漆ノニ
覚えることは苦手ではないキッセは、教わればきちんと仕事をこなした。
それを気に入らない女中はキッセに意地悪をするが、キッセもまたやり返す。そんな繰り返しの毎日が一年近く続いたある日、女中たちの方が音を上げ始めたと同時に、御寮人の女中へのいびりがピタリと止んだ。
――御寮人に待望の子ができたのだ。
御寮人は、やっと授かった我が子に夢中で、女中のことなどどうでもよくなり、あんなに八つ当たりの的にされていたキッセへのいびりもピタリとなくなった。
キッセも一年経てば、それなりの仕事をこなすことができた。
朝早くから水を汲み、火を焚いて湯を沸かし、台所の片づけ、掃除、洗濯など、一年前では何一つできなかったことが、今では淡々とこなすことができた。
それと一般的な常識だ。商家での規則に、日々の生活の中では守るべき決まりがあることを、この一年で学んだ。
こうやって働いてみて、キッセは今まで本当に自分は何も知らなかったと思い知った。
とりあえず始めた仕事だったが、一日、一日があっという間に過ぎ、いつの間にか一年、また一年と過ぎていった。
横李から江汐で暮らすことになって二年が経過し、キッセは十四になっていた。
♢♢♢
「おいキッ坊や。こっちこい!」
前歯が抜けたチョルニが手招きした。
「なんだよ、チョルじぃ。今、忙しいんだよ」
「そんなにせっこんで、どうする。はよう、来い」
しぶしぶやってきたキッセに、チョルニは懐から、小さな葉に包まれた饅頭をキッセに差し出した。
「今さっき、お得意さんからもらった。あの二人には内緒じゃぞ。はよう食え」
始めは食えないじぃさんだと思っていたチョルニだが、今ではキッセのことをよく構ってくれる。
「キッ坊、時間はあるか?」
頷きながらキッセが饅頭を食べていると、チョルニは懐から一通の手紙を出し、それをキッセに渡した。
「すまんが読んでくれ」
キッセは饅頭を飲み込むと、チョルニから手紙を受け取り読み始めた。
キッセは文字が読める。誰にも教わったことは無い。なぜできるかは自分でも判らなかったが、読めるし書ける。
「悪いが、返事を書いてもらいたいんじゃ」
チョルニは、用意していた紙と筆をキッセに渡した。
「いいけどさ……」
キッセはあまりいい返事をしない。
渋々、用意された筆をとり、チョルニの話を聞きながら紙に文字を起こした。
「ほんに、字がもう少し上達なら賃書もてきるだろうに……」
「文句があるなら書くのやめるよ」
キッセは線虫のような文字を隠しながら手紙の返事を書き続けた。
こうやって今ではチョルニは昔馴染みからもらう菓子などをキッセに分けてくれた。
キッセは店の表には出ないが、よく他の店に使いに行かされることもある。その時も、チョルニは店までの行き方や使用人が出入りする裏口の場所、店にはどういう還獣が働いているなどと、こと細かく教えてくれた。
キッセは必要ないことは訊きたくなかったが、ビィビからよく「必要ないって思うことが、案外役にたつ」と、言われていたので、チョルじぃの話は聞くようにした。
年寄りの話は長いが、やはり無駄に長生きした分、チョルニは色んなことを知っていた。
今はキッセにとって分からない事を教えてくれる先輩だが、やはり話の長いことが時折うんざりする。




