第三話
「おお!「マグ=ケノス」は討伐されたのですか!それは大変良い事でございますなノルデン卿!ええ、ええ、それはもうこの大地に平穏が戻りし事に神もお喜びになる事でしょう!」
聖堂でクレイヴァンを出迎え、彼女の話を受けたのは一帯の教区を統括するイェヌス司教であった。
彼自身、聖職者でありながら教会に付属する幾つかの土地を管理する領主でもあり、邪竜の暴虐には頭を悩ませる立場であった。
その為、この喜びは彼の本心でもあろう。
「聞けば、竜の骸を始末するのも手伝われているとか、僅かばかりではありますが私も協力させていただきましょう」
ここにもダリオンが手を回しているか、と騎士は考えた。
おそらく『念話』による連絡網を利用されたのだ。彼女自身もこれの構築に携わっただけにその有効性はよくよく理解している。
既に彼自身、もしくは彼の部下により周辺の都市や有力者達の下にはこの「後始末」への協力願いが出ている事だろう。
やはり、同じ方向性、「物理的な大掃除」で勝負するのは不可能だという結論を、彼女が確信するまでにかかる時間はごく僅かであった。
「イェヌス様、今回こちらに伺わせて頂いたのはもう一つのお願いをするためなのです」
騎士は意を決して「もう一つの後始末」に関する事を願い出た。
「閣下は竜葬の列という儀式についてご存じですか?」
「…えらく懐かしい語句ですな。ノルデン卿が歴史に造詣が深いとは初耳ですが」
書庫の紙屑の奥深くに埋もれつつあった旧い慣わしの名前が急に出てきた事に対し、司教は少し眉をひそませながら答えた。
「ええ、まあ私にも色々ありまして。ともあれ、「マグ=ケノス」はあれでも一応竜です。これを害したとなれば、過去に倣いこれを弔わねばこの地に災いが降りかかるやもしれません。つきましては、これを執り行うために閣下自身のご助力願いたいと思いまして」
「は、はぁ…」
目の前の若い騎士からまさかそんな古臭くカビ臭い話が飛び出るとは思わず司教はつい呆けてしまった。
そしてしばらくして、
「…ノルデン卿、今日日そんな事をする国はそうそうありませんぞ?無論、竜の発見数自体が減少しているというのもありますが、今この世界で確認されている竜は魔法を使う術を失った下位の竜のみです。昔は大地を割り、空より大石を落とす大魔法を操る上位の竜がそれはもう暴れ回り、その魔力が肉体の崩壊後も残ったからこそ、これを冥府へと送り届ける儀式が必要となったのです。あの「マグ=ケノス」なんて見るからに阿呆…、これまでの所業を見るに魔法を使えた形跡はありません。ならばこれも下位の竜に違いなく、わざわざ儀式なんざ行う必要は無いのですよ」
と答えた。
司教の説明は事実である。
上位の竜、古代竜とも呼ばれるその個体が最後に確認されたのは100年も昔の話であり、既にこの世から古代竜は消え失せた、別の世へと旅立ったというのが世間一般の認識であった。
しかし、言葉には語られぬ彼の内心に存在した理由は、この儀式を執り行うにあたって発生する費用の計上を嫌った事だった。
定められた規定通りの儀式を行うとなれば、祝祭日にも匹敵する大規模な数の神官を動員し、一部分とはいえ竜の死骸を燃やし尽くすだけの大量の篝火を焚き染める必要があり、参列者を出迎える為の盛大な宴をも開かねばならないのである。
はっきり言ってしまえば、取るに足らない迷信如きのためにこれを行うのは「面倒」の一言だったのだった。
しかし、彼の目の前にいるのは僅か二十いくつの若輩にて王都有数の座をもぎ取った実力者である。流石に無碍に断るわけにもいかず、配下の司祭の派遣とそれなりの規模の儀式を約束する事にはしたのであった。
聖堂を退出したクレイヴァンは再び馬を全速で走らせていた。
一応儀式を執り行う約束は取り付けた。しかし、これでは足りない。規模が小さい。
まあ言ってしまえば、この勝負は己の私欲の為である。それに余分な財を使わせる事はいいのかという良心の呵責を、彼女は少し感じていた。
しかし、それでもやはり彼女はダリオンに負けたくなかったし、そもそも3年の長きに渡ってこの国を圧迫した脅威を、命を賭けて排したのだから盛大に祝い、賞賛されるのも当然だろうという思いがあった。
彼女の中には既に一計が組まれていた。
今はまだ昼を少し過ぎたぐらいである。
全力で馬を飛ばせば、一度シークズに戻り、再度聖堂に来たぐらいでちょうど夜半過ぎ程度になると思われた。