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格差進化論:SIDと霊子が織りなす新階層社会への道標 ――我々はいつから「分かたれる」ことを運命づけられていたのか?――  作者: 岡崎清輔
第3章:霊子(クアノン)と物語資本主義――あなたの「物語価値(ナラティブ・バリュー)」はおいくらですか?
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「物語が通貨となる時代」の到来:個人の体験、感情、記憶が市場価値を持つ。

「物語資本主義(Narrative Capitalism)」――この言葉を最初に提唱したのは、二〇四〇年代後半に活躍した文化経済学者、エリアス・ヴァーンであると言われている。

彼は、SIDCOMネットワークと霊子技術の普及が、従来の経済システムの基盤であった物質的な財や情報サービスに加え、新たに「物語」という非物質的な資源を主要な価値交換の対象へと押し上げていることを喝破した。

彼の洞察によれば、物語は、人々の感情を動かし、注意を引きつけ、行動を喚起し、そして何よりも「共感」という形で精神的なエネルギーを循環させる、現代社会における最も強力な「ソフトパワー」である。

そして、この物語の創造、流通、消費のプロセスが、新たな市場を形成し、富と権力の配分を決定づける、新しい資本主義の様態を規定するというのだ。


ヴァーンの理論は、当初は一部の先鋭的な知識人の間で議論されるに過ぎなかったが、二〇五〇年代に入り、物語の「共感度」や「影響力」を測定する「物語スコア」がSIDCOMプラットフォーム上で標準化され、それが「物語通貨(Narrative Currency, NC)」という形で限定的ながらも経済取引に利用され始めると、急速に現実味を帯びてくる。

物語通貨は、当初は特定のオンラインコミュニティ内での評判システムや、クリエイターへの投げ銭のような形で流通していたが、やがて企業が広告やマーケティングの効果測定、あるいは従業員のエンゲージメント評価に物語スコアを導入し始め、さらには一部の先進的な自治体が、地域貢献活動やボランティアに対する報酬として物語通貨を試験的に採用するに至り、その社会的・経済的な影響力は無視できないものとなった。


二〇六五年の現在、物語通貨は、法定通貨(いまだに国家や中央銀行が発行するデジタル・クレジットが並存している)を完全に代替するには至っていないものの、特に情報・エンターテイメント産業、教育、コンサルティング、そして個人の評判や社会的信用が重視される多くの分野において、実質的な価値交換の媒体として機能している。

高い物語スコアを持つ個人は、より良い仕事の機会を得やすく、社会的な発言力を持ち、そして物語通貨を通じて経済的な豊かさを享受することができる。

逆に、低い物語スコアしか持たない個人は、社会的に評価されにくく、経済的にも不利な立場に置かれがちだ。


では、この「物語」とは、具体的に何を指すのだろうか。

物語資本主義における「物語」は、旧世紀的な意味での小説や映画、演劇といった完成された芸術作品だけを意味するのではない。

それは、個人の日々の体験、感情の起伏、ささやかな気づき、困難を乗り越えた経験、他者との心温まる交流、あるいは社会に対する問題提起や未来へのビジョンといった、あらゆる「語られる(あるいはSIDを通じて伝達される)経験」の総体である。

重要なのは、その内容の壮大さや芸術性の高さよりも、それがどれだけ他者の「共感」を呼び、感情を動かし、そしてSIDCOMネットワーク上で「拡散」されていくか、という点なのだ。


例えば、あなたが今日体験したささやかな出来事――道端で見つけた美しい花、見知らぬ人から受けた親切、仕事で直面した小さな困難とそれを乗り越えた達成感――を、あなたのSIDを通じて、誠実な感情と巧みな表現(それは必ずしも言語的である必要はなく、感情の波形やイメージの断片といった形でもよい)を伴って発信する。

それが、あなたの友人やフォロワーの心に触れ、彼らが「共感」のシグナル(これもSIDを介した微弱な精神的フィードバックである)を送り返し、さらに彼らがその物語を自身のネットワークに「再話リナレーション」することで、あなたの物語は波紋のように広がっていく。

