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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第4章:デザインされる生命――AI、遺伝子編集、そして「ポスト・ヒューマン」の胎動
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コモディティ化した遺伝子編集と、それによる「才能」と「適性」の事前設計。

遺伝子編集技術、とりわけCRISPR-Cas9システムとその改良型技術の登場は、二〇一〇年代から二〇二〇年代にかけて、生命科学の分野に革命的な変化をもたらした。

この技術は、DNA配列の特定の部分を、極めて高い精度で、かつ比較的容易に「編集」――すなわち、切断、置換、挿入、あるいは削除――することを可能にし、これまで不可能と思われていた生命の設計図への直接的な介入を現実のものとした。

当初、その応用は、主に遺伝性疾患の原因遺伝子を修復したり、農作物の品種改良を行ったりといった、治療や産業利用の領域に限定されると期待されていた。

そして、ヒトの生殖細胞系列(精子、卵子、受精卵)への遺伝子編集は、その影響が次世代へと永続的に受け継がれることの倫理的・社会的な重大さから、国際的なコンセンサスとして長らくタブー視され、厳しく規制されてきた。


しかし、技術の進歩は、しばしば倫理的な議論や法的な規制の速度を凌駕する。

遺伝子編集技術の精度と安全性が向上し、その操作がより簡便かつ低コストになるにつれて、「治療」と「エンハンスメント(能力向上)」の境界線は次第に曖昧になり、そして「より優れた人間」を創り出したいという、人間の根源的な欲望が、その禁断の扉を少しずつこじ開けていく。


二〇三〇年代後半から二〇四〇年代にかけて、いくつかの国や地域で、特定の遺伝性疾患のリスクを低減することを目的とした、限定的なヒト受精卵への遺伝子編集が、厳格な倫理委員会の監督下で容認され始めた。

これは、多くの患者とその家族にとって福音であったが、同時に、一度開かれたパンドラの箱は、もはや簡単には閉じられないことをも意味していた。

遺伝性疾患の「治療」という大義名分のもとで、徐々にその適用範囲は拡大し、やがて、単に疾患のリスクを低減するだけでなく、特定の「望ましい形質」を付与したり、あるいは「望ましくない形質」を除去したりといった、明らかなエンハンスメント目的の遺伝子編集への需要が高まっていったのだ。


そして、AIの進化が、この流れを決定的に加速させる。

汎用AIは、膨大なゲノムデータと個人の形質データ(身体的特徴、認知能力、性格特性、疾病リスク、QSI、物語スコアに至るまで)をディープラーニングによって解析し、特定の遺伝子配列と望ましい形質との間の複雑な相関関係を、かつてない精度で明らかにし始めた。

これにより、「知能指数を平均より一〇ポイント高める遺伝子パッケージ」「特定の芸術的才能(例えば絶対音感や空間認識能力)を発現させる遺伝子ネットワーク」「高いSID親和性とQSIをもたらす神経伝達物質受容体のバリアント」「老化を遅延させ、平均寿命を二〇年延長するテロメア制御遺伝子」といった、具体的なエンハンスメント・メニューが、あたかもソフトウェアのアップグレードを選ぶかのように、提示されるようになったのである。


もちろん、これらの遺伝子編集が、必ずしも期待通りの効果を発揮するとは限らず、未知の副作用や長期的なリスクも常に存在する。

また、人間の複雑な形質の多くは、多数の遺伝子と環境要因との相互作用によって決まるため、単純な遺伝子操作だけで完璧な「デザイナーベビー」を創り出すことは不可能である。

しかし、統計的に有意な確率で、特定の子どもが「より優れた」能力や特性を持って生まれてくる可能性があるのであれば、多くの親は、その誘惑に抗うことが難しい。

特に、SIDCOM社会における熾烈な「物語価値」競争や、AI時代における知的スキルの重要性を目の当たりにしている富裕層や知識層の間では、自らの子供に可能な限りのアドバンテージを与えたいという動機から、高額な費用を厭わずに遺伝子編集サービスを求める動きが急速に広まっていった。


二〇五〇年代に入ると、一部の先進国や、倫理規制の緩いオフショア地域では、これらのエンハンスメント目的の遺伝子編集サービスが、半ば公然と、あるいはグレーな形で提供されるようになり、事実上「コモディティ化」し始める。

それはもはや、一部の超富裕層だけのものではなく、中産階級の上層にも手の届く選択肢となり、社会における新たな「標準」となりつつあった。

そして、この「コモディティ化した遺伝子編集」は、人間の「才能」や「適性」を、もはや個人の努力や偶然の産物としてではなく、親が子に対して与える「事前設計」された贈り物、あるいは「投資」の対象へと変質させた。


その結果、我々の社会には、かつてないほど根源的で、そしておそらくは最も深刻な「生物学的カースト」とも呼ぶべき階層構造が生まれつつある。


まず、**「遺伝子編集を受けたエンハンスド」と「受けていないナチュラルズ」**との間の、基本的な能力とポテンシャルの格差である。

エンハンスドは、生まれながらにして高い知能、優れた身体能力、特定の才能、そして高いSID親和性やQSIを持つように「デザイン」されており、教育、就労、社会生活のあらゆる場面で、ナチュラルズに対して圧倒的なアドバンテージを持つ。

