7.追放された元聖女
横になってそれ程しないうちにハンスとお婆様が部屋の前に着いたようだ。
ハンスは先ほどと同じようにノックをしないで入ろうとしたけれど、お婆様に怒られているらしい。扉を隔てていても淑女の部屋にどうのこうのという会話が聞こえてくる。
思わずアーツェと顔を見合わせていると、ようやくノックが聞こえてきた。
「どうぞ」
驚いて反射的に許可を出すとばつが悪そうな表情のハンスが顔を覗かせる。恐る恐る入ってきたハンスに続いて現れたのが占術師のお婆様だろう。
中々厳しそうなお婆様だ。
「思ったより悪くなさそうさね。熱が下がったかい?」
「……恐らくは」
まだ頭がぐらぐらするけれど、熱っぽさは薄れている。
しかし私の額に手を当てたお婆様はぺしりと軽く私の額を叩いた。
「駄目だね。まだ熱が下がってないよ。そもそも足の腫れも引いてない。もう少し大人しくしているこった」
「大人しく……」
「心配しなくても既にお礼は頂いてるんだ。鹿肉と食器分はゆっくりして行って良いさね。その服もあんたのドレスやドールの服と交換したもんだから気にするこったない」
「ありがとうございます」
アーツェの話では此処に来てからまだ1日しか経ってないらしい。
でもそれにしては怪我の治りが早すぎる。
「魔法薬を使ったのではありませんか?」
魔法薬は神官の治癒が受けられない人にとって命綱だ。値段も相応にするし、鹿肉程度では割に合わない。
何も言わないお婆様を見つめると、お婆様が嫌そうに舌打ちをした。
「察しのいいガキは嫌いだよ。ただ、あんたに使ったのは魔法薬じゃない。普通の治癒魔法さ」
「治癒魔法?」
城壁外に追放された者が治癒魔法を使えるなんて信じがたい。けれど、お婆様に嘘をついている素振りはなかった。
(どういうこと? 美しくなければ神様に祈りが届かない。心が、見た目が醜いものは魔物と同じ醜悪な存在だと教会は謳っていたけれど……)
信じていた常識が覆りそうで頭が痛む。
ただでさえ体調が悪いのだ。無理をするべきではない。
分かっているけれど与えられた情報はインパクトが大きかった。
「城壁内の教会は嘘つきだ。あの中で暮らしている連中が信じている神様も世の中の仕組みも全て真実じゃあない」
吐き捨てるように話すお婆様はまるで教会のことを憎んでいるようだ。
因縁があり、決して許せない存在を語るかのような……。
「お婆様は、もしや元神官ですか? 治癒魔法の使えるとても特別な」
「そう呼ばれていたこともあったかね。神官ではなく聖女だったが」
「聖女様!」
治癒魔法を使える神官でさえ特別なのに更にその上とは。
あまりの衝撃につい近くにあったアーツェの腕を掴む。
「聖女様が追放されるとは珍しい。醜い心の刺青が入っている訳でもないようですが……」
私を守るようにアーツェが少し前に出る。
教会の使う光魔法は攻撃にも使える。
聖女クラスなら私よりも遥かに強いだろう。
「ふん、ドール風情がよく言うものさね。私は聖女と言ってもお上品な生まれじゃあない。顔もたいしたことがなかったから、治癒の力が強くなければ生まれてすぐ城壁外に捨てられて居ただろうさ」
「でも聖女様なのですよね?」
私の足の状態はとても悪かった。化膿して命に関わる可能性も感じるほどだったのに、1日で傷が塞がり始めている。
この効果は簡単な治癒魔法で出せるものじゃない。
「一時の気の迷いだよ。平民の男を好きになって城壁外に駆け落ちした。ただそれだけのことさね」
「平民の男……」
近くにいたハンスを見ると首を勢い良く左右に振っている。
流石にハンスと駆け落ちをした訳ではないらしい。
「そう言えば、噂に聞いたことがあります。一昔前に除名処分となった聖女様がおられたと」
「……他に駆け落ちした馬鹿がいなければ私のことだろうよ」
吐き捨てるように告げるお婆様を見て私はベッドから下りた。
「初めまして、聖女様。私はマリアンヌと申します。城壁外に落ちた為、家名が名乗れないご無礼をお許し下さい」
靴もなく久しぶりにしたカーテシーだったけれど、不格好なところもなく決まったはずだ。
なのに上体を倒してお婆様の足元を見ていると、嫌そうに鼻を鳴らす音が聞こえた。
「足を怪我してるやつが素足で立つんじゃないよ。また私に治させる気かい」
「申し訳ありません」
「それに、私は人の頭を見ているのが嫌いでね。聖女扱いより占術ばばあと呼ばれている方が気持ちいい。あんたらも元聖女ではなく占術ばばあと呼ぶんだ」
「承知しました」
慌てて頭を上げるとお婆様は再度鼻を鳴らして部屋から出ていく。
「相変わらず怖いばあさんだ。城壁内の連中はあれを聖女と崇めてたのか?」
部屋にひとつしかない椅子にどかりと座ってハンスが聞いてくる。
彼の方が私より長い付き合いだろうに聖女だと知らなかったらしい。
「聖女様は強い治癒魔法をお持ちの時点で尊い存在なの。生まれつき特別な方よ」
「あのばあさんがねぇ……」
確かに聖女様の中にはどんな怪我でも一瞬で治すような方もいる。お婆様は聖女の中ではランクの低い部類だろう。
けれど、お婆様に命を救われた人も多くいるはずだ。城壁の内外問わずに。
「主様、失礼致します」
私とハンスの会話に入ってこなかったアーツェがベッドの上に戻った私の足を拭く。拭き方があまりに丁寧すぎて少しくすぐったい。
「アーツェ、そんなに綺麗に拭かなくても良いわ。魔法で綺麗にするから」
「……私が拭きたいと言ってもお許し頂けませんか?」
「…………」
潤んだ上目遣いに否定する言葉が続かない。
仕方がないのでアーツェが満足するまで足を拭かせることにした。
「あんたらの関係って不思議だよな。ドールってそんな感じなのか?」
「そんな訳ないじゃない。ここまで自由に動くドールは見たことがないわ」
ハンスは生まれてすぐ城壁外に捨てられたせいかドールを初めて見たらしい。
明らかに高度な動き方をするアーツェをそういうものとして受け入れている。喜んで足を拭くアーツェに若干生暖かい視線を送っている気がするけれど、それだけだ。
「ふぅん、特別なやつってことか。そいつもよっぽどお嬢ちゃんのことが好きみたいだし、良い関係なのかねぇ」
ドールを誤解していそうなハンスの今後が心配になる。
アーツェと比べたら他のドールなんて魔導人形に過ぎない。それ程両者に隔たりがあるのだ。
けれど今はそれよりもアーツェの行動の方が気になった。
「アーツェ!? 何をしているの?」
拭き終わた足に口付けを落とされて悲鳴を上げる。
アーツェは悪いことをしたと思っていないらしく、怒られる理由が分からないという表情を浮かべている。
「昔の主様がしておいででしたので」
「~~~!!!」
アーツェの過去の主は何をしているのだ。
破廉恥極まりない。学習をするドールに見せていいものじゃない。
でもいくら駄目だと説明してもアーツェが納得してくれない。
私はぷんすかと怒りながら初めて伝家の宝刀、命令を使った。