玖ノ五
「キッセ、何だか浮かない顔しているね」
馬車の車内で薔薇の花の好い香りが漂う中、目の前に座っていた寧照が言った。
「大丈夫です……」
初めてリロックを見たのは宙定だったせいなのか、リロックという還獣は、少しひねくれているのが多いと思った。
青都でも市井に居た時は、リロックを見かけることは少なかったが、華族地区にきてからは、リロックに生まれると華族になれるのではないか、というぐらい華族にはリロックしかいなかった。
そして、どの華族も咲萄や悠婉の母と娘みたいに、ガロを毛嫌いするか、目もくれないリロックがほとんどだった。
けれど寧照は違った。元々華族の生まれではないとはいえ、寧照は、ガロのキッセにとても丁寧に接してくれる。キッセだけではない、下男、下女にもけして横柄な態度とることはなかった。
キッセの仕事は女中として屋敷で働きながら、寧照の通訳として同行することだ。
キッセは蒼語と朱明語が話せる。
いまだに何故、蒼語と朱明語の言葉を話せるのかは、キッセ自身よくわからなかった。宙定に初めて二つの言葉を使い分けられることを指摘されて以来、キッセは自らが会話すとき、言葉に気を付けて話しているが、やはり言葉を使い分けている実感が全くなかった。
普通に聞こえた言葉を普通に話している。今も寧照の通訳などと言われているが、一体何を通訳しているのか、分からなかった。
そんな状態なので、本当に通訳をしているのか悩んだこともあったが、今のところ通訳で失態に至ったこともなく、いくら考えても答えは見つからないので、いつの間にかキッセはこのことについて考えるのをやめた。
そもそも寧照には立派な師がいるので十分に朱明語が話せた。キッセがここに来た当時は、寧照も難しい単語などが分からなかったため、キッセも同行していたが現在は特に必要なかった。
それなのに寧照はキッセを連れて行く、それには意味があった。
寧照に同行し始めた当時、朱明国の者との商談について行った時だった。
相手は策達の知人の紹介の者だったが、これがどう見ても怪しかった。
普段なら冷静な寧照も、父からの頼まれた初めての大きな仕事だったため、どうしても成功をおさめた気持ちが焦っていたこともあった。
キッセは使用人という立場でありながら寧照に忠告した。寧照もガロの使用人なんぞに忠告され腹を立てたが、キッセに言われ冷静さを取り戻し、それでも迷うに迷い、もう少しで商談成立だったところを断ったのだ。
帰宅後、寧照から話を聞いた策達は激怒したが、後日その相手が詐欺師として捕まりキッセのクビもまぬかれた。
今では笑い話になるが、もし寧照が断らずあの話に乗っかっていたら、大損害になっていたところだった。
そんなこともあり、朱明語が堪能になった今も寧照は、キッセは御守りみたいな感じで同行させていた。
キッセも一日中屋敷でこき使われるより、時々こうして屋敷の外に出れるのは気分転換になるし、寧照の商談中は部屋の隅が隣の部屋で座っているので楽だった。
江汐を出て、もっと酷いところで、働かせられると思っていたが、意外にも働き先は悪くなく、何やかんやと、はや三年が経ちキッセは一七歳になっていた。
相変わらずやせっぽっち体型は変わりないが、背丈は少し伸び、少女らしさの顔つきが抜け成獣になりつつあった。




