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蒼碧のつかい  作者: ひよよ
上ノ編
50/65

漆ノ六


 蒼国そうこくの西にそびえたつ碧巌竜脈へきがんりゅうみゃくの山脈の向こう側にある、溶炎ようえん朱明国しゅめいこく。この国は長きにわたり内粉が続きていた。

 蒼国そうこく朱明国しゅめいこくの間には、碧巌竜脈へきがんりゅうみゃくとその碧巌竜脈へきがんりゅうみゃくから続く竜尾半島りゅうびはんとうが隔たっていた。雲より天高くそびえ、切り立った崖の山脈を陸路で超えるのはほぼ不可能であった。

 唯一、両国の入国方法は海路のみだった。

 数十年前までは、複雑な海流のため、入国には難しかったが、ここ最近は蒼国そうこくの側の海流がピタリを大人しくなり、そのため朱明国しゅめいこくからの亡命が後をたたなかった。

 特に裕福な商家や貴族などが、蒼国そうこくに次々と亡命し、そして彼らは、蒼語そうご朱明語しゅめいごを話す下男や下女を要望していた。



「なんだかキッセって、不思議な子だね。売るのがほしいな」

「おいおい! もう少しで契約書を書き終えるから、気を変えるのはやめておくれ」

 宙定ちゅうていの突拍子もない言葉にアーマが慌てた。



「売る売るって、私をどこに売る気だ!」

「どこにしようか? ――花街はなまちって言ったらどうする?」

 バカかと、ふんっとキッセは鼻をならすと、ははーんと、宙定は何かをさして目を細めた。


「君、自分がガロだから妓楼ぎろうには売れないって思っているでしょ? ――でもね。世の中には色んな嗜好しこうの持ち主がいるんだよ」

 一瞬ギョッとしたキッセを宙定ちゅうていはニコニコしながら

「でも安心して。君はもっと高く売れるところがあるから」

 宙定の冷やかしにキッセは無言になった。

 

 キッセは少しの間しばらく黙り、ポツリと言った。

「――私は高く売れるのか?」

『まあね。本当に二ヶ国語を話せる還獣クワンシュは貴重なんだよ。それに……』


 宙定ちゅうていはキッセの目の前でしゃがみ、自分の目に触れてからキッセの左目を指さした。


『その青い眼。薄いけど君、片目が青いだろ。青珠あおだまは幸運をもたらすって言われているから、華族や商家に大人気なんだ』


『だったらその分け前を私はもらえる権利がある』

 突然のキッセの言い分に、宙定ちゅうていは思わす地面に尻もちをついた。


「驚いたー。貧しいガロのから、権利なんてお言葉が出てくるなんて」


 そんな宙定を無視し、キッセはよく分からない契約書を書き終え、金の勘定をしているアーマに向かって言った。

「この男より安い値段でいいから私にその金を払ってくれ!」


 これにも驚いている宙定ちゅうていを無視し、キッセは続けた。

「私が私を売るんだ。この男が提示している半値でいい」


 キッセの提案にアーマの手が止まった。


「――面白い子だね」

 そう言って、アーマは宙定ちゅうていをチラリと見た。


「……それは困るな」

 宙定ちゅうていは慌てた。というよりも慌てることを装うように見える。ふざけている宙定をキッセは睨みつけた。


「アンタが困ることなど一切ない。アンタは私をさらっただけで、そもそも私はお前の所有物ものでもなんでもない。だからといって、ここから逃がせと言っても無理なのはわかった。だから私は私を売る」 


「――面白い提案だね。オマエさんは自分を売ったお金をどうする気だい?」アーマが訊いた。

「ある場所に届けてほしい。それさえ守ってくれれば私は黙ってどこへでも行く」


 しばし三人は無言になった。その中で口火を切ったのはアーマだ。

 縄で縛られているキッセに近づくと、その場にしゃがみ、キッセの顎をぐいっと上げた。

(ハッタリじゃ無さそうだね。ガキだと思ったが腹がすわった眼だ)