そして、その共感と拡散の総量が、あなたの「物語スコア」を上昇させ、物語通貨へと換算される。


このシステムは、一見すると、誰もが自らの人生の主人公となり、その生き様そのものが価値を持つという、極めて民主的で人間的な経済モデルのように見えるかもしれない。

特別な才能や莫大な資本を持たなくても、誠実に生き、他者と共感し合うことで、誰もが「物語資本家」となれる可能性がある。

しかし、現実はそれほど単純ではない。

物語資本主義は、その華やかな謳い文句の裏で、新たな、そしてより巧妙な格差と選別のメカニズムを内包しているのだ。


第一に、「共感の市場」における不平等である。

物語の価値が「共感」の量によって決まるとすれば、どのような物語がより多くの共感を集めやすいのか、という問題が生じる。

SIDCOMのアルゴリズムは、一般的に、ポジティブで、感情的で、分かりやすく、そして既存の社会規範や価値観に沿った物語を優先的に拡散する傾向がある。

逆に、複雑で、曖昧で、批判的で、あるいは少数派の視点に立った物語は、共感を得にくく、スコアも上がりにくい。

これは、文化の多様性を損ない、社会全体の思考を均質化させる危険性を孕んでいる。

また、SIPSのトラウマ以降、SIDCOMプラットフォームは過度なネガティブ感情や攻撃的な表現をフィルタリングする傾向を強めており、それによって、社会の矛盾や不正を告発するような「不都合な物語」は、そもそも人々の目に触れる機会すら奪われかねない。


第二に、「物語る能力」の格差である。

誰もが体験や感情を持っているとしても、それを他者の心に響く「物語」として効果的に表現する能力には、当然ながら個人差がある。

高いQSIを持ち、言語表現や視覚的イメージの扱いに長け、感情の機微を巧みに操り、そしてSIDCOMのプラットフォーム特性を熟知した人々――いわゆる「ナラティブ・スキル」の高い人々――は、たとえ平凡な体験であっても、それを魅力的な物語へと昇華させ、多くの共感と高いスコアを獲得することができる。

一方で、内向的で、表現が苦手で、あるいはテクノロジーの扱いに不慣れな人々は、たとえ貴重な体験や深い洞察を持っていたとしても、それを効果的な物語として発信できず、その価値は埋もれてしまう。

この「ナラティブ・スキル」は、教育や訓練によってある程度は向上するものの、個人の持って生まれた才能や気質、そして幼少期からの文化的環境にも大きく左右されるため、努力だけでは埋められない格差が生じやすい。


第三に、「体験の格差」と「感情資本」の偏在である。

物語の源泉となるのは、個人の体験や感情である。

しかし、そもそもどのような体験をし、どのような感情を抱く機会があるのかという点で、既に人々の間には大きな格差が存在する。

経済的に豊かで、社会的なネットワークに恵まれ、様々な文化や刺激に触れる機会の多い人々は、それだけ多様で、魅力的な物語の「素材」を蓄積しやすい。

彼らは、希少な旅行体験、著名人との交流、あるいは感動的な社会貢献活動といった、「スコアになりやすい」体験を追求し、それを効果的に物語化することで、自らの「感情資本(Emotional Capital)」を増大させていく。

