壱ノ八
キッセは走った。
走って、走って、力尽きるまで走った。
(何でガロなんかに生まれたのだろう……)
誰にも祝福されず生まれ、住む場所も食べる物も無く、ただ、生きているだけで睨まれ罵られる。こんな理不尽な世の中に怒りがこみ上げた。
それと同時にミッケを見捨てた己を憎み、この世のすべてを恨んだ。
逃げるように町を走り抜け、秘密の入り口に駆け込み、森の広場まで逃げると、キッセはその場で嘔吐した。
暗闇の中でもキッセには、はっきりと見えた。
ニヤニヤしながら弱い者を憂さ晴らしに、いたぶる奴らの顔が――何度も何度も頭の中に駆け巡った。
空っぽの腹底から胃の汁と共に、次から次へと込み上げてくる何かを、キッセは吐きだし続けた。
その晩、キッセは怖くてたまらなかった。
いつもは心地よい森のざわめきが恐ろしく感じた。
恐怖と暗闇の中、どこからかともなく助けを求めるミッケの声が聞こえてくる。
どうして、助けに行かなかった?
あいつはもう、助からない。
だからって、最後に殴られて死ぬなんて……。
まだ、生きているかも。
いや、もう死んでいる……。
なぜ、助けに戻らない。
でも、まだ、いや――何度も何度も、頭の中でグルグルと自問自答が続き、いくら耳を塞いでもミッケの苦しむ悲鳴がキッセに襲いかかった。
腹と背中がくっつくぐらい空腹だった腹は何にも感じず、気を抜けば、自分もミッケと同じように誰かに殴り殺されるかもしれない。
そう思うと、キッセの小さな胸の中は捻じれて砕けてしまうくらい、深い痛みと恐怖で埋もれた。
キッセは震える身を抱えるように、小さく縮こまりながら、巨樹の太い枝のくぼみにその身を隠した。
闇夜の森に吹く風が強くなってきた。
いつの間にか晴れていた夜空に、黒い雲の影が現れた。
途切れとぎれの影雲の間を、有明月のほっそりとした顔が見え隠れしている。
その細い月の隣を小さき蒼い妖星が、寄り添うように孤を描いているのをキッセは気づくことなく、その場にうずくまって夜を過ごした。
♢♢♢
翌朝、細かい雨がシトシトと降る中、キッセは悩んだ挙句、ミッケの様子を見に戻ることにした。
重い足取りで、納屋が焼かれたその場に近づくと、大勢のカロックたちで人集りができていた。
現場を見たカロックたちは口ぐちに聞こえてくる。
「――厄介者だからって、子ども相手に惨いな……」
「いくら何でも、あそこまで……」
顔をしかめながら、その場を離れていく――キッセは慄然とした。
もう、側まで行かなくても、どういう状態になっているのか……。グっと胃の辺りが締め付けられるのをこらえて、キッセはその場を後にした。
放火はキッセたちの納屋の他にも貧しい民家などが狙われ、焼け跡は多数あった。――優しさの欠片もない町だったが、今までこんなことは一度も無かった。
軽傷の子や行き場が無くなった孤児たちはチリチリになりながら、誰もが見落としそうな町の隙間に身を寄せていた。
この放火を機に、横李の町で細々と暮らしていた環獣の中には、荷車にたくさんの荷を詰めて、町から逃げ出す者まで現れた。
横李の町で何かが起こり始めていた。けれどキッセにはもう、どうでもよかった。
この日を最後に、横李でキッセの姿を見ることは無かった。
青珠の妖星が天高く輝く下で、ガロの少女が生きていた。
人獣のリロック
半獣のカロック
獣のガロ
言葉をあやつり、五本指の手足がある。人と獣が相混じる環獣が暮らす世界。
けして人の姿を見た者はいなかった。