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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第3章:霊子(クアノン)と物語資本主義――あなたの「物語価値(ナラティブ・バリュー)」はおいくらですか?
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ナラティブ遺伝主義の囁き:「語るべき物語」を持つ血統と、QSIによる静かな選別。

あなたの人生の物語は、誰の共感を呼ぶのか?

物語資本主義が深化し、個人の「物語価値ナラティブ・バリュー」が社会的成功の鍵を握るようになるにつれて、ある種の不穏な言説が、SIDCOMネットワークの深層や、一部のエリート層の間で囁かれるようになった。

それは、**「ナラティブ遺伝主義(Narrative Geneism)」**とでも呼ぶべき思想である。

この思想は、魅力的な物語を創造し、他者の強い共感を呼び起こす能力――すなわち、高いQSI(霊子共鳴指数)や優れたナラティブ・スキル――が、単に個人の才能や努力、あるいは後天的な学習の結果だけでなく、その人物が持つ遺伝的素養や、さらには特定の「血統」に深く根ざしているという、極めて危険な主張を内包している。


このナラティブ遺伝主義の根拠とされるものは、いくつかある。

第一に、近年の脳神経科学や遺伝学の発展により、QSIや共感性、創造性、言語能力といった、物語創造に深く関わる資質の一部が、特定の遺伝子群と関連している可能性が示唆され始めたことだ。

もちろん、これらの複雑な精神機能が、単一の遺伝子で決定されるわけではなく、環境要因との相互作用も極めて重要であることは言うまでもない。

しかし、「物語る才能に恵まれた遺伝子」や「共感を呼びやすい脳の特性」といった概念は、人々の想像力を刺激し、ある種の遺伝的決定論へと傾倒させるのに十分な魅力を持っていた。


第二に、SIDCOM上の膨大な「物語データ」と個人の遺伝情報をAIが照合・分析することで、特定の遺伝的プロファイルを持つ人々が、統計的に有意に高い物語スコアを獲得し、ナラティブ・エリートとして成功しやすいという傾向が見出され始めたことだ。

この「AIによるナラティブ適性予測」は、当初は才能発掘や教育のパーソナライズといったポジティブな文脈で語られたが、次第に、個人の潜在能力を生まれながらにして序列化し、選別するためのツールとしての側面を露わにし始める。


第三に、歴史的に見ても、偉大な詩人、作家、音楽家、あるいはカリスマ的な指導者といった、「語る力」によって世界を動かしてきた人々が、しばしば特定の家系や血族から集中的に輩出されてきたという(真偽はともかくとして)俗説的な「血統信仰」が、物語資本主義という新たな土壌の上で、より洗練された装いをまとって復活してきたことだ。

「物語の貴族」「ナラティブの血脈」といった言葉が、公には憚られながらも、富裕層や権力層の間で囁かれ、自らの子孫に「語るべき物語を持つ」遺伝的資質を継承させようとする動き――例えば、遺伝子編集によるエンハンスメントや、特定の遺伝的プロファイルを持つパートナーとの選択的婚姻など――を加速させた。


このナラティブ遺伝主義は、表立っては優生思想的な響きを持つため、公然と主張されることは少ない。

しかし、その根底にある「物語る能力は生まれ持った素質に大きく左右される」という考え方は、SIDCOM社会の深層心理に静かに、しかし確実に浸透し、人々の価値観や行動様式に影響を与えている。

それは、努力や機会の平等といった旧世紀的な理想を、より根源的なレベルで無効化し、「生まれながらにして語るべき物語を持つ者」と「そうでない者」との間に、見えざる、しかし強固な壁を築き上げようとする。


この静かな選別の中心的な役割を果たすのが、QSIである。

QSIは、前述の通り、個人の霊子が他者の霊子とどれだけ効率的に共鳴し、影響を与え合うかを示す指標であり、高いQSIは、魅力的な物語を創造し、多くの共感を獲得するための基本的な「エンジン」となる。

そして、このQSIそのものが、遺伝的要因や脳の生物学的特性と深く関連しているという証拠が蓄積されるにつれて、QSIは単なる能力指標を超え、個人の「ナラティブ的資質」あるいは「物語的血統」を示す、ある種の**「魂の遺伝子マーカー」**としての意味合いを帯び始めた。


高いQSIを持つ親から生まれた子供は、統計的に高いQSIを示す傾向があり、また、彼らは幼少期から豊かな感情表現や共感的なコミュニケーションに触れる環境で育つことが多いため、ナラティブ・スキルを自然に習得しやすい。

さらに、彼らの親が持つ物語資本や社会的ネットワークは、彼らが自らの物語を発信し、共感を獲得するための強力なアドバンテージとなる。

こうして、高いQSIと「語るべき物語」は、世代を超えて再生産され、特定の家系や社会階層に集中していく。

これは、旧世紀の貴族制度やエリート層の再生産メカニズムが、より巧妙で、科学的な装いをまとって現代に蘇ったかのようだ。


このQSIによる静かな選別は、社会のあらゆる場面で進行している。

教育においては、AIが幼児期のQSIの発達パターンを測定し、将来のナラティブ適性を予測する「早期才能診断プログラム」が導入され、高いポテンシャルを持つと判断された子供たちは、特別な英才教育コースへと振り分けられる。

