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日常風景:霊子ディスプレイが煌めく街、SIDを通じて流れ込む他者の思考、物語スコアに一喜一憂する人々。

東京、二〇六五年。

都市管理AI「ガイア・マザー」が生成する覚醒促進用の環境音楽――セクター9居住区では、今朝は古典派のピアノソナタをベースにしたミニマルな電子音響が選択されているようだ――が、鼓膜ではなくSID(Society-Integrated Device)を通じて直接、聴覚野に流れ込み、私の意識を深い眠りの淵からゆっくりと現実へと引き戻す。

瞼を開ける動作とほぼ同時に、網膜に投影されたパーソナル・インターフェースが起動。

時刻は午前六時五十五分。

外気温摂氏二十二度、湿度六十五パーセント、大気中の霊子クアノン密度は平均よりやや高く、予測される都市全体の「共感スペクトル」はポジティブ傾向に振れている。

これは、昨夜行われた月面コロニー「ニュートーキョー」との定期通信イベントが大成功を収めた影響だろう。


私の視界の右端には、昨夜からのパーソナル「物語スコア(ナラティブ・スコア)」の変動が表示されている。

プラス〇・一二。微増だ。

就寝前にSIDCOMのローカル・コミュニティ・チャンネルに投稿した「二〇世紀後半の日本アニメにおけるサイボーグ表象とトランスヒューマニズム思想の萌芽に関する考察」という、いささか専門的すぎるショートエッセイが、予想外にいくつかの「共感エンパシー」を集め、少数のフォロワーを獲得したらしい。

旧世紀のSNSで言うところの「いいね!」や「シェア」に似ているが、これは単なる表層的な反応ではない。

SIDを介して、私の思考の断片や論理構成、そしてその根底にある情熱の一部が、読み手の意識にダイレクトに伝播し、彼らの感情や記憶と共鳴した結果なのだ。

スコアが上昇した瞬間、私のSIDにも微弱なポジティブ・フィードバック――一種の精神的な快感パルス――が送られてくる。

これはSIDCOMがユーザーの積極的な情報発信と共感形成を促すための巧妙な報酬システムであり、我々はこの見えざる手綱によって、絶えず「物語る」こと、「共感される」ことへと駆り立てられている。


ベッドから起き上がり、合成音声のパーソナルアシスタントAI「ミコト」が室温や照明を最適化するのを待つ。

彼女は私の生活パターン、生理的状態、さらには無意識の感情の起伏までを学習し、私が言葉にする前に必要なサポートを提供してくれる、いわば拡張された自我の一部だ。

ミコトは同時に、SIDCOMのヘルスケア・モジュールと連携し、昨夜の私の睡眠中の脳波、心拍、霊子活性レベルを分析、今日の活動に最適な栄養補助食品のレシピをナノ・フードプリンターに送信している。

壁一面がダイナミック・ウィンドウとなっている寝室のブラインドが静かに開くと、そこには息をのむような二〇六五年の東京の摩天楼が広がっている。


陽光を反射してきらめく超高層ビル群は、単なる鋼鉄とガラスの塊ではない。

そのファサードの多くが、数ミクロン単位で配列された霊子発光素子で構成された「インテリジェント・スキン」で覆われており、都市全体の情報流や人々の集合的感情をリアルタイムで反映した巨大なアートインスタレーションと化している。

今朝の東京は、穏やかな知性を感じさせるセルリアンブルーと、新たな始まりを予感させる朝焼けのようなコーラルピンクのグラデーションに彩られている。

時折、特定のビル群に強い共感の波動を示す純白のパルスが走り、それはおそらく大規模な共同プロジェクトの成功や、影響力のある「ナラティブ・クリエイター」による感動的な作品の発表を意味しているのだろう。

街全体が、SIDCOMを通じて接続された我々の精神活動の鏡像なのだ。

この圧倒的なスケールの「共感の可視化」は、我々に強烈な一体感と、人類がかつて経験したことのないレベルでの相互理解が可能になったという幻想を与えてくれる。


エアロカーで自動運転される通勤ポッドに乗り込むと、座席は私の身体形状と今日の気分に合わせて微調整され、車内環境は好みの音楽――今朝は少し瞑想的なアンビエント・ドローンが選択された――とアロマで満たされる。

