9.魔獣の襲撃
少し前に通った道に血まみれの人たちが倒れている。倒れている人数も1人2人ではなく6人ほどだろうか。
先程まで出歩いていた人たちも姿を消していて人っ子一人見えない。
「おいあんた! そこは危険だからこっちへ来い!」
近くの家の窓が開いて男性が手招きをする。
男性の家の中には他にも数人の人影が見えた。
「この人たちは放置するの?」
「そいつらはもう事切れてるだろうが! このままだとそいつらを追って魔獣が出るぞ」
「魔獣……。臭いを遮断すればいいのかしら? それならほら」
臭い消しの結界を張って血の臭いが外に漏れないようにする。この程度なら簡単な魔法で造作もない。
更に確かめようと倒れている人に近づくと、盛大な舌打ちと共に声をかけてきた男性が飛び出してきた。
「そんなことをして死にてぇのか!!」
男性は私とアーツェを小脇に抱えて家に戻る。
しっかりと扉が閉まる間際、遠くに狼のような魔獣の姿が見えた。
「臭いを辿って? 結界で消したはずなのに何故……」
もっとよく魔獣を見ようとしても、家の窓も扉も全て閉ざされてしまう。
(これでは良く分からないわ。特殊な能力を持つ魔獣なのかしら)
考えているうちに外から何かを引きずるような音が聞こえてきた。
他にも唸り声や時折何かが家に体当たりをするような音がした為、壁の強度を上げる。
魔獣も身体強化をしていたのか凄まじい音がしたけれど、物理カウンターの付いた結界を途中で張るとようやく静かになった。
「ふぅ、助かったか……」
完全に魔獣の音がしなくなり、男性が床に崩れ落ちる。
家の中に避難していた他の人たちも皆、安堵の息を吐いていた。
「嬢ちゃん、ありがとな。途中で何か魔法を使ってくれていただろ。あれがなかったら家が壊れていたかもしれん」
「……出来ることをしたまでよ。それより、あれは何だったの?」
魔獣なら今までに何度も狩ったことがある。それが高い魔力を持つ貴族の義務だった。けれど、先ほど現れた魔獣は過去に倒したものよりも凶悪そうだ。
「あれはここら辺でよく見るただの魔獣だ。群れで生息していて重症を負わせた後に一回逃がすんだ。それで巣に戻ったところを再度襲撃する。姑息な魔獣さ。一応襲われた時は街に戻ってきてはいけないと習うんだけど、戻ってくるやつらが多い」
「魔獣にそこまでの知性が……」
臭い消しの結界が効かなかったのも特殊な方法で獲物の位置を把握していたからなのかもしれない。
(城壁からまだそれ程離れていないはずなのにこんなに違うのね)
城壁の近くは定期的に狩りがされるから強すぎる魔獣が住めない。離れれば離れるほど危険な魔獣や魔物が増えると聞いていたけれど、ここまで差があるとは思っていなかった。
「危ない魔獣を狩ったりしないの?」
城壁内のように定期的に狩り取ればこんな事も減るのではないか。そう思ったけれど、返ってきたのは渋い表情だった。
「ある程度は狩ってるさ。ものによっては食料や材料にもなるからな。でも、此処にいる連中じゃ捌ききれん。下手に刺激すると群れで襲いかかって来たりする。倒すのさえ一苦労だ」
「…………そう」
確かに先ほどの魔獣を倒すのは危ない。攻撃パターンを知っていたとしても不測の事態に陥りそうだ。
「そんな危険な魔獣が来ると分かっていたのに家に入れてくれてありがとう。感謝するわ」
今ならこの男性が盛大に舌打ちをしていた理由が分かる。
あの時、男性は自分の命と見殺しにする後味の悪さを天秤にかけていたのだ。
「いや、初めて城壁外に来た連中が良くやることだ。あいつらは魔獣を怖いと思ってないからな」
「心に突き刺さるわね」
彼が助けてくれなければ私も外で犠牲になっていたかもしれない。
それ程までに私の知っている魔獣と違った。
「次から気をつければ良い。こういうことがあったら近くの家の連中がドアを開く。家がなければできるだけ遠くに逃げるんだ。魔獣の足から逃げられることの方が少ないが、助かる可能性の高い行動を取れ。実際、この家に居る連中も全員避難者だ」
「ご家族ではなかったのね」
部屋の中を見回すと、数人の男女が目礼をする。
城壁外では魔獣の襲撃が珍しいことではないようだけれど、中には震えている人もいた。城壁外が危険だというのは間違いないだろう。
(せめて城壁のようなものが作れたら少しは安全になるのかしら)
この街の境目がどうなっているのかは分からないけれど、簡易な柵が立っているだけなのかもしれない。
仮にもっとしっかりしていたとしても、それだけでは魔獣の襲撃が防ぎきれていないようだ。
(私が暮らしていた場所の城壁は遥か昔に造られた特殊なものだったはず……。本当なのか分からないけれど、大魔導師が精霊にお願いをして造ったとか。それに近いものが出来れば良いのだけれど)
特に気にしたことがなかったから城壁の詳しい作り方なんて知らない。
知っていたとしても同じものは作れないだろう。こういうものは専門家の領分だ。それに先ほどの魔獣が相手だと生半可な柵では作った傍から壊されそうだ。
「本当に此処は城壁外なのね……」
外が静かになり、更にそこから時間を置いてようやく家の扉を開ける。
先に窓を少し開けて周囲を確認したというのに、扉が開く瞬間の緊張感と言ったらなかった。
「私も初めて見る光景です」
一緒に出てきたアーツェも辺りを見回して呟く。
この家は難を逃れたけれど、隣の家は壊されて中がむき出しになっていた。