そこでは、感情表現、共感形成、ストーリーテリング、そしてSIDCOMプラットフォームを最大限に活用するための高度なナラティブ戦略が徹底的に叩き込まれる。

彼らは、幼い頃から「選ばれた物語の語り部」としての自意識を植え付けられ、将来のナラティブ・エリートとなるべく育成される。


雇用においては、多くの企業が、採用候補者のQSIや過去の物語スコアを重要な選考基準としている。

特に、マーケティング、広報、クリエイティブ部門、あるいはリーダーシップが求められるポジションにおいては、高いQSIと優れたナラティブ・スキルは必須条件とされる。

AIによる面接シミュレーションでは、候補者の感情表現の豊かさ、声のトーンの説得力、そしてその場で即興的に「共感を呼ぶ物語」を語る能力が厳しく評価される。

その結果、高いQSIを持つ人々は、より魅力的で、より高収入な職を得やすく、そうでない人々は、定型的で、創造性の低い、代替可能な労働へと追いやられる。


恋愛や結婚といった最も個人的な領域においてすら、QSIと物語価値は無視できない影響力を持つ。

「恋愛市場」においても、高いQSIを持ち、魅力的な物語(例えば、刺激的な趣味、感動的な体験、あるいは将来への輝かしいビジョン)を語れる人物は、より多くの異性の関心を引きつけ、より望ましいパートナーを得やすい。

結婚相手を選ぶ際には、相手の遺伝的プロファイルやQSI、そしてその家系が持つ「物語資本」が、潜在的な子孫の「ナラティブ的資質」を予測するための重要な判断材料となる。

これは、愛やロマンスといった感情的な絆までもが、物語資本の再生産という冷徹な計算によって侵食されかねない、不穏な未来を示唆している。


そして、最も憂慮すべきは、このナラティブ遺伝主義とQSIによる選別が、人々の自己認識や存在意義そのものを深く規定してしまうことだ。

自らのQSIが低いと診断され、あるいはどんな物語を語っても十分な共感を得られないという経験を繰り返す中で、人々は「自分は語るべき物語を持たない人間なのだ」「自分は他者の心を動かすことのできない、価値の低い存在なのだ」という無力感や自己否定感に苛まれる。

彼らは、自らの内面にあるはずの固有の体験や感情の価値を見失い、SIDCOM上で称賛されるきらびやかな物語との比較の中で、常に劣等感を抱き続ける。

そして、その劣等感を覆い隠すために、他者の物語を模倣したり、あるいは虚偽の物語を演じたりすることで、ますます自分自身を見失っていくという悪循環に陥る。


「あなたの人生の物語は、誰の共感を呼ぶのか?」――この問いは、物語資本主義社会を生きる我々にとって、常に突きつけられる評価の刃である。

そして、その答えが、個人の努力や選択だけでなく、生まれ持ったQSIや遺伝的素養といった、抗いがたい要素によって大きく左右されるのだとすれば、それは我々の自由意志や人間的尊厳に対する深刻な挑戦となる。

我々は、自らの魂の物語を、本当に自分自身の言葉で語ることが許されているのだろうか。

それとも、見えざる遺伝子の設計図と、QSIという名の魂の序列によって、あらかじめその語るべき物語の内容と、その物語が呼びうる共感の限界が定められてしまっているのだろうか。


このナラティブ遺伝主義の囁きは、リサ・セント=クロノスが警告した「格差進化」が、単に能力や機会の不平等に留まらず、人間の「存在論的な階層化」――すなわち、「語るに値する魂」と「そうでない魂」との間の、根源的な選別――へと向かっている可能性を示唆している。

そして、この選別の究極的な形が、次章で論じる「デザインされる生命」――AIと遺伝子編集技術が、人間の生命そのものを、特定の目的や価値観に基づいて「設計」し、新たな「ポスト・ヒューマン」の胎動を促す未来――へと繋がっていくのだ。


物語は、かつて人間を繋ぎ、解放し、意味を与えるものであった。

しかし、霊子とQSI、そして遺伝的素養という新たなレンズを通して見るとき、その物語は、我々を分断し、束縛し、そして選別する、恐るべき力としても現れうる。

我々は、この物語の持つ両義性と、それが織りなす格差進化の深淵に、どこまで目を凝らし、そして立ち向かうことができるのだろうか。

その答えは、我々が自らの内に、そして他者との関係性の中に、どのような「物語」を見出し、そしてそれをどのような価値観に基づいて語り継いでいくかにかかっている。


旧世紀の詩人は歌った、「ペンは剣よりも強し」と。

二〇六五年の現代においては、こう言い換えられるかもしれない。

「物語は遺伝子よりも強し。

あるいは、物語こそが、最も強力な遺伝子なのかもしれない」と。

そして、その「物語遺伝子」の継承と進化の最前線に、我々は立っているのだ。


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