其の七
その日、権野は、妻から「話がある」と告げられ、気もそぞろであった。
ただでさえ、ここ最近の妻の様子は思わしくなかったが、とうとう離縁でも申し出されるのだろうか。だが権野にとって離縁を妻の方から言い出されるなど、あってはならない恥の極みであった。だから、なんとしても阻止せねばならない。
彼は妻の待つ部屋に入った。すると奥に何故か美しく着飾った伴侶が座している。
もしや夜伽の誘いではあるまいか。子などできないのだからそんなことをしても意味はないが、妻は若く、美しい。何より我々は夫婦だ。まあ暇潰しくらいにはなるだろうと、権野としてはまんざらでもなかった。
妻に近づくと、彼女はそっと権野に寄り添ってきた。
次の瞬間、妻は権野を床に押し倒し馬乗りになると、その首を締め上げた。彼は突然のことに仰天し、もがき苦しみながら妻の手を掻いた。
「透子、どうして」
妻はこの上なく妖艶にうっとりと微笑むと、夫が力任せに肌をむしるのに構わず、その手に力を込めながら語りはじめた。
「私、事故に遭って死んだとき、これで終わりなんだと思った。終わるって、悲しいことだと思ったわ。だけどこれが命というもの。命とは生まれていつか死ぬ定めなの。私は私の命を全うするはずだった。それが私の人生だった。」
そこで言葉を切ると、彼女はふと悲しげな目付きで夫を見た。
「でも貴方が私を蘇らせた。そして私を愛していると言った。貴方がそう言うなら、まだ貴方のそばにいなくてはならないのだと思った。でも貴方は生きていた頃とは違う私を疎ましく思うようになった。蘇らせなければいいと思った。全部解っていたわ。貴方がそう思っていることは」
透子は権野の首に手を掛けたまま続ける。
「たくさん悩んだわ。悲しんだわ。貴方は私を愛しているって言ったのにどうして冷たくするのかって。たくさん考えて、私、ようやく解ったの」
そう言うと彼女は途端に冷たく表情を失くした。
「愛しているなんて嘘。貴方は従順で使い勝手のいい手頃な女が欲しかっただけ」
権野の首を絞める透子の手の力が増した。彼は必死に抵抗しながら、苦しげに声をあげる。
「嘘、なんか、じゃ、ない。私は、君を、愛して、いる」
「貴方はそう思い込んで、立派な夫を演じたいだけ。貴方のそれは愛じゃない。――ただの支配欲よ」
首を絞められているせいなのか、愕然としたせいなのか定かではないが、権野は目を剥いて呻いた。赤黒く充血した頭部が彼の窮地を物語っている。
「私は貴方を許さない。貴方は私の命を恣にした。私から命の理を、死を、人生を奪った」
「――違う。私は、君を、愛して、いる」
尚も繰り返す夫に泣きそうな顔で微笑み掛けると、妻はそっと、嘘ばっかり、と囁いた。
「なら旦那さま、私を愛しているとおっしゃるなら、どうか一緒に死んでくださいな」
そう言うと、透子はより一層力を込めて夫の首を締め上げる。権野は何かを求めるように手を伸ばしたが、ただただ空を切るばかりで、遂にぐったりと力尽きた。
それを見届けると、彼の亡骸に覆い被さるようにして、透子も間もなく事切れた。
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