギーの微細な制御に関わるものが多い。

例えば、彼らは、特定のSIDが発する微弱な霊子パターンを傍受・解析することで、そのユーザーの現在の感情状態や思考内容を遠隔から読み取ったり、あるいは逆に、偽の霊子シグナルを送信することで、相手の感情や認知に影響を与えようとする。

また、SIDCOMの共有記憶データベースや、個人のSIDに保存されている記憶データに不正アクセスし、それを改竄したり、消去したり、あるいは他人の記憶を自分のものとして「移植」したりするといった、高度な記憶操作技術も噂されている。

これらの技術は、個人のアイデンティティや現実認識を根本から揺るがすものであり、その倫理的・社会的影響は計り知れない。


このような心霊ハッカーの存在は、SIDCOMネットワークの「光」の側面――透明性、効率性、共感性――がいかに脆弱で、常に「影」の脅威に晒されているかを我々に示す。

我々が日々享受しているSIDCOMの利便性は、実は高度なセキュリティ技術と、絶え間ない監視によってかろうじて維持されているものであり、そのバランスが崩れれば、我々の魂は容易に外部からの侵入や操作の対象となりうるのだ。

そして、この「影」の領域で活動する者たちは、必ずしも明確な悪意を持っているとは限らない。

彼らの中には、SIDCOMの管理体制やアルゴリズムによる情報統制に疑問を抱き、より自由で多様な情報アクセスや、個人の精神的自律性を求めて行動している者もいる。

彼らの存在は、システムに対する「バグ」であると同時に、そのシステムの限界や問題点を露呈させ、進化を促す「触媒」としての役割も果たしているのかもしれない。


一方で、このSIDCOMの光と影の狭間には、より曖昧で、捉えどころのない存在もいる。

それが、「シャドウSID」と呼ばれる人々だ。

彼らは、心霊ハッカーのように積極的にシステムに攻撃を仕掛けるわけではないが、正規のSID利用の枠組みから逸脱し、あるいはそれを独自の方法で「ハック」しながら、独自の生存戦略を追求している。


シャドウSIDの一つのタイプは、アンプラグド(SID非接続者)でありながら、限定的な形でSIDCOMネットワークの情報やサービスにアクセスする手段を持つ人々だ。

彼らは、非合法なルートで入手した旧型のSIDデバイスを改造したり、あるいは接続者プラグドのSIDアカウントを一時的に借用したりすることで、SIDCOMの「恩恵」の一部を享受しつつ、その管理や束縛からは距離を置こうとする。

彼らは、いわば「半接続者」であり、光と影の世界を往来する存在だ。

彼らの多くは、アンプラグドであることの社会的な不利益を痛感しながらも、SIDへの完全な接続がもたらす精神的なリスク――例えば、SIPSの発症や、自我の希薄化――を恐れ、このような中間的な立場を選んでいる。

彼らの存在は、SIDCOM社会における「接続か非接続か」という二者択一の強制に対する、ささやかな抵抗であり、より柔軟で多様なテクノロジーとの関わり方を模索する試みと見ることもできる。


シャドウSIDのもう一つのタイプは、正規の接続者プラグドでありながら、SIDCOMの公的なプロトコルやアプリケーションだけでなく、アンダーグラウンドな情報チャネルや非公式なコミュニティ、そしてしばしば非合法なソフトウェアやハードウェア拡張(いわゆる「ゴーストMOD」)を積極的に利用する人々だ。

彼らは、ICAやSIDCOMコーポレーションが提供する「クリーン」で「安全」な情報環境に飽き足らず、より刺激的で、より自由で、そして時に危険な情報を求めて、ネットワークの深層を探求する。

彼らは、心霊ハッカーが開発したツールを使いこなし、一般ユーザーには見えない情報レイヤーにアクセスしたり、自らのSIDの機能を非公式に拡張したりする。

その動機は、知的好奇心、スリル、あるいは反骨精神など様々だが、彼らに共通しているのは、SIDCOMという巨大なシステムによって「与えられる」だけの情報や体験に満足せず、自らの手でそれを「ハッキング」し、「カスタマイズ」し、そして「再創造」しようとする意志である。


これらのシャドウSIDの活動は、しばしば法や倫理のグレーゾーンに属し、時に深刻なリスクを伴う。

しかし、彼らの存在は、SIDCOM社会の均質化圧力に対する、ある種の「多様性の確保弁」としての役割を果たしているのかもしれない。

彼らが探求するアンダーグラウンドな情報や、彼らが生み出す非公式な文化は、メインストリームのナラティブからは排除された、しかし重要な視点や価値観を含んでいる可能性がある。

そして、彼らが試みるSIDの非公式な拡張やカスタマイズは、テクノロジーと人間の関係性を、トップダウンの管理から、よりユーザー主導の、ボトムアップな共進化へと転換させる萌芽を秘めているのかもしれない。


心霊ハッカーも、シャドウSIDも、SIDCOMネットワークの「光」の世界から見れば、逸脱者、あるいは潜在的な脅威と見なされるだろう。

しかし、彼らは、この高度に管理され、最適化されたシステムの「想定外」の産物であり、その存在そのものが、システムの完全性や普遍性に対する根源的な問いを投げかけている。

彼らは、進化の過程で生まれる「突然変異」のように、既存の秩序を揺るがし、新たな可能性(あるいは破滅)の扉を開くのかもしれない。


このSIDCOMネットワークの光と影、正規アクセスと非正規アクセスの狭間で繰り広げられる攻防と創造は、まさに現代における「格差進化」の最前線の一つの様相である。

それは、情報へのアクセス権、精神的自律性、そしてテクノロジーを自らの意志でコントロールする権利をめぐる、見えざる闘争だ。

そして、この闘争の行方は、我々がどのような「接続された魂」として未来を生きていくのか、そしてSIDCOMという選別装置が、我々をどのような存在へと「進化」させようとしているのかを決定づける上で、極めて重要な意味を持つだろう。


しかし、SIDCOMネットワークの光と影は、進化の特異点をめぐる物語の一側面に過ぎない。

このネットワーク上で流通し、価値を生み出し、そして人間を選別する最も強力な力――それは、霊子技術によって可視化され、増幅された「物語」そのものである。

次に我々が見つめるべきは、この霊子と物語が、正規・非正規の区別なく、人間の魂に働きかけ、記憶を改竄し、意識をハッキングし、そして「物語」そのものを密売するという、さらに深層の、そして倫理的に危険な領域である。


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