ポッドの窓は単なる透明な隔壁ではなく、AR(拡張現実)機能が統合された情報ディスプレイだ。

私が視線を向ける建物や人物には、その名称、所属、そして公開設定されていれば「物語スコア」の概略がオーバーレイ表示される。

例えば、対向車線を滑るように進む別のポッドに乗っているのは、最近急上昇中の若手遺伝子デザイナー、月詠サトル氏。

彼のスコアは782.5。

数ヶ月前までは凡庸な研究者に過ぎなかった彼が、画期的な遺伝子編集ツール「クロノ・エディター」に関する革新的なナラティブを発表したことで、一躍時代の寵児となった。

彼の周囲には、称賛と期待の念を示すポジティブな思念波のオーラが、私のSIDにも微かに感じ取れる。


一方で、街角を足早に通り過ぎるフードデリバリーの配達員のアバターには、35.2という低いスコアが表示されている。

彼のオーラはくすんだ灰色で、周囲からの関心も薄い。

彼がどんな優れた技術や隠れた才能を持っていたとしても、このSIDCOM社会においては、それを魅力的な「物語」として発信し、他者の「共感」を獲得できなければ、その価値はなかなか認められない。

これが、物語資本主義の冷厳な現実の一端だ。

効率化された都市インフラと、AIによる最適化された資源配分によって、旧世紀的な意味での「貧困」――餓えや物理的な困窮――はほぼ撲滅された。

しかし、その代わりに現れたのは、「物語の貧困」であり、他者からの共感と承認を得られないことによる精神的な疎外感と、社会的な存在感の希薄化である。


職場である民間シンクタンク「未来社会構想研究所(IFIS)」に到着する。

エントランスゲートは、私の虹彩とSIDに埋め込まれた生体認証IDを瞬時にスキャンし、同時に私の現在の「物語スコア」をチェックする。

このスコアは、今日私がアクセスできる情報データベースのレベルや、割り当てられるプロジェクトの優先度、さらにはカフェテリアで選択できるランチメニューのグレードにまで影響を及ぼす。

不合理に思えるかもしれないが、これが「共感が価値を生む」社会の論理なのだ。

研究所内は、静寂に包まれている。

研究員たちは皆、自席のパーソナル・ワークスペースでSIDを介して思考をダイレクトに共有し、議論を進めているため、物理的な会話はほとんど必要ない。


今日の私の主なタスクは、次世代型SIDが人間の創造性や倫理観に与える影響に関するシミュレーションモデルの検証と、その結果に基づいた政策提言レポートの執筆だ。

私のチームは、世界各地に散らばる異分野の専門家たち――神経科学者、AI倫理学者、進化心理学者、さらにはSF作家まで――で構成されており、物理的に一堂に会することなく、SIDCOM上の仮想共同作業空間でプロジェクトを進行させている。

会議は、思考の速度で行われる。

提案されたアイデアは即座に共有され、反論や修正案がナノ秒単位で返ってくる。

複雑なデータセットはAIアシスタントが瞬時に解析し、視覚的に分かりやすいインフォグラフィックとして全員の意識にストリーミングされる。

この圧倒的な情報処理速度とコミュニケーション効率は、旧世紀の研究開発プロセスとは比較にならない。


だが、この効率性の代償として、我々は何か大切なものを失ってはいないだろうか。

例えば、言葉を選び、論理を組み立て、相手の表情や声のトーンから真意を読み取るといった、旧世紀的なコミュニケーションの「間」や「機微」は、SIDを介した思考のダイレクト伝送の中では捨象されがちだ。

また、あまりにも多くの情報と他者の思考が絶えず流れ込んでくるため、自分自身のオリジナルなアイデアが、どこから来たものなのか、本当に自分の中から生まれたものなのか、判然としなくなることがある。

それはまるで、自分の意識がSIDCOMという巨大な集合知の海に溶け出し、個としての輪郭が曖昧になっていくような感覚だ。


昼食時、研究所のカフェテリアで食事――もちろん、これもナノ・フードプリンターが私の健康データと気分に合わせて最適化したものだ――を摂りながら、私は周囲の人々の様子を観察する。

