壱ノ章 ガロの少女
キッセ、キッセ……
――さあ、運命を楽しみなさい。
「クソが……」
まだ夜が明ける前だった。
夢にうなされ目を覚ました少女は、ぐっすりと眠っている子たちを避けながら表に出ると、足早に少し離れた井戸場へと向かった。
辺りはまだ薄暗く、静まりかえっていたが、家々からは朝支度の気配が感じ見える。
古びた井戸場へ着くと少女は釣瓶で水を汲み上げてた。
水を一口飲むと、何かを振り払うようにジャブジャブと顔を洗った。
冷たい水が顔の毛にまとわりつく。少女はブルブルと顔を震わせ水を払った。
(なにが運命を楽しめだ。バカげた夢だ!)
幼い頃からよく見る夢だったが、内容はあまり憶えていない。
キッセ、キッセ……
――さあ、運命を楽しみなさい
ただ呼びかけられる夢なのに、それが無性に少女をいらつかせた。最近は全く夢を見ていなかったせいか余計に腹が立つ。
(まだ気分が悪い……)
しっとりと蒸した空気が一段とそう思わせた。
――キッセ。
名のない少女は、自らの名をこの馬鹿げた夢からとって付けた。
幼い頃から定期的に見るこの夢から、そのまま取ってつけた名なんて、少女自身、本当に馬鹿げていると思う。
だが、他に少女に名を与えてくれる者などいなかった。
キッセはいつ、どこで生まれたのか知らない。親はもちろん、きょうだい、身内など誰一人もいなかった。
薄っすら憶えている記憶を辿ると、自分な足で歩ける頃には、この町に居て、キッセと同じ【ガロ】と呼ばれる環獣の孤児たちに囲まれながら、あちらこちら穴だらけのこのボロの納屋に棲みついていた。
何故、こんな所に住んでいるのかキッセ自身にも分からないし、深く考えるのはとっくに諦めた。
確かなのは、ここがキッセの住処だった。
空が白み始めた。日の出と同時に、夏虫がいきよいよく鳴き始める。
「今日も暑くなるな……」
キッセはその場を後にした。
水明・蒼国――その名の通り、澄んだ水が美しく、蒼く輝く国だ。
古来より、蒼き龍神に選らばれし蒼龍の慈愛と守護によって、長きにわたり平安と秩序が保たれてきた。
この国には人ではなく環獣と呼ばれる、人と獣が入り混じった者たちが暮らしていた。
環獣は大きく三つに分かれており、
【ガロ】・【カロック】・【リロック】と呼ばれている。
【ガロ】は、容姿や身体などは獣そのものだが、二足歩行で歩き、手足には五本の指がある。
【カロック】は、顔つきが人に近く、顔や手足、背中や腹などに獣の体毛が生えている。体格はガロとは違い、人と変わりない大きさだった。
【リロック】は、容姿などほとんど人と変わりはなかった。唯一、人と違うのは、獣の耳と尾が生えていた。
ガロ・カロック・リロック、この環獣の共通点は、言葉をあやつり、手足に五本の指があり、獣の耳と尾が生えていることだ。
そして、この水明・蒼国の中東部にあたる横李という町に、小柄な人の子の背丈しかない環獣の少女、ガロのキッセが生きていた。