SIPS(SID誘発性心音症候群)の悲劇と、2048年「大消去」がSID社会に刻んだトラウマ。
SID技術、特に人間の情動や記憶といった深層意識にまでアクセスする新型SIDの開発と普及は、人類の認知能力と精神世界のフロンティアを劇的に拡大する一方で、その黎明期から常に深刻な副作用と倫理的ジレンマという暗い影を伴っていた。
その中でも、SIDCOM社会の形成期において最も広範かつ深刻な影響を与え、今日に至るまでトラウマとして記憶されているのが、**SIPS(SID-induced Psychosonic Syndrome:SID誘発性心音症候群)**と呼ばれる一連の精神神経症状である。
SIPSの最初の症例が報告されたのは、新型SIDの限定的な商用化が始まった二〇三〇年代後半のことだった。
当初は、一部のSIDユーザーに見られる原因不明の精神変調――例えば、極度の感情の平板化、現実感の喪失、幻聴や幻視、あるいは突発的な暴力衝動など――として扱われ、個人の精神的脆弱性やSIDへの不適合が原因と考えられていた。
しかし、SIDの普及率が急速に高まり、特にSIDCOMネットワークを介した他者との思考・感情共有が一般化するにつれて、同様の症状を訴える患者が指数関数的に増加し、これが単なる個人的な問題ではなく、SIDテクノロジーそのものに内在する構造的な欠陥、あるいは未知の副作用である可能性が強く疑われるようになった。
SIPSのメカニズムについては、今日に至るまで完全に解明されたわけではない。
しかし、最も有力な仮説とされているのは、SIDCOMネットワークを通じて絶え間なく流入する他者の思考、感情、記憶といった膨大な情報(いわゆる「サイコソニック・ノイズ」)が、個人の精神的処理能力の限界を超え、自我の境界を侵食し、脳内の情報処理システムに深刻な過負荷や誤作動を引き起こすというものである。
特に、感受性の強い個人や、精神的に不安定な状態にある個人、あるいはSIDのフィルター機能やAIアシスタントによるノイズキャンセリング機能が不十分であった初期のユーザーにおいて、SIPSの発症リスクが高かったとされる。
SIPSの症状は多岐にわたり、個人差も大きかったが、共通して見られたのは、自己と他者の区別が曖昧になり、現実と虚構の境界が崩壊し、そして「自分自身の魂がどこにあるのか分からない」という根源的な不安と恐怖であった。
患者たちは、自分の思考や感情が他者に乗っ取られているかのように感じたり、逆に他者の強烈な感情が自分の内側から湧き上がってくるような体験をしたりした。
SIDを通じて流れ込む美しい音楽が、耐え難い苦痛を伴う不協和音として聞こえたり、愛する人の優しい言葉が、悪意に満ちた囁きとして認識されたりすることもあった。
重症化すると、完全な人格解離や緊張病状態に陥り、日常生活が不可能になるケースも少なくなかった。
そして、最悪の場合、自傷行為や他害行為、あるいは原因不明の突然死に至ることもあった。
SIPSの悲劇は、SIDCOM社会のユートピア的な喧伝――万人が繋がり、理解し合い、共感し合える世界――の裏に潜む、恐るべきディストピア的側面を白日の下に晒した。
SIDテクノロジーが、人間の精神を解放するどころか、むしろそれを脆弱化し、外部からの情報や他者の感情によって容易に侵食され、破壊されうるものに変えてしまう危険性。
そして、その危険性が、個人の資質や選択だけでなく、SIDCOMという巨大なネットワーク・インフラそのものの設計思想や運用体制に起因する可能性。
これらの事実は、SIDテクノロジーに対する社会の楽観的な信頼を根底から揺るがし、深刻な不安と不信感を引き起こした。
SIPSのパンデミック的な拡大に対し、SIDCOMコーポレーションや各国の規制当局の対応は、当初、極めて鈍く、不十分なものであったと言わざるを得ない。
問題の矮小化、情報の隠蔽、そして責任の転嫁。
SIDの普及によって莫大な利益を得ていた企業や、テクノロジーによる社会変革を推進していた政府は、SIPSの深刻さを認めることに消極的だった。
その結果、多くのSIPS患者とその家族は、適切な治療や支援を受けられないまま放置され、社会から孤立し、絶望の淵に追いやられた。
この時期、アンプラグド(SID非接続者)の人々や、SIDテクノロジーに対して批判的な立場を取る一部の知識人、市民団体は、SIPSの危険性を訴え、SIDの利用停止や厳格な規制を求めて声を上げたが、その声は、SIDCOMが作り出す情報環境の中では、しばしば「反進歩的」「テクノロジー恐怖症」といったレッテルと共に周縁化された。
しかし、SIPSの犠牲者が増え続け、その悲惨な実態が隠しきれなくなると、社会の雰囲気は一変する。
二〇四〇年代初頭から半ばにかけて、SIPS問題はSIDCOM社会全体を揺るがす最大の社会問題へと発展し、各地でSID利用に反対する大規模なデモや抗議活動が発生した。
一部では、SIDCOMの関連施設や研究機関に対する破壊活動やサイバーテロも行われ、社会は深刻な混乱と分断に見舞われた。
この時期は、後に「AIインフォデミック」とも呼ばれる、AIによって生成・拡散された偽情報や陰謀論がSIDCOMネットワーク上に蔓延し、人々の不安や対立をさらに煽った時代でもあった。
何が真実で、何が虚偽なのか。
誰を信じ、何を疑うべきなのか。
SIDCOMが提供するはずだった「透明な情報共有」は、むしろ情報汚染と不信感の温床と化していた。
このような社会の混乱と、SIDテクノロジーに対する根本的な不信感が頂点に達したのが、二〇四八年に発生した「大消去(The Great Erasure)」と呼ばれる一連の事件である。
