5.疲れか怪我か食中毒か
「……さ……。あ……さま」
遠くで誰かが呼びかけているような気がして薄く目を開ける。
なんだか身体がとても怠くて動くのが億劫だ。
「主様、無理をなさらないでください! 熱が出ています!」
「……熱?」
声が掠れていたので近くにあったコップに魔法で水を出して喉を潤す。
コップは普段使っているものと違って硬い上に重い。これも熱のせいなのだろうか。
「……大丈夫。これくらい、何ともないわ」
視界が回っている気がするけれど、この程度で倒れてはいられない。
今日も花嫁修業として……花嫁修業として?
「何か、大変なことがあったような……」
ぐらぐらする頭を無理矢理起こして辺りを見回す。
するとそこは見慣れた侯爵家ではなかった。
「誘拐? いいえ、そう……追放されたのだったわ」
それならもう少し寝ていても良いだろう。
此処には小うるさいメイドも執事も居ないのだから。
何か忘れている気がしたけれど、私は襲い来る眠気に従ってそのまま寝てしまった。
すぐ近くに半泣きになっている綺麗な顔があると気が付かないで。
***
アーツダルク視点
「寝てしまわれた……。一体私はどうしたら」
ドールに睡眠は必要ないため、寝るように言った主様に配慮をして寝たふりをしていた。
寝たふりとは言え辺りの様子を伺っていたはずなのに異変に気がついたのは日が昇る直前だった。
すやすやと落ち着いた呼吸をしていた主様の息が急に荒くなったのだ。そこから熱が上がるまではあっという間だった。
「熱が出た時の対処法……」
確か以前お仕えしていた方がお風邪を召された時はお医者様をお呼びしてお薬を頂いていたはずだ。
でも、この場所にお医者様は居ない。
当然薬のつくり方なんて分からない。
もしかしたら主様なら薬の原材料に心当たりがあるかもしれないが、私の知識に薬のことはない。何人もの主人を持ったけれど私に薬のことを教えて下さる方は居なかった。
せいぜいお医者様から頂いたお薬を誰かに渡すくらいの仕事しかしていない。
「こういう時はどうするべきなのでしょう……」
答えをくれるはずの主様は寝込んでいる。
「何がどうしようって?」
「……?」
知らない声がして振り返ると、洞窟の入口に知らない男が立っていた。
「どちら様でしょうか?」
「俺か? 俺はハンス。見ての通り見た目が醜いんで城壁外に捨てられた人間さ。あんたは人間じゃねぇな」
「はい、私はマリアンヌ様がドール、アーツダルクです」
「ドール? ドールって言うと魔力で動くっていうあれか? 都市伝説だと思ってたが本当に居るんだなぁ」
ハンス様が小さな目を丸くして私を凝視する。大きな鷲鼻といい非常にアンバランスな顔立ちだ。
「はい。私以外のドールも数多存在しています。ハンス様は城壁外に捨てられたとおっしゃっておりましたが、熱の対処法をご存知ではないですか? 主様がとても苦しんでおられて……」
「主様だぁ? 熱が出てんなら額や脇を冷やしてやんな。それ以上の対処はここじゃできねぇ」
「なるほど。額と脇を冷やすのですね。ありがとうございます」
冷やすというのはきっと水に濡らした布を使うということだろう。
今ここにハンカチは存在しないから布の代用になるものなんてひとつしかない。
「ああああ! お前、何をする気だ!?」
「布が必要そうでしたので上着を破ろうかと」
「どんな金持ちだよ! そんな上等な服を簡単に破ろうとするんじゃねぇ!」
ドスドスと音が立ちそうな勢いで近づいてきたハンス様が布切れを渡してくる。
「昨日洗った布だ。ちぃとばっかし落ねぇ汚れが付いてるが、それくらいは勘弁してくれ」
「……はい」
清潔なのか判断がつかないが、触った感じは普通の布だ。
少しざらついているけれどそういう素材なのだろう。
その布を昨日主様が出してくれた水につけて主様の額に置く。
「うっ、うぅ……」
べちゃっと音がして跳ねた水が主様の瞼を濡らす。何だかとても不快そうだ。
「お前……冗談だろ?」
どうして良いか分からずにハンス様を見ると、ハンス様が頭を押さえていた。
「ハンス様も熱が出て参りましたか?」
人は熱が出ると周りの人に伝染ることがある。過去の主様の中にはそれで契約が切れてしまった方がいたはずだ。
「俺は熱なんて出てねぇよ。ドールって本当に人間じゃねぇんだな」
ハンス様は呆れたようにそう言うと水の滴る布を主様の額からどかして、水の入った容器の上で絞った。
ある程度水気を落とすことが重要だったらしい。
「ついでに少し触るからな」
苦しそうな主様の様子を見てハンス様が手を伸ばす。
通常であれば拒否する行為だが、ハンス様に敵意はない。私では何も出来ないのだから任せるべきだ。
そう分かっているのに何だか余り良くないモヤが胸にかかった。
(何だろう。この感じは。初めての状態だ)
何となく嫌な感じがしたが、後で主様に聞こうと放置する。
今は主様の熱をどうにかすることが重要だ。
「このお嬢ちゃんは追放者か。一体何をした?」
主様の足から靴を脱がせ、先ほどとは異なる布でハンス様が主様の足を拭く。
「分かりません」
「ほぅ、言えないんじゃなくて知らないのか。それは悪かったな」
「いえ……」
なぜ謝られたのか分からなかったけれど、謝られた時はこう言うべきらしい。
「すげぇ訳ありそうなお嬢ちゃんだな。まぁ、この分だと熱の原因はこの足の怪我か疲れだろうさ」
「足の怪我か疲れ……」
足は昨日から痛そうにしていた。
寝る前にも水で洗っていたから、少しは良くなったものだと思っていた。
「酷いくらい怪我が腫れ上がってる。これだと膿むかもしれん」
「それは危険なのですか?」
なんだか余り良い響きに聞こえない。
「危険だな。特に体力のなさそうなお嬢ちゃんだと命に関わりかねん」
「……どうにかならないのですか?」
せっかく巡り会えた主様だ。
少しでも長くお仕えしたい。
「どうにかならねぇこともないが……」
言いよどむハンス様は何やら考え込んでしまった。
「まぁ、このお嬢ちゃんなら何かしようにもできねぇか。なあ、お前はそこのお嬢ちゃんを抱えて来い。外に台車があるから乗せてもいいぞ」
「はい。ありがたいお言葉ですが、主様は私がこのままお運び致します」
「見た目によらず力があるんだな」
主様を持ち上げる私を見てハンス様が驚いたように口を開く。
「お褒めに預かり光栄です」
「……あんたの言い回しはむず痒いわ。ここにある肉は持ってっても良いか?」
「それは主様の物ですので私では何とも」
「そうか。じゃあお嬢ちゃんの薬代ってことで頂くわ」
「えっと、話を……」
自分では決められないと言ったのにハンス様はひょいっと肉を台車に乗せてしまった。
昨日私が取ってきたキノコや果実も一緒にだ。
鍋やコップまで入れているが、ハンス様は一体何に使うつもりなのだろうか。
「待たせたな。行くぞ」
床に敷いていた木は剥がれないと悟って諦めたようで、意気揚々とハンス様が歩き出した。
私はその後ろを見失わないように着いて行く。少しでも主様に振動を与えないよう気をつけながら。