其の八(終)
それから幾ばくか時が経った。
今日も紅子は相変わらず雪深い庭の縁側に佇んで、真っ赤な花を付けた椿の木をぼんやりと眺めている。
この数日、彼女はずっと先だっての出来事に想いを馳せていた。
嫉妬に取り憑かれた人形。その狂気と執念は凄まじかった。そして何より、その原因となった人形師と人形の関係についてのあらましが紅子の胸の内を重く沈ませていた。
あの後、椿は稔と紅子に謝罪と礼をすると、すぐにこの地を発った。
自らの顔を取り戻した彼女は全てを受け入れたのか、晴れやかな笑顔を見せた。
彼女はこれからかつての仲間――家族を探しに旅に出る。主人と、彼と連れ立った人形の死を伝える義務が、自分にはあると思ったのだそうだ。
紅子は遠く小さくなっていくその背中を、同じく笑顔で見送った。すべてを受け止められた椿の事だ。今度こそ本来の自分を生きることができるだろうと、彼女はそう思う。
椿の姿が見えなくなると、紅子は表情を引き締め、拳を握りしめた。――まだ全て終わってはいない。
そしてゆっくりと呼吸を整え、後ろで腕を組んでぼんやりとしている稔を振り返る。
「稔さま、お聞きしたいことが――」
「わかっているよ。人形師が不老不死だっていうのはどういうことだって言いたいんでしょう」
彼女の真剣さとは裏腹に、彼はあっけらかんと答える。
「僕たち人形師は人形を作る技能を授かる代償として命の理を神に捧げるんだ。そうすると必然的にその身体は不老不死になる。だけど唯一、自分が作った人形に殺されれば、命の理の循環に戻されて、無事死ぬことが出来るんだよ」
彼女は眉をひそめた。あまりに荒唐無稽な話で俄には理解しがたい。
否、いつかは理解しなくてはいけないことだろう。そのためにも追及したいことは山ほどある。
――だが一番聞きたいことはもう決まっているのだ。
「それが最高傑作である人形にしかできないとはどういうことなのですか」
するとそれまでの淡々とした態度を一変させて、稔は待っていたとばかりにうっとりと笑みを浮かべる。
「そのままの意味だよ。その人形師の全てを懸けた人形だけが、作り主を殺せる。そして、人形師を殺した人形もまた、壊れて無くなる」
紅子は目を見開いた。告げられた事実は、あまりに残酷だった。そしてそれは椿の主人とその最高傑作であった人形が辿った末路そのものだ。
――つまりは、その人形師の念願が成就するとき、全てが失われるということだ。
表情をきつく強ばらせる紅子の頬に、人形師はそっと手を沿わせる。
榛色の瞳を細めると、彼は実に愛おしそうに彼女を見つめた。
「自分の全てを捧げた存在に、その全てを壊されるんだ。――実に儚くて、美しいと思わないかい?」
狂っている、と紅子は思った。
人形師の望むままに生み出され、望むままに壊れゆくだけの人形。
死して尚、他者に弄ばれる命。
そんな虚しい存在が、惨たらしい所業が許されてなるものか。
彼女は稔を睨み据えて、その手をゆっくり引き剥がすと黙ってその場を後にした。
あのときから稔とは上手く話せずにいる。
口を利こうにも、胸に渦巻く思いがそれを阻んでしまう。
先日の件だけではない。紅子は思い出してしまったのだ。もう随分前に彼と交わした言葉を。
そしてその意味を、理解してしまったのだ。
《僕のしていることも同じだよ――これが罪かどうか決められるのは、君だけなんだ》
紅子はきゅっ、と拳を握り込む。
(稔さまを罰することができるのは、私だけ)
――紅子は、稔という人形師の、最高傑作なのだ。
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