其の八(終)
権野編最終話です。
それから数日。すべての顛末を稔から聞かされた紅子は、彼に茶を淹れると、その傍らにずんと腰かけた。いつもは無表情だが、今日は珍しく不機嫌そうな表情を浮かべている。
「紅子さん、僕が奥方を人形にしたのが気に入らないんでしょう」
思っていたことを言い当てられた女はますます不機嫌そうに眉根を寄せた。
「――奥さまには何の罪もありません。こうなることがわかっていながら蘇らせるのは、あんまりです。しかも、まさかお二人とも亡くなるなんて――」
稔はううんと唸り、困ったように言い訳し始める。
「正直、ここまでうまく事が運ぶとは思ってなかったんだよね。権野さんはあんな性格だったから必ずぼろが出るだろうと思ってはいたけど、まさか死んじゃうとはねえ。でも、申し訳ないけど、命を弄んだ彼の業がそうさせたとしか思えないし、あまり心は痛まないけどね」
男の言葉に、きっ、と鋭い視線を向けると、彼女はすかさず反論する。
「こうなるかもしれないとわかっていて奥さまを生き人形にするなんて、命を弄んだのは稔さまとて同じことではありませんか。貴方だって権野さまと何ら変わりありません」
ぴしゃりと放たれた紅子の言葉に、彼は冷たい笑みを浮かべた。
「そうさ。僕は彼と同じだよ。それが何だって言うの?」
女は息を呑んだ。目の前の人形師が途端におぞましい化け物に見えてくる。
しかし怯えたような彼女の様子に構わず、稔は話を続けた。
「僕は死んだ人間を修復して人形にする人形師だ。この仕事に手を出してしまった以上、命を弄ぶ罪とは永遠に付き合わなくちゃならない」
男は俄に天を仰ぐと、芝居がかった口調で朗々と語り出した。
「だからこそ僕が作る人形は精緻で繊細で崇高であるべきなんだ。それをあの男は、僕に不死の兵士だなんてものを粗製乱造させた。これは命への冒涜だ。復讐はたしかに醜い。だが僕は、僕に人形になるべく命を捧げてくれた者たちのためにあの男に一矢報いてやらなくてはと思った――なんて、そんな大仰な志は僕にはないけど」
彼は急に冷めた表情になる。
「ただね、僕にあんなひどい、出来の悪い仕事をさせた彼が職人として許せなかった。僕はね、彼に人形師としての矜持を穢されたんだ。だから僕の大事なものを壊したあの男がひどい目に遭って苦しむ姿を見たかったのさ」
そうして紅子を振り返ると、今度は少し罰の悪そうな顔をする。
「――とはいえ、死なせてしまうつもりは本当になかったんだ。二人には悪いと思ってる」
紅子は相変わらず渋面していた。彼の言うことがどこまで本音かわからない。
だが一応は反省を引き出せたので、少しだけ溜飲は下がった。
「権野さまはともかく、どうして奥さまも亡くなってしまったのでしょうか。生き人形は不死かと思っていましたが――」
ふと紅子は気になっていたことを口にした。稔は何故か彼女から目を逸らし、自分の手先を見つめながら答える。
「生き人形は基本的には不死だ。ただひとつだけ、その活動を止めることができる方法がある。――それが、今回のように、人形に人間を殺させることなんだ」
稔は、ひとつ呼吸すると紅子の目を見つめた。
「人形はあくまで人形だ。人間の命の理を侵害してはならない。だから彼らが人の命を奪うとき、彼らの活動も止まるように設計されているんだ」
あまりのことに紅子は思わず息を詰まらせた。だって、だとしたら――
「それなら、不死の軍団とは一体何だったのですか」
「だから言ったでしょう、あれは趣味の悪い遊びだって。どうせまた死ぬとわかっていて蘇らせろと言ったんだよ、あの人は」
稔は吐き捨てるように答えた。それは普段何を考えているのかわからない彼が見せた、素直な怒りの感情であった。
権野の妻はこのことを知っていたのだろうか。いや、きっとすべてを知っていたからこそ、夫への憎しみを募らせたのかもしれない。
紅子はたまらず目を瞑った。胸のうちに何か苦いものが広がるのを感じる。
生き人形とは、何と苦しい存在だろう。
そしてそれを望む者は何と業が深いのだろう。
――何より、生き人形を生み出す人形師のなんと罪深いことか。
そう思うからこそ、紅子は浮かんできてしまった疑問を目の前の男に投げ掛けることにした。――聞かずにはいられなかった。
「――稔さまは、どうして私を生き人形にしたのですか」
震える声で紡がれた言葉に、彼は神妙な面持ちでしばし考え込んでいた。
だが稔は、不意に人差し指を手に当てて場違いに悪戯っぽく微笑むとこう言った。
「それはまだ、秘密」
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