玖ノニ
クーリツは厨房の奥で、茶器一式の準備をしていたキッセを呼んだ。
「茶はエマリンに運ばせて、あなたはロクマンと若様の所へ」
「ロクマンさんはどちらに?」
「お嬢様方とお庭にいます」
キッセの顔が一瞬曇った。
キッセの表情が曇ったのは、この屋敷のお嬢様、悠婉はガロが好きではなかったからだ。学友の前にキッセが現れたら、機嫌を損ねるであろう。
悠婉は決して文句は言わない――いや、言えないのはわかっているが、悠婉の前に行くのは気が引ける。
それを察したのかクーリツは眉一つ動かさず
「旦那様から何も言われていませんから気にしないように。それと、ネシャに今朝咲いた、白色の薔薇の花をみつくろうようにと」キッセに言った。
(ロクマンにキッセと、忙しいっていうのに……)
クーリツは心の中で小言を言うと、気を取り直し指示をし始めた。
キッセはクーリツに言われたとおり、エマリンに茶器の乗った盆を託した。
階段を上がり上の部屋へ向かう途中、降りてきた上女中のミットスが、あっと声を上げた。
「キッセ! 上の階に行くなら、若様に奥方さまが呼んでいるって伝えてくれるかい?」
「分かったよ」
キッセも気を取り直すと、いきよいよく階段を駆け上がって行った。
この屋敷の当主、策達。その策達には亡き妻との間に寧照と保僚の二人の息子おり、再嫁の咲萄には亡き夫との間に悠婉の一人娘がいた。
悠婉のガロ嫌いは異常だ。母親が再縁する前までは、屋敷内の使用人にガロを使うことをけして許さなかった。ガロが少しでも自分の視界に触れたら時の怒りようは、それはもう大変だったとエマリンが言っていた。
そんなガロ嫌いの悠婉だが今は毛嫌いすることを許されなかった。
当主の策達はカロック。咲萄、悠婉、寧照はリロックだが、策達の末息子の保僚がガロだからだ。
いくら策達が妻、咲萄の言うことをなんでも聞くとは言っても、末息子のガロを部屋に閉じ込めるようなことは決してしない。
悠婉も母にきつく注意されているのであろう、母の再縁から悠婉はガロに対して声を出して怒ることは一度もなった。
ただガロを見る時のあの目つきがキッセは嫌いだった。
「若様、若様……」
呼びかけられ、振り向くとキッセがいた。
もう、一年近くたつのに寧照は若様という名称になかなか慣れない。
「若様、クーリツさんから聞きました。今、ロクマンさんを呼びに行くところです。それと奥方さまが若様をお呼びでございます」
「ああ、わかった……」
寧照が苦笑した。
「……その若様って呼び方にはなかなか慣れないな」
キッセもそう思ってはいるが、口には出さない。一年前までは若旦那と呼んでいた寧照は、慣れない生活なのか、この屋敷に住み始めて少しやせたように見える。
「清上華族や、三名家でもないのにな……」
寧照が言いたいのもわかる。いくら華族になったとはいえ、上には上がいる。この家は上位華族のように龍淵宮に昇殿はできない、名だけの地下華族なのだ。
「それよりキッセ、おとっさんを見なかったかい?」
キッセは軽く惑うようなに寧照を見ると、寧照もう一度深いため息をついた。
「――父様と母様か…… 全く、この華族というのは……」
そう言ってキッセから策達の居場所を訊くと、寧照はその場を後にした。




