其の四
権野の話を聞いた稔は途端に眉根を寄せたまま、へえ、と不気味に微笑んだ。さっきまでの態度とは裏腹に、興味が湧いたのか卓に頬杖をついて身を乗り出す。
「それはどういう目的ですか?」
「茶化さないでくれ。真面目なお願いなんだ――いままでだってそうだったが」
表情こそ変わらないが、少し苛立った口調になった権野を面白そうに眺めると、稔は先を促した。
「先日妻が亡くなった。不慮の事故だ。幸い身体の損傷は激しくない。遺体は腐らないように配慮して保管している――目的など無いよ。ただ、また彼女の居る生活に戻りたいだけだ」
随分と事務的な物言いだと、部屋の隅に座して聞いていた紅子は思った。それに妻を亡くしたばかりとは思えない程には冷静な態度であるのも不気味だ。軍人とはそういう生き物なのだろうか。
稔は途端に興味を失ったのか、ふうん、とつまらなそうな声を出して茶を啜った。
「奥方を人形にしたとして、それは所詮、動いて喋るだけの死体に過ぎない。貴殿もそんなことは解っているでしょうに、よくもまあ、奥方の居る生活に戻りたいなどと言えたものですね」
その言葉に権野は息を詰まらせると、少し表情を曇らせた。それは稔に生き人形を作らせ、不死の軍団を組織した彼への痛烈な批判であると、よく理解できたからだ。
「私は彼らを、死者を冒涜していたつもりはないよ。ただ、志を共にした彼らなら、きっと私の考えを理解してくれると思ったんだ」
「貴殿がどうお考えであろうと、故人の身体をご自身の都合で弄んだことに変わりはないでしょう。奥方にもそれを望むというのなら、むしろ今ここで貴殿を殺して、貴殿を人形にする方がよほどいい」
その方が何倍もやりがいがありますね、と稔は冷笑する。
ここまで言われてはぐうの音も出まい。稔の剣呑な態度から察するに、彼の恨みは相当深い。隅で聞いていた紅子は権野がこれで引き下がるか、あるいは稔に殴りかかりでもするかと、ぼんやりと状況を見守っていた。
だが、それまで表情を崩さなかった権野は突如ぐっ、と苦悶の表情を浮かべると、両手をきつく握りしめて、深々と頭を下げた。
「それでも構わない。だからどうか、妻にもう一度会わせてほしい」
尚も冷たい視線を和らげることなくその様子を見ていた稔は、やはり低く冷たい声で問うた。
「――会ってどうするというのです」
「今度こそ、ちゃんと伝えたいんだ。――愛していると」
目の前の男がそう絞り出すのを聞くや否や、ぞっとするほど不気味に微笑み、なるほど、と小さく呟いてから稔は頷いた。
「分かりました。引き受けましょう。もちろん貴殿のことは殺しません」
ああ、と思わず声を漏らした権野は再び深々と頭を下げて、何度も礼を述べた。
その後少し話し込むと、彼は相変わらず謝意を示しながら去っていった。
やって来たときとはうってかわって感情を露にする男を、紅子は意外に思った。初めは軍人らしく修羅のごとき血も涙もない人間に見えていたが、彼も人の子。こういう者にも心を揺り動かされるほど大切な存在がいるものなのだなと、感心していた。
――俄には信じがたいが、稔も彼の心に絆されたのであろうか。
そう思ったときだった。彼の背中を見送っていた稔が低く呟くのを、彼女は聞き逃さなかった。
「――権野さん、貴殿はやっぱり何も解っていない」
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