「どうするんだい? 私は買値かいねが安い方がいいんだが……」

 アーマは背中越しで、ひっくり返っている宙定ちゅうていに訊いた。


「それは駄目、だって僕が大損だよ……。僕だって、暮らしていくはお金が必要だもん」

 そう言って宙定ちゅうていは、起き上がり腕を組むと「うーーーん」と、悩んでみせた。そしていかにもいい案が思いついたかのようにいった。


「ボクが買い取った金額の半分をキッセ、君に渡すっていうのはどうだい?」


 その提案に目を見張ったのはアーマだった。


「がめついアンタがどういう風の吹き回しだい?」

「がめついとは人聞き悪いな。優秀な商売人だよ、僕は……。――キッセ、僕は普段こんな提案には乗らないのだけど、キミとは何だか不思議な縁を感じるんだ」


 薬を飲ましてさらってきた分際でよくしゃあしゃあという。


「どの口が言うんだい……」アーマは口を曲げた。


「だからどうだい? ボクの提案に乗るかい? あの女主人はがめついから、きっと僕の言った値の半額の半額以下で君を買うよ」

 それを聞いたアーマは知らぬ存ぜぬと、そっぽを向いた。


 キッセはしばらく考えて、宙定ちゅうていを見上げ

「……それでいい」と答えた。


 宙定ちゅうていは嬉しそうに「商談成立だね」といった。



♢♢♢



 翌日、まだ陽が昇らない早朝キッセは薄暗い中、潮門うしおもんの前にいた。北江ほっこう街道から江汐こうしほの入り口、潮門うしおもんの開門まで少し時間がある。


 昨日、宙定ちゅうていはキッセの縄を解くと、自分の分け前の半分をキッセに渡した。

「明日の早朝、潮門うしおもんの開門時間前に、門の前に来てくれさえすれば、それまでの時間は自由にしていいよ」


 キッセは黙って金を数え、金額を確かめ受けとると、最後に宙定はこういった。 

「もし君がそのお金を持って逃げたら、君の大切な家族はどこかに失踪してしまうから、気を付けるんだよ」

 宙定ちゅうていの読めない眼の奥に不気味さを思えた。キッセ何も言わず、その場を後にした。



 キッセは何事なかったかのように家に帰宅し、いつも通りに晩飯をみんなと食べた。

 そしていつもより少し早く起きると、置き手紙と金を置いて家を出た。

 

 潮門うしおもんに行く前に仕事場に寄り、誰よりも朝いちばんに仕事の段取りをしていたソキじいに「これを大旦那様に渡してほしい」と手紙を渡した。

 ソキじいは、これと言ってキッセから理由を聞くこともなく、黙って手紙を受け取った。

 キッセが裏口から出ると、背中越しに「達者でな」と一言いった。

 粗末ながらのキッセ旅支度を見て、どこかに行くと感じとったのだろう。


 多少、内容が違うが、二枚の手紙には[賃金好い奉公先を見つけたから、しばらくの間そこで働くことにした]という趣旨だった。


(まさか、自ら身売りなんてするなんて……)


 事情がどうあれ、誰かのために何かをするなんてキッセは思ってもいなかった。だけど自分にできることは、こんなことしかないと思った。

 あそこに住んでいる、みんなはそれぞれ辛い過去を持ち、お互いに支えながら懸命に毎日を生きている。

 キッセが横李おうりにいたころは、信じられるのは自分だけだった。誰ともかかわらずに、自分だけ生き残ることしか考えていなかった。それ以外、考えることができなかった。

 お互いを思い支え合う、貧しくても楽しく生きることをここで教えてもらった。キッセは少しでもいいからその恩返しをしたかった。

 皆のことを思うと温かい気持ちで胸がいっぱいなる。これはいくら食べ物を食べても満たされなかった。


――この気持ちは何なのだろう。


 生まれて初めて感じた感情だった。それがキッセにとってこのうえなく嬉しかった。



 それと同時にずっとこの場所に留まるのが、嫌だった。

 みんなと暮らすのが嫌ではなく、どこかわからないけど、どこかに行かなくてはいけない気がした。

 キッセ自身もよくわからないが、この場所ずっといてはいけない。心の奥底で何かつぶやき、うごめいていた。そしてその何かにキッセは抗えなかった。

 そのつぶやきに、キッセは耳を傾けたくなかった。だけどそれは止むことなかった。

 キッセは行かなくてはいけなかった。そんな気がしたのだ。



 潮門うしおの門番が、開門すると同時にカロックの男がキッセの前に現れた。

 男はキッセに「宙定から話は聞いているな」と訊いた。


 キッセがうなずくと男は

「ついてこい」と言い、キッセと一緒に門を出た。




ここまでが前半です。

後半も宜しくお願いします。


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