陸ノ四
昨日は慣れない移動で疲れたせいもあってか、ぐっすり眠れたキッセは朝早くに目が覚めた。
まだ朝飯まで時間がある。キッセはまだ寝ている、ルーシとスリクを起こさないように、こっそり小屋を出た。
少し肌寒いが空気がひんやりしていて、秋の気配を感じる。
遠くで陽が昇り始めている。空は彼方遠くまで広がり、肩を並べるように海がキラキラと眩しく光っていた。
思ったより丘高いところなんだとキッセは思った。
丘の上から見渡す風景はとても広大だった。こんなに広い世界が、この世に存在するなんて、キッセは目の前の光景が信じられなかった。
今も山深い横李いたら、こんな素晴らしい景色を見ることはなかっただろう。
「おはよう、キッセ。ずいぶん早起きだな」
背後からビィビが声をかけた。
(寝台に居ないと思ったら、こんなところにいやがった)
「あんたこそ、こんな早くから何してるんだ?」
「まあ、いろいろとね。――それより、まだ朝飯には早いから、ここ案内してやるよ」
(――案内が好きなやつだ)
半ばあきれながら、キッセはビィビについていった。
「まずは……、あそこにある木箱には近づかないように」
ビィビが指さす方を見ると、木箱があった。
周りをよく見ると、ゼイティロの木陰に隠れるように木箱がいくつも置いてあった。
「何だい? あの木箱は」
「あれは蜜蜂の巣箱だよ」
「ポー?」
ビィビは「静かに」と、キッセと一緒にそっと木箱に近づいた。
木箱には入口らしき小さな穴が開いてあり、指先ぐらいの小さな虫が数匹いた。
「もう少し日が昇って暖かくなったら、たくさんの蜜蜂が飛び交うよ。何もしなければポーは大人しい虫なんだけど、こっちに敵意を感じるとお尻の針で刺してくるから気をつけろよ」
キッセは少し後ずさった。
「なんでそんな危ない虫を置いているんだよ」
「蜜蜂は花の蜜、蜂蜜を採取する虫なんだ。その時、蜜蜂の花粉媒介のおかげでゼイティロが受粉……」
ビィビの難しい説明にキッセの眉間にしわが寄る。
「とにかく、蜜蜂おかげでゼイティロの実が生るってわけ」
「そうなのか」
キッセは関心なさそうにしながら、蜜蜂の巣箱から離れようと心持ち速足だ。
「もう夏の終わりだから、蜂蜜の収穫はしてないけど、春から夏にかけて蜜蜂が集めた蜂蜜を採るのさ。蜂蜜は薬になるし、蜜ろうは明り取りなる。――本当に貴重な虫さ」
「あんたよく知っているね」
「まあね。店でいろいろ扱っているから、いやでも憶えないと仕事にならないし怒れる」
ビィビとキッセは丘を上がって行った。海から昇った太陽の光が二人の顔を照らす。
遠くから見るとわからなかったが、丘は結構な急斜面で赤茶けた土に、細かい石ころがゴロゴロと転がっている。
「この丘は古い木が多くて、樹齢二五〇年ぐらいはザラなんだ。ここ辺一帯はタジャスカの丘って呼ばれていて、その理由は……」
小高い丘のてっぺんに近づくと「あれさ」と、ビィビが指さした先には、ゼイティロと違う立派な巨樹が見えた。
「あれはネサの木さ。ここのご神木でタジャスカって呼ばれている」
キッセはふっと横李の森でも同じ木があったのを思い出した。
(あの巨樹はネサの木だったのか……)
ビィビは何かに気が付いたのか、いきなり駆けだしたので、キッセも一緒についていった。
「今年はずいぶん、めんこい子を連れてきたな」
ご神木のタジャスカの根元に置いてある小さな腰掛けに、ちんまりと座っていたガロの老人がこちらに気が付いた。
「おはようございます。パブロさん——キッセ、この方はこのタジャスカの丘の主さ」
「今年も頼むよ ——ビィビ」
木の枝みたいな痩せこけたパブロはニコリと笑うと、顔中が深いしわで目が埋まった。うっすら濁った目でキッセのまじまじと見た。
「おお。よく見ると片目が青珠の娘か……。こりゃ縁起がええのう」
キッセは生まれつき片目が薄い青色だった。今まで自分の目の色など全く知らなかったが、ルーシに言われて初めて片目が青色たと知った。
「今年は貴いあたりへ献上できるかもしれんなぁ」
パブロが嬉しそうに言った。
「たっとい?」キッセは首をかしげた。
「帝のことさ。パブロさんの畑のゼイティロはここら辺りでは一番の上等品で、毎年帝の献上品になっていたんだけど……」
ビィビは気遣うようにパブロをちらりと見た。
「ここ何年かは出来があまり良くなくて……。昨年は隣の村の畑の物が献上されたんだ……」
ビィビの話に、パブロはホッホッホォ、と小さく笑うと、皺だらけの小さな手で大切そうにご神木タジャスカの木に触れた。
「善きも悪きもすべては蒼龍様の思し召し。——それよかビィビ、ちとよいか?」
ビィビはこくりとうなずくいた。
「キッセ、おいらはパブロさんと話があるから先に戻ってくれ。そろそろ、ルーシたちも起きているはずだ」
キッセはその場を後にした。
キッセが小屋に戻るとルーシとスリクはとっくに起きていた。
一緒に顔を洗い、食事の小屋で朝飯を食べているとビィビが遅れて入ってきた。
朝飯が終わるとキッセとビィビは収穫場へ、ルーシとスリクは選果小屋へとそれぞれ持ち場へと別れた。