彼らは皆、物理的には同じ空間にいながら、その意識の大部分はSIDCOMのどこか別の場所にある。

ある者は没入型のエンターテイメント・ナラティブに精神を遊ばせ、ある者は遠隔地の恋人と情熱的な思念を交わし、またある者はグローバルな経済指標の変動をリアルタイムで追いかけている。

テーブルを挟んで向かいに座る同僚でさえ、私と視線を合わせることは稀だ。

時折、彼の表情が微かに変化し、SIDにポジティブまたはネガティブな感情フィードバックがあったことが窺えるが、その感情の原因が何であるかは、彼が共有設定をしない限り私には分からない。

この光景は、二〇六五年の日常そのものだ。

我々は、かつてないほど他者と「接続」されていながら、同時に、かつてないほど「孤独」なのかもしれない。


午後の業務では、AIとの共同作業が中心となる。

私が構築したシミュレーションモデルのパラメータを入力すると、AIは過去数十年分の社会変動データと数百万件の関連論文を瞬時に参照し、数時間後には未来予測の複数のシナリオを確率分布と共に提示してくれる。

その精度と速度は、人間の能力を遥かに超えている。

私はその結果を解釈し、倫理的な観点から問題点を抽出し、政策提言の骨子を組み立てる。

このAIと人間の協調関係は、確かに多くの分野で生産性を飛躍的に向上させた。

しかし、AIの思考プロセスはますますブラックボックス化し、我々はその結論を鵜呑みにするしかない場面も増えている。

「思考する葦」としての人間は、その「思考」の大部分を、より強力な思考機械に委ねてしまったのだろうか。

そして、その結果として生じる知的生産物の「物語価値」は、果たして人間のものなのか、AIのものなのか、あるいはその両者の共同幻想なのか。


夕刻、SIDCOMのローカルニュースが、近隣セクターで発生した小規模な「霊子ノイズ」発生事案を報じている。

これは、強い負の感情を持つ個人または集団の思念が、周囲のSIDユーザーの精神状態に悪影響を及ぼす現象で、時折発生する都市型災害の一種だ。

都市管理AI「ガイア・マザー」の精神衛生維持部隊が迅速に出動し、ノイズ源となった人物(おそらく「物語スコア」が極端に低いか、精神的に不安定な状態にあったのだろう)を特定、適切なカウンセリングと霊子フィールド調整を施したため、大事には至らなかったという。

このニュースは、SIDCOM社会の光と影を象徴している。

他者との深い共感は、同時に、他者の苦痛や絶望にも晒されるリスクを伴う。

そして、そのリスクを管理するために、我々は常に都市AIによる監視と介入を受け入れているのだ。


仕事を終え、帰宅の途につく。

ポッドの窓から見える夜景は、昼間とはまた異なる幻想的な美しさだ。

無数の霊子ディスプレイが、都市の眠らない感情を万華鏡のように映し出し、それはまるで星々の囁きのようだ。

しかし、その光が強ければ強いほど、その下に広がる影もまた濃くなる。

この光り輝く都市の片隅で、SIDを持たないアンプラグドの人々は、どのようにこの世界を見ているのだろうか。

彼らは、我々「接続者」が享受する情報の洪水や共感の温もりから隔絶され、あるいは自らそれを拒絶し、旧世紀的な意味での「個」と「孤独」を生きている。

彼らは、この進化の奔流から取り残された、過去の遺物なのだろうか。

それとも、我々が見失ってしまった何か大切なものを、その静寂の中で守り続けているのだろうか。


そして、私自身はどうなのだろう。

この日一日、私は数え切れないほどの情報に触れ、多くの人々の思考や感情と交感し、自らの「物語スコア」をわずかに上昇させた。

それは、このSIDCOM社会における「良き市民」の模範的な一日だったかもしれない。

だが、その喧騒と効率性の果てに、私自身の内面には、形容しがたい空虚感と、根源的な問いが静かに残っている。


この社会は、本当に我々を幸福にしているのだろうか。

この「進化」は、我々をどこへ連れて行こうとしているのだろうか。

そして、この煌びやかな日常風景の背後に横たわる、見えざる階層構造の現実に、我々はいつまで目を背け続けることができるのだろうか。


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