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蒼碧のつかい  作者: ひよよ
上ノ編
47/65

漆ノ三

 

 キッセが十四になったその年。

 この年の蒼国そうこくは長い冬が続き、遅い春がやってきたと思えば、長雨が続いた。

 降水量が少ない江汐こうしほでも連日、雨が続くことが多く、やっと夏がやってきたと思えば、暑くなることはなかった。冷夏れいか水過すいかがあれば当然の如く、作物の実りが悪く食糧の値段も日に日に高くなっていた。


 収穫量の少なく、冬が越えられない農夫たちが次々と江汐こうしほに出稼ぎにやってくるようになった。日雇いの仕事を求める者が、江汐こうしほにあふれ、日々、日雇いで生活していたブェルクとアジルの仕事が徐々に減り、休みが日に日に多くなっていた。

 毎年夏の終わりのゼイティロ収穫も、今年はゼイティロの実なりが壊滅的で収穫の仕事はなかった。

 そんな中ブェルクが大怪我を負った。現場で足場が崩れた時に逃げ遅れたのだ。ヴェルクは耳が聞こえないから、大声で叫んでも気づかなかったのだ。


「足場の悪い仕事で無理をしたからだ。この仕事は危険だから止めとけ、って言ったんだけどな……。今は仕事があるだけマシだろ……」

 ヴェルクを担いできたアジルの声が落胆していた。


 悪いことは立て続けにくる。

 ヴェルクが大怪我を負った数日後、ペルが倒れた。もともと丈夫な体ではないのに無理をしたため体を壊したのだ。


「お医者に診てもらいたけど、お金が……」

 心もとない夕飯を食べながらルーシが言った。

 キッセは手持ちのとぼしい金を全部出したが、医者を呼ぶには到底足りない。

 

「アジル、あんたいくらあるんだ?」

 そばでもくもくと飯を食っているアジルに訊くと

「医者を呼ぶ金なんて俺には無いな」

 アジルはそっけなく言った。


 ペルが倒れたというのに、興味なさそうに答えるアジルにキッセは怒りがこみ上げた。


「冷たいやつだな! 女の店に行く金はあるのに、医者に金は出せなってか!」

 アジルが定期的に花街に行くのを、キッセは何度も目撃していた。


「うっさいな、俺の金を俺がどう使うかなんてお前には関係ないだろ!」

「アジル、あんたそんなヤツだったか、見損なったわ! このすけべやろーが!」

「なんだって!」


 アジルはキッセの胸ぐらを掴むと同時に、キッセはアジルの腹を蹴った。


「痛って! このガキ、何するんだ!」

「あんたから手を出しただろ! 表に出な、相手になってやるよ」


 ミシャが慌てて間に入って止めると、アジルは「気分がわりぃ」と、家を出て行った。

 キッセはアジルを追っかけようとしたが、ルーシに捕まれ止められた。


「クソが!」

 怒りが収まらないキッセはルーシを押しのけ、屋上へと上がった。



♢♢♢



「ふざけた野郎だ! 遊ぶ金があるなら、医者に診せたっていいだろ!」

 大声で叫ぶとキッセはその場にドスっと寝転んだ。

(一緒に住んでいるのだから、助けたっていいじゃないか……)


 夜空を見上げると今夜は満月だった。

 昼間の様に月が明るい。忌まわしの青星もどことなく霞んで見える。



「ここ、いいかしら?」


 キッセが振り向くとミシャが立っていた。

 キッセは驚いて、思わず起き上がった。なんとなく気まずい、ミシャとアジルは仲がいいからだ。それに今までミシャはキッセにとても親切だったが、二人きりになることは一度もなかったからだ。

 そのことに気づいたのかミシャはそっとキッセの隣に座った。


「――こうして、二人で話すは初めてね。キッセの生まれは横李おうりなの?」

 ミシャに訊かれたがキッセは思わず顔を膝にうずめた。


「……わからない。気づいた時には横李に住んでいたから」

 ミシャのやわらかい香りがキッセの鼻をかすめる。


「私が生まれたのは、ここから遠く北東の山奥にあるビシャール村よ。知らないでしょ? そんな村……」

 キッセはチラりと顔を上げると、ミシャの色素の薄い髪が月明かりで透けて見えた。


「この国の東側は山だらけで、小さな村々が点々とあるの。ビシャール村はその中の一つで、とても小さな村よ。

 雪深い冬がとっても長くてね。作物もあまり取れないし、家畜の育ちもあまりよくなくて、私の家はとても貧しかった……。けど、母親はとても優しく、弟と妹は本当に素直な子たちでね。だからどんなに辛くても私、頑張れたの」