一方で、日々の生活に追われ、単調な労働に従事し、社会的に孤立している人々は、語るべき物語の素材そのものが乏しく、感情資本を蓄積する機会も限られる。

彼らの人生は、SIDCOM上では「退屈な物語」「共感を呼ばない物語」として扱われ、物語スコアは低迷し、経済的・社会的な悪循環から抜け出しにくくなる。


第四に、**AIによる物語生成と「物語のコモディティ化」**の進行である。

AIは、人間の感情パターンや物語構造を学習し、特定のターゲット層に最適化された、極めて効果的な物語コンテンツを自動生成する能力を急速に高めている。

企業のマーケティング部門や、一部のナラティブ・クリエイターは、既にAIを駆使して大量の「共感を呼ぶ物語」を生成し、SIDCOM上に投入している。

これにより、物語の供給量は爆発的に増加し、個々の物語の希少価値は相対的に低下する。

「物語のコモディティ化」である。

このような状況では、よほど独創的で、強い感情的インパクトを持つ物語でなければ、人々の注意を引きつけ、高いスコアを獲得することは難しくなる。

そして、その「独創性」や「感情的インパクト」すらも、いずれはAIによって模倣され、凌駕されてしまうのではないかという懸念は、人間の物語創造者たちにとって深刻な脅威となっている。

もし、人間の感情や体験が、AIによって効率的に「物語化」され、消費されるだけの「資源」となってしまうならば、我々自身の存在意義すら問われかねない。


第五に、そして最も根源的な問題として、「物語の真正性オーセンティシティ」の危機である。

物語の価値がスコアによって定量化され、それが経済的・社会的報酬と直結するようになると、人々は、自らの内発的な動機や誠実な感情から物語を紡ぐのではなく、高いスコアを得るため、あるいは他者からの承認を得るために、意図的に感情を操作し、体験を脚色し、あるいは虚偽の物語を捏造する誘惑に駆られる。

SIDCOMプラットフォーム上では、既に、巧妙に演出された「感動ポルノ」や、実体験に基づかない「フェイク・ナラティブ」が後を絶たない。

霊子スキャニング技術やAIによる真実性検証アルゴリズムも開発されてはいるが、人間の巧妙な嘘や自己欺瞞を完全に見抜くことは困難だ。

そして、一度「物語の真正性」に対する信頼が失われれば、物語資本主義のシステム全体が、虚構と欺瞞の上に成り立つ砂上の楼閣と化してしまう危険性がある。

我々は、他者の物語を信じることができなくなり、自らの物語すらも、スコアのためのパフォーマンスではないかと疑心暗鬼に陥る。

その結果、SIDCOMが目指したはずの「共感のネットワーク」は、むしろ不信とシニシズムの温床となり、人間関係は表層的で計算高いものへと変質していく。


このように、「物語が通貨となる時代」は、個人の内面的な豊かさや共感力を新たな価値として称揚する一方で、その価値をめぐる熾烈な競争と、巧妙な選別のシステムを生み出し、人間存在の最も根源的な領域にまで市場原理を浸透させている。

体験は「物語の素材」となり、感情は「共感資本」となり、記憶は「アーカイブすべきデータ」となる。

そして、それらを効果的に「物語化」し、市場で「換金」する能力が、個人の社会的運命を左右する。


この物語資本主義のシステムは、旧世紀の物質的資本主義や情報資本主義が抱えていた格差の問題を解消するどころか、むしろそれをより深層の、より不可視なレベルで再生産し、強化しているのかもしれない。

なぜなら、それは、我々の「魂」そのものを、新たな資源として、そして新たな格差の源泉として収奪し、商品化していくからだ。


では、この「物語る能力」や、その根底にあるとされる「共感力」、そしてそれを支えるQSIといった資質は、一体どこから来るのだろうか。

それは、個人の努力や才能だけで決まるものなのか、それとも、より根源的な、生まれ持った何かに左右されるものなのか。

そして、もし後者であるとすれば、それは「格差進化」の力学にとって、何を意味するのだろうか。


次項では、この物語資本主義の深層に横たわる、より不穏な可能性――「ナラティブ遺伝主義」という名の、新たな優生思想の囁きと、QSIや遺伝的素養による静かな選別の現実――に焦点を当て、それが我々の「物語」と「進化」の未来に、どのような影を落としているのかを考察していく。

あなたの人生の物語は、本当にあなた自身のものなのだろうか。

それとも、見えざる何かの力によって、あらかじめその価値が定められているのだろうか。


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