彼らは、より高度な教育を受け、より創造的で影響力のある仕事に就き、より高い物語スコアを獲得し、そして社会の指導的地位を占めていく。

ナチュラルズは、彼らとの競争において常に劣勢を強いられ、その多くは、エンハンスドが担わない単純労働や、AIによって代替されにくい感情労働といった、より低い社会的評価しか得られない分野へと追いやられる。


この格差は、単なる能力差に留まらない。

エンハンスドは、その優れた能力と高い社会的地位のゆえに、しばしばナチュラルズに対して優越感を抱き、逆に見下したり、あるいは憐れんだりする傾向が見られる。

一方で、ナチュラルズは、エンハンスドに対して劣等感や嫉妬、あるいは不公平感を抱き、両者の間には深い心理的な溝が生じる。

これは、旧世紀の人種差別や階級対立とは比較にならないほど、根源的で、克服しがたい分断である。

なぜなら、それは、生まれながらにしてDNAレベルで刻印された「差異」に基づくからだ。


次に、エンハンスド内部における、「編集の質と量」によるさらなる細分化と階層化である。

遺伝子編集のメニューは多岐にわたり、その効果やコストも様々だ。

より多くの、より効果的な遺伝子編集を受けたエンハンスドは、そうでないエンハンスドよりもさらに高い能力を発揮し、エンハンスドの中にも新たなエリート層と一般層が形成される。

また、どのような形質を「エンハンス」するかという選択には、親の価値観や経済力、そしてその時代における社会的な流行が大きく反映される。

例えば、一時期は論理的思考力や数学的才能を重視した遺伝子編集が流行したが、最近ではQSIや共感性、芸術的創造性を高める編集への関心が高まっている。

このような流行の変遷は、社会が求める「理想の人間像」が、テクノロジーによって常に再定義され、そしてその「理想」に合わせて人間が「デザイン」されていくという、奇妙なフィードバックループを生み出している。


そして、最も深刻なのは、この遺伝子編集による「才能」と「適性」の事前設計が、人間の多様性を著しく損ない、画一的な「最適化された人間」を量産する危険性である。

もし、社会の大多数が、AIによって「最も成功確率が高い」と予測された特定の遺伝子プロファイルや、流行の「望ましい形質」を持つようにデザインされたとしたら、我々の社会は、生物学的な多様性を失い、未知の環境変化や新たな脅威に対して極めて脆弱になるだろう。

進化の歴史が示すように、多様性こそが、種の長期的な生存と繁栄のための最も重要な保険である。

しかし、短期的な成功や効率性を追求するあまり、我々はその最も大切な保険を自らの手で放棄しようとしているのかもしれない。


さらに、遺伝子編集は、人間の「アイデンティティ」や「自己決定権」という根源的な問いをも我々に突きつける。

もし、自分の才能や性格、あるいは人生の嗜好までもが、生まれる前に親や技術者によって「デザイン」されたものだと知ったとき、我々はそれをどのように受け止めるのだろうか。

それは、自らの自由意志や努力によって獲得したものではなく、あらかじめ与えられた「プログラム」に過ぎないのだろうか。

そして、もしその「デザイン」が自分の望むものではなかったとしたら、我々はその運命に甘んじるしかないのだろうか、それとも、さらなる遺伝子編集によって自らを「再デザイン」する権利を持つべきなのだろうか。

これらの問いは、人間の尊厳や主体性という、近代社会が築き上げてきた価値観の根幹を揺るがす。


コモディティ化した遺伝子編集は、このようにして、人間の生命そのものを「商品」や「設計可能なオブジェクト」へと変え、生物学的なレベルでの新たな、そしておそらくは最も深刻な格差と階層化を生み出している。

それは、AIが我々の精神や知性を外部から再編しようとする力と呼応し、人間の「内」と「外」の両面から、「格差進化」のベクトルを、人間という種の分化と、その存在様態の根本的な変容へと、不可逆的に推し進めている。


リサ・セント=クロノスは、かつて「格差進化」の最終段階として、人類が複数の「種」へと分岐する可能性を予見したが、遺伝子編集技術のコモディティ化は、その予見を現実のものとしつつある。

ナチュラルズとエンハンスド、そしてエンハンスドの中でもさらに細分化された遺伝的系統は、それぞれ異なる能力、価値観、そして進化の軌跡を辿り、やがては生殖的にも隔離され、生物学的な意味での「別種」となっていくのかもしれない。


そして、この「種の分岐」の最前線に現れると噂されているのが、新型SIDの深層意識アクセス能力と、先鋭的な遺伝子プロファイルとを融合させることによって生み出されるとされる、次世代の存在――“ヒューマナリウム種”である。

彼らは、我々旧人類の進化の到達点なのか、それとも、我々とは全く異なる原理で存在する、新たな生命の形態なのか。


次に我々が踏み込むのは、この“ヒューマナリウム種”をめぐる、現代社会の最も深層で囁かれる噂と、それが我々の未来に投げかける、希望と戦慄の交錯する問いである。


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