壱ノ五
この日はとても暑い日だった。
朝早くから町の外れまでうろついたが、特にこれといった収穫も無く、気づいたら昼過ぎになっていた。
雲一つない空の真上に太陽がいる。暑さに負けたキッセは、森へ行くことにした。
町外れの街道から少し外れた所に、鬱蒼とした木々に覆われている所がある。その中に幹が白っぽい細い木が一本見える。
キッセは少し離れた所で辺りを見渡し、誰もいないのを確認した。
その木の根元の近くに秘密の入り口があるのだ。
用心深く、もう一度誰もいないのを確認し、キッセは素早くその秘密の入り口へと入っていった。
小柄なキッセが四つん這いになって、やっと通れる細い獣道。
入り口近くは、四つん這いでも狭く細い道だが奥へ、奥へと進むにつれ、キッセの大きさなら立って歩ける高さになる。
しばらく歩き獣道のトンネルを抜けると、木々に囲まれた開けた場所に出た。
すぐ側には綺麗な湧き水が湧いており、小さな小川が流れていた。
真夏の強い日射しは、青々とした木の葉に遮られ、透ける青葉の淡い陽が、森の広場を別世界のように見せた。
「やっぱり、ここは涼しいな」
キッセは両腕を上げ、ぐーっと背を伸ばした。
こんこんと湧く清水を両手ですくって喉を潤し、顔を洗った。冷たい湧き水を浴びると気分が清々しい。
ザワザワと風が吹くと、夏の森の匂いが鼻につく。
横李は蒼国の内陸・山間部に位置し、冬が雪が多く、夏は高温多湿だ。
暑さもそうだがこの湿度が何より辛い。毎年のことだが体にこたえる。
風に揺れる、青葉の隙間から洩れた日射しが、小川をキラキラと光らせた。
木の枝に留まっている小鳥の嘴には、捕えた青虫が咥えられていた。巣に持ち帰るのだろう。
小鳥たちはひっきりなしに囀り、姿こそ見えないが、小さな毛の物〈獣〉たちが近くにいるのを感じる。森の住人たちは、おのおの子育てに忙しく、森の中はどこかせわしく感じた。
キッセは大きく胸いっぱいに息を吸った。
森は多くの生命で溢れている匂いで満ちている。キッセは軽く目をつむり、しばらくの間その場にたたずんだ。
少ししてから、サラサラと流れる小川をヒョイっと飛び越し、キッセは森の奥へと歩いて行った。
ここまで来ると森の住人以外、誰にも会うことはない。見渡すと目印一つない森に見えるが、キッセは迷うことなく、キッセにしか判らない森の道を歩いて行った。
すると、目の前に大きな巨樹が現れた。
大きさもだが巨樹の青緑色の葉が、他の木より一段と森の中で浮き出して見える。
ずっしりとした太い幹に、キッセの体よりも大きな根っこがむき出しになっていた。深い皺のような樹皮が、この巨樹の長い年月を物語っていた。
水分を含んだ苔には、いろんな種類の小さな植物や虫たちが棲みついており、この巨樹と共存していた。
「いつ見てもデカいな……」
キッセは根元から巨樹を見上げると、高い枝から枝へと数匹の栗鼠が戯れていた。
キッセは手慣れた様子で太い幹にある小さな出っ張りや、凹みを上手に使って、スルスルと巨樹を登っていった。
根元から見上げると全くわからないが、登ると太い幹と枝の間に、穴のような窪みがある。この窪みが小柄なキッセの体に合っていて、くつろぐには丁度よかった。
この場所を発見したのは偶然だった。
小型の毛の物が、あの秘密の入り口付近で、すっと消えていくのを何度か見かけた。不思議に思ったキッセは辺りを調べてみると、あの獣道を見つけたのだ。
暇つぶしに幾度か探索をしていたら、この場所にたどり着いた。――運がいいなとキッセは思った。
今やここは、キッセにとって大切な場所だった。この巨樹に体を預けると、キッセに棲みつくドロっとした粘っこい何かが、洗い流される気がした。
キッセは安心したのか、ウトウトとし始め、いつの間にか眠ってしまった。
♢♢♢
「ふぁあぁぁ……」
目が覚めると辺りはすっかり薄暗くなっていた。
キッセは大きなあくびをし、体を伸ばした。
「すっかり寝ちまったよ」
日が暮れれば幾分か暑さも和らいでいるはず。暗くなれば何か食べ物にありつけると思い、キッセは町に戻ることにした。
森を抜け、街道に出ると、キッセの鼻がヒクヒクとひくついだ。
微かに感じるその臭いにキッセの眉間シワのが寄った。きな臭い臭いだが、農夫の野焼きのニオイではない。
「――野焼きなら真昼にやるはず」
キッセは何だか嫌な予感がした。
臭いは町に近づくにつれ、徐々に濃くなっていく。キッセは近くの背の高い木に登り、町の方角を見た。
遠くにもうもうと真っ黒い煙が上っている。
(まさか!)
キッセは木から飛び降りると、急いで町へと走った。