 ミシャは思い出すように遠く見つめ、何かを飲み込むように、一呼吸おいた。


「――父は田舎暮らしが嫌で、近くの町で一人で暮らしていたの。そして時々ふらっと戻って来ては、母からお金を持ってまた町へと帰ってしまう……そんな父親だった。

 母が少ないお金を父に渡すと、その金額が気に入らないって毎回、必ず母を殴るの。ひどい暴力でね……。だからいつも父が帰ってくる時は、母は慌てて幼い弟と妹と私をお向かい家に避難させていたの」


 少しの間を置いてミシャは話を続けた。


「――でもあの日は、弟と妹が風邪をこじらしてしまって。私たちは屋根裏に隠れていたの。いつもならお金を渡せばすぐに帰るのにその日、父はいつまでも家にいたわ。そして母をいつまでも殴りつけるのよ。

 母には、何があってもけして父の前に出ては行けないと、言い聞かされていたのだけど、その日はあまりに暴力が酷くて、母を庇いたくて父の前に出たわ」


 ミシャは怒りとも悲しみとうもいえぬ顔で


「あの時の父の顔、今でも忘れられないわ――ニタリと笑ったあの顔を……。

 父は私を見るなり私を殴って気を失わしたの。そして気づいた時には手足と口を縛られて、荷台の上にいたわ。私、何がなんだか分からなくて、ただ長い時間、荷馬車で運ばれていた。――本当に長い時間だった……。着いた所は知らない村だった。そして父は知らない家に私を置いて消えてしまった」

 微かにミシャの目の奥が揺らいだ。


「……売られたの、私」

 ミシャは淡々と話しているが、顔が少し白っぽくなっていくのが見える。


「今ならわかる。弟と妹はガロで、カロックは私だけだったから、母は父から私を必死に守ろうとしたのね。――その時、私は十五だった。何も知らない女の子よ。そんな女の子の夫は、私よりも四十歳も年が上のやせ細った汚いカロックの男だった。

 ――それでも大切にされていれば幸せだったかもしれない。 

 売られた家は酷かった。私の家より貧しく、朝から晩まで働かされて、食事もろくにもらえず、何か言うとすぐに殴られたわ。夫だった男は方言が酷いのに、ぼそぼそと話すから何を話しているのか、いつも聞きとれなかった。男は四六時中イライラしていた。一番はイラついていた理由はね。私、いつまで経っても子ができなかったの……。そのことにいつもあの男はいつも腹を立てていたわ。――高い金を払って、若い妻をもらったのに、子を宿さないなんてって」


 キッセはたまらなくなってミシャの話を終わらせよとしたが、ミシャは小さく首を横に振り話を続けた。


「三年が過ぎた頃にとうとう体を壊してね。子も宿さない女を医者に診せたり、高価な薬など無駄でしょ。だからまた売られたの――花街によ。

 娼妓しょうぎとして初めのころはお客を取っていたのだけど、体の具合が一向に良くならないし、夫だった男に殴られた片目がどんどん悪くなって……。この目のせいもあって見た目が悪いからとうとうお客を取れなくなったの、でも借金があるから、妓楼ぎろう娼妓しょうぎたちの世話係に回されたわ」


 ミシャの白い目を見ると、ミシャの生きてきた過去がキッセの中に流れ込み、キッセの呼吸が荒くなっていく。


(――話しているミシャの方が苦しいのに……)


 キッセはミシャの話に耳をふさぎたくなった。

 ミシャは苦しそうにしているキッセの小さな手にそっと触れ、ゆっくりと背中をさすってくれた。キッセの冷たくなった指先と違って、ミシャの手は温かかった。

 そのぬくもりがキッセの心を落ち着かせ、徐々にキッセの呼吸が楽になっていく。ミシャはキッセの手を握ったまま、話を続けた。


「その時出会ったのがアジルよ。アジルはあちらこちら荷物の配達をしているでしょ。その時私を見かけたらしいの。

 初めは冷やかしで話しかけてくると思っていたから、無視して適当にはぐらかしていたのだけど、アジルは毎日のように何度も何度もしつこく声をかけてくるし、時々お菓子なんかをこっそり私に渡すのよ。

 そのうちに私たちは心を通わせるようになったわ。私はこういう身の出なのをすべて知って、それでもアジルは真剣に私を見てくれたの。

 アジルは何度も楼主ろうしゅと掛け合ってくれて、だから今、私はここで暮らせているの。――でもね、私の借金はまだあるの。だからアジルはみんなよりたくさん働いているし、お金にもうるさいの。借金があるうちは、私は妓楼ぎろうの持ち物だから……。いつか、借金を返し終えたら私たち一緒になろうって。それを励みに今、頑張っているのよ」


 アジルが定期的に花街はなまちに行くのは、借金の返済のためだった。


「――ごめんミシャ。私……」

 ミシャはニコリと笑って、キッセを抱き寄せた。ミシャの優しいぬくもりがキッセを包む。


「だからキッセ。アジルを許してあげて。私、アジルが帰宅したらうんっと叱るから」

 キッセは黙って、ミシャの胸の中でコクリとうなずいた。



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