神を呪う
俺は、高校へと進学した。新台東高校は、俺の自宅から電車と自転車を乗り継いだ先にある、ちょっと遠方の高校だ。
早瀬さんと俺は毎朝、同じ時間帯の電車に乗り合わせる。学校の最寄りの駅までは同じだが、そこから先の俺は自転車に、早瀬さんはバスに乗っている。つまりは、電車内で鉢合わせすることがあるということだ。
「おはよう、羽田くん」
家の最寄りの駅から二駅行くと、早瀬さんが乗ってきて、耳打ちのような優しい声で挨拶を飛ばしてくる。
「あ……おはようございます……」
俺はいつも、誰かに挨拶されるなんて思ってもいないから、反応が遅れて、返事がたどたどしくなる。今日も、単調な挨拶の言葉の前に「あ」と言って間を設けてしまう始末だった。
で、学校の最寄りの駅に到着するまで、早瀬さんから少し離れたところに立って、英語の単語帳か歴史の教科書を読みふけるのである。
「羽田くん、羽田くん、座らないの?」
「え、ぁ……」
都会に近づいてきて、電車内が混みあってきた。しかし、ちょうど早瀬さんの隣の席が空いていた。
早瀬さんが手招いてくれている。俺は、躊躇いながらも、彼女の隣に腰を下ろした。
電車に揺られ、英単語を覚えようとする。しかし「また話しかけられるかもしれない」という強迫の見えざる手に喉元を絞めつけられて、単語が覚えられない。酸素が足りないような気もする。
単語帳を凝視する視界の端に、スマホを持つ早瀬さんの白く細い指が見え隠れする。
別に、異性として意識している訳ではない。同年代の人間は、なぜこんなにも恐ろしく、不可解な存在に思えてしまうのだろうか。人間は、未知に対しての恐怖心が備わっているから、俺は終始震えている。
「ねぇ、今度の英語の小テスト、範囲どこからどこまでだっけ?」
「は……」
早瀬さんは、囁くような小さい声で、俺に耳打ちをした。
英語の小テストの範囲はちょうど、今、俺が見ているページまで。単語数にして50単語分。その中から、15個が出る30点満点の小テストが、今日の英語の授業の最初に行われるということを、俺はあらかじめ知っていた。
……というか、何で俺に聞くのだろうか?英語の担当の先生から、メールで連絡があったはずだが。
「え……」
頭では理解していても、言葉が喉元で詰まって音に変換されない。そうして、零れ落ちたような掠れた声の後に沈黙するというのが、俺の醜態のテンプレートであった。
ふと、顔を上げた。——こちらを見る早瀬さんと、視線が交わった。
「あの……ちょっと体調が悪いので降ります……」
俺は、胸が締め上げられるような悪い痛みを抱えながら、ちょうど停車した駅で降りた。目的の駅まで、あと二駅だった。英単語帳をぎゅっと強く握って、一度も振り返らず、早瀬さんの目を見ないように小走りをした。
人混みをかき分け、安息の場所を求めてひたすらに歩いた。
「あ……大丈夫?」
俺は、早瀬さんの声が鼓膜に伝わるよりも早く、駆け足に近い速度で駅のトイレの方向を目指した。階段を駆け上がり、男子トイレの目印を発見。しかし、なんという無情か、入口からは長蛇の列が伸びていた。
ただひたすらに、「気持ち悪い」と。
俺は、気分の悪い感じを抱えたまま、駅を彷徨い、自販機の影の地べたに座り込んだ。
「はぁ……」
深く溜息をついた。それで、一旦は落ち着いた。胃酸をぶちまける醜態を晒すことは避けられたか。
地面に尻をつく俺に対して、行き交う人々は、まるで「俺がこの世界に存在しない」かのように振る舞い、歩みを進めるのみ。そんな光景を視界に捉えて、心の微振動の如き震えは落ち着いた。
それはよかった。俺が苦しんでいようと、安心していようと、多くの人々にとっては取るに足らない事象の一つである。
額を伝った汗で、眼鏡の鼻あてが滑り落ちる。指で、丸い淵を押し上げて、元の視界の感じを取り戻した。
しばらく、スマホで好きな音楽を聴いた後に立ち上がり、水筒の麦茶を一口、飲んだ。その時の爽快感は、何物にも変え難いものがあった。舌上が濡れて、喉や胃の辺りが浄化される魔法のように思えた。
(今日は小テストがあるから、休むわけにはいかないよな……)
緊張から、息切れと吐き気がするが、何時までもこうしてはいられない。小テストの欠席は成績に響くだろうし、なによりも、これでは社会で生きてはいけないだろう。苦しいことから逃げ続けることは、困難であると知っているから、ここは堪え時である。
俺は、頬を手で一度軽く叩いて、気合を入れて、降りた番線のホームに並び直した。
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