この「大消去」の全貌については、公式記録が乏しく、多くの情報が錯綜しており、今日なお謎に包まれた部分が多い。
しかし、複数の独立した調査報告や、当時を知る人々の断片的な証言を総合すると、それは、SIPS問題やAIインフォデミックによって社会の不安定化を恐れたICA(国際制御局)を中心とする国際的な権力機構が、SIDCOMネットワークの安定と秩序を回復するために、半ば強権的に介入し、一部の「不安定要素」と見なされた個人や集団を、物理的あるいは情報的に「消去」した事件であったと考えられている。
「消去」の対象となったのは、主に三つのグループであったとされる。
第一に、SIPSの重症患者や、SIDテクノロジーに対して過激な反対運動を展開していた活動家たち。
彼らは、社会の安定を脅かす「ノイズ源」として、SIDCOMネットワークから強制的に切断され、隔離施設に収容されたり、あるいは行方不明になったりしたと噂されている。
第二に、AIインフォデミックを主導し、偽情報や陰謀論を拡散していたとされるハッカー集団や、特定の政治的意図を持つ情報工作組織。
彼らのデジタル・アイデンティティや活動履歴は、SIDCOMの深層レベルから文字通り「消去」され、その存在の痕跡すら抹消されたと言われている。
そして第三に、これは最も不確実で、かつ不気味な情報であるが、アメリカ内戦(二〇三七~二〇四八年)において、旧来の価値観やテクノロジー拒否を掲げて抵抗を続けていたネオ・フェデラリストの残党や、そのシンパの一部もまた、この「大消去」の対象となったという説がある。
彼らは、SIDCOM社会の進化の方向性とは相容れない「時代錯誤な存在」として、新しい秩序の建設の過程で「清算」されたのかもしれない。
この「大消去」は、確かにSIDCOMネットワーク上の一時的な混乱を収束させ、SIPSの発生率も(公式発表では)大幅に低下させる効果をもたらした。
ICAは、これを「SIDCOM社会の再生と安定化のための不可避な措置」として正当化し、多くの市民もまた、長引く混乱からの解放と秩序の回復を歓迎した。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
言論の自由やプライバシーの権利は著しく制限され、SIDCOMネットワークはICAによる強力な監視と管理体制下に置かれることになった。
異論や批判は「社会の安定を脅かす危険思想」として抑圧され、個人の思考や感情は、より巧妙なアルゴリズムによって誘導され、標準化される傾向が強まった。
そして何よりも、「大消去」の記憶は、SIDCOM社会に拭い去りがたいトラウマを刻み込み、人々の中に、見えざる権力に対する根源的な恐怖と、自らの魂がいつ「消去」されるかもしれないという潜在的な不安を植え付けた。
SIPSの悲劇と「大消去」のトラウマは、SIDCOM社会の進化の軌跡に、二つの大きな影響を与えた。
一つは、**SIDテクノロジーの安全性と倫理に対する極端なまでの慎重さ(あるいは臆病さ)**である。
これ以降、新型SIDの開発や、既存SIDの機能拡張(特に深層意識へのアクセスに関わるもの)は、極めて厳格な倫理審査と社会的な合意形成が求められるようになり、その進展は著しく遅くなった。
SIDCOMコーポレーションは、ユーザーの精神的安定を最優先とし、AIアシスタントによるノイズキャンセリング機能や、感情フィルタリング機能を大幅に強化した。
その結果、現代のSIDCOMは、ある意味で「過保護」なまでにクリーンで、安全で、しかし同時にどこか無菌的で、刺激の少ない情報環境となっている。
人間の精神の最も深く、最も混沌とした領域――創造性の源泉でもあり、同時に狂気の淵でもある場所――へのアクセスは、再び厚い壁の向こうに封印されたかのようだ。
もう一つの影響は、社会全体の同調圧力の高まりと、異質性への不寛容である。
SIPSやAIインフォデミックの経験は、社会に「逸脱」や「異端」に対する強いアレルギー反応を生み出した。
SIDCOMのアルゴリズムは、平均的な思考や感情のパターンから外れる個人を「潜在的なリスク源」として検出し、彼らを社会の主流から孤立させ、あるいは「矯正」しようとする。
個人の「物語スコア」は、その人物の社会的適応度や協調性を示す指標としてますます重視されるようになり、スコアの低い者や、既存のナラティブに異を唱える者は、SIPSの再来を恐れる大衆からの見えざる排斥圧力に晒される。
このような環境では、真に独創的な思考や、少数派の権利を擁護する声は育ちにくく、社会全体が緩やかな知的・精神的停滞へと向かう危険性すらある。
SIPSの悲劇は、SIDCOMが約束した「接続されたユートピア」が、いかに脆く、危険なバランスの上に成り立っているかを我々に教えた。
「大消去」のトラウマは、そのバランスを維持するために、我々がどれほどの自由と多様性を犠牲にしてきたかを問いかける。
そして、これらの経験を経てもなお、我々はSIDCOMへの依存から逃れることができず、その利便性と引き換えに、魂の奥深くを見えざる力によって管理されることを受け入れている。
この歴史の暗部を踏まえた上で、我々は次に、SIDCOMへの「接続」という行為そのものが、現代社会においてどのような能力格差を生み出し、そして接続を選ばない、あるいは選べない「アンプラグド」の人々を、どのような社会的状況へと追いやっているのかを、より具体的に見ていかなければならない。
彼らは、この「格差進化」の潮流の中で、単なる進化の傍流、あるいは時代遅れの抵抗者に過ぎないのだろうか。
それとも、我々「接続者」が失ってしまった何か大切な価値を、その孤独の中で守り続けている存在なのだろうか。