第4章:デザインされる生命――AI、遺伝子編集、そして「ポスト・ヒューマン」の胎動
前章までにおいて、我々はSIDCOMネットワークという名の巨大な選別装置が、いかにして人間の魂を接続し、その意識をネットワーク化する一方で、新たな能力格差と社会的階層を生み出しているかを見てきた。
そして、霊子技術とQSI(霊子共鳴指数)の登場が、この流れをさらに加速させ、「物語」を新たな資本とする物語資本主義というシステムを構築し、個人の内面的な体験や感情、そして「語る力」そのものを市場価値によって序列化し、選別していく様を考察した。
ナラティブ遺伝主義という不穏な囁きは、この「物語る能力」すらも遺伝的素養や血統に還元しようとし、生まれながらにして「語るべき物語を持つ者」と「そうでない者」との間に、見えざる壁を築き上げようとしている。
しかし、我々が直面している「格差進化」の力学は、これだけに留まらない。
SIDによる意識の拡張、霊子による精神エネルギーの可視化と操作、そして物語資本主義による内面の市場化――これらの変化は、確かに人間のあり方を根底から揺るがしているが、それはまだ、我々が「人間」という生物学的な種の枠組みの中で経験している変容であった。
だが、二〇六〇年代の現在、我々はさらに先鋭的で、そしておそらくは不可逆的な、新たな進化のフロンティアに立たされている。
それは、AI(人工知能)と遺伝子編集技術が、人間の生命そのものを、もはや自然の摂理や偶然の産物としてではなく、特定の目的や価値観に基づいて意図的に**「デザイン」**可能な対象へと変えようとしている現実である。
この「デザインされる生命」というテーマは、旧世紀からSF作品や倫理的論争の中で繰り返し描かれてきたが、それはもはや空想の域を超え、我々の日常生活や社会システムの基盤に深く組み込まれつつある。
AIは、人間の知的能力を超越し、我々の思考や行動、さらには社会全体の運営を最適化する「協力者」あるいは「支配者」としての顔を持ち始めている。
遺伝子編集技術は、かつては神の領域とされた生命の設計図に直接介入し、病の克服という当初の目的を超えて、人間の「才能」や「適性」を生まれながらにして「事前設計」することを可能にした。
本章では、このAIと遺伝子編集という二つの強力なテクノロジーが、どのようにして「格差進化」のベクトルを、単なる能力や機会の不平等から、生命そのものの質的差異、そして究極的には**「ポスト・ヒューマン」**とでも呼ぶべき、我々とは異なる存在の胎動へと導いているのかを探求する。
汎用AIが社会の隅々にまで浸透した「シンギュラリティ後の風景」は、我々人間にどのような新たな「適応」を強いているのか。
コモディティ化した遺伝子編集は、人間の多様性を豊かにするのか、それとも画一的な「最適化された人間」を量産するのか。
そして、新型SIDと先鋭的な遺伝子プロファイルが融合することで生まれ出ると噂される「ヒューマナリウム種」とは、一体何者なのか。
彼らは我々の進化の延長線上にいるのか、それとも、我々とは異なる道を歩む、新たな「種」の始まりなのか。
これらの問いは、我々自身の存在意義、そして人類という種の未来そのものに関わる、極めて重いものである。
そして、その答えは、我々がこれらのテクノロジーとどのように向き合い、その力をどのように制御し、そしてどのような「生命のあり方」を次世代へと手渡していくのかという、我々自身の選択にかかっている。
この章の旅は、我々が「人間であること」の境界線が曖昧になり、新たな生命の可能性と脅威が交錯する、未知の領域への探索となるだろう。
そこでは、希望と絶望、創造と破壊、そして進化と終末が、紙一重の緊張感の中でせめぎ合っている。
さあ、まずはAIが人間の知性を超えたとされる「シンギュラリティ」の記憶を呼び覚まし、その後の世界で我々がどのような「風景」を目の当たりにしてきたのか、そこからこの深遠なテーマへの考察を始めよう。
汎用AIの登場は、我々の進化の物語に、どのような新たな章を書き加えたのだろうか。