漆ノ五
「本当にこのガキは二ヶ国語を話せるのかい? 痩せているが見た目も悪くないし、病気もなさそうだね。ただ首の下に彫り物があるじゃないか」
痩せたカロックの女が言った。
「これはでは刺青ないよ。痣だ」
「——いや、彫り物だ」
枯れた声で女は言うと、懐から取り出した煙管で、キッセの首下をなぞった。
「今時、こんな渦巻きの刺青を刺すやつなんていないし、彫り物だったら毛が生えていないよ」
リロックの男がそう言うと、女は「どうだか」と、納得しない様子で深い椅子にドスっと座った。怪訝そうに男を見ると、血管が浮き出た手で持っていた煙管に煙草の葉を詰めはじめた。
女が煙管に火を点け一服すると、その臭いでキッセは目が覚めた。
『起きたかい?』
キッセの目覚めに気づいたリロックの男は、優しく言ったが、その言葉と裏腹にキッセの両手足は縛られていた。
『どこだ、ここは……』
朦朧とする意識の中、キッセは少しずつ思い出してきた。
『オマエ、何者だ』
『キッセ、でよかったっけ? 僕の名は宙定でもって、ここは還獣の売買所で、彼女がここの女主人のアーマ。――そして僕は君を売りに来たの』
リロックの男の答えに、少しの間キッセは混乱していた。
昼間、豆菓子を買った後アジルに会って、帰る途中にこの男が現れたと思ったら気を失って、気づいたら縛られてここにいる。それを察しているのか宙定は淡々と話を続けた。
「混乱しているみたいだから、説明するよ。――キッセは覚えていないと思うけど数週間前キミ、道に迷っていたカロックと話していたでしょ。僕、その場に偶然居合わせていたのだけど覚えている?」
思わせぶりの宙定をアーマは横目で見ながら覚えているのか、覚えていないのか相変わらずふざけた男だと思った。
「オマエなんて知るか!」
キッセのことなと目もくれず宙定は話しを続けた。
『僕、驚いたよ。だってキミ朱明語で受け答えしているから。――でね、面白そうだから、キミの後をつけていたらまた驚いたよ! だって今度は蒼語を話すだろう』
宙定は手足を縛られ寝そべっている、キッセの周囲をゆっくりと歩いた。
『だからキミを誘拐することに決めた。で、今日が決行日。まさかこんな簡単にいくとは思わなかったよ』
宙定はキッセの目の前にしゃがむと、指先でキッセの口元をそっと触れ、小さな声で言った。
「モレンの飴は美味しかったかい?」
はっとして、キッセは怒りが腹の底からこみ上げた。
「ふざけやがって!」
キッセが暴れれば暴れるほど、手足の縄がくいこんでいく。
『飴に薬を混ぜたのだけど、こんなに簡単に効くとは思わなかったよ』
『今すぐこれを解け!』
「……本当だね」
キッセと宙定のやり取りにアーマは驚きを隠せなかった。
キッセの言葉数は少ないが、宙定が蒼語と朱明語を交互に話しているのを理解しているのがみえたからだ。
「――それも両方とも流暢に話す」
驚きと同時に、アーマはニヤりと笑みをこぼした。
『どうして、私が売られなければならない!』
キッセがどんなに力をいれても縄は解けないし、先ほどから大声をあげているが、目の前の二人は一度も静かにしろとは言わない。ここでいくらでも騒いでも、外には聞こえないからだ。
『だから、さっきから言っているでしょ。蒼語と朱明語の両方の言葉を話せるのはとても貴重だって』
(――蒼語と朱明語?)
キッセには何のことだか分からなかった。
キッセはいつもと変わらずに、普通に話しているだけだ。それを宙定は蒼語と朱明語を使い分けているという。
「キッセ、これ以上暴れると今度は薬を嗅がすよ。諦めておとなしくしなさいな」
宙定は困ったような顔を作っては、キッセに言い聞かせようとしている。その後ろでアーマは机の引き出しから紙と筆を取り出した。
「こいつはいくらでも買い手がつくよ。蒼語と朱明語を話せて、それも青珠ときた」
アーマは肩を弾ませながら契約書を書き始めた。
ことがどんどん勝手に進んでいく。状況が呑み込めず、ただ暴れているキッセに宙定が首を傾げながら訊いた。
「ねえ、最後にさ。どうしてキミはただのガロなのに、二ヶ国語も話せるか教えてよ」
(――ふざけたヤローだ)
縛られているがどうしてもコイツのすました面に一発くらましてやりたい。
キッセは奥歯をかみしめながら、目の前の宙定に噛み付くように言った。
「私は私の知っている言葉しか話していない!」
『嘘つきだね。僕、嘘をつく子は嫌いだよ』
ますますふざけたヤツだ。
『お前だけは言われたくない!』
「ほーら今、朱明語を話しただろう?」
キッセの眉間にしわがよる。
「キッセ、君さっきから蒼語と朱明語を交互に話しているのに何故、嘘をつくんだい?」
何度言われもキッセには宙定が言っている意味が理解できなかった。キッセは今まで一切、蒼語も朱明語も使い分けてはなしたことは一度もない。今もいつもと変わらず普通に話しているだけだ。
何も答えようとしないキッセの顔を宙定は、じーっとのぞき込んだ。
「もしかして、キミいいとこのお嬢さん?」
そう言ったが宙定はすぐさま眉をひそめ
「それはないね。だってキミ、これっぽっちも品がないもん」




