其の二
奇妙な来訪者を客間に通すと、紅子は恐る恐る茶を差し出そうとして、ふと動きを止めた。
(――頭が無いのだから、お茶は飲めないのでは?)
しかして用意してしまったものを下げるわけにもいかず、仕方なく客人のそばにそれを置いてみた。するとその人はぱたぱたと手を振って、お気遣い無く、と声を発した。
紅子は首をかしげる。一体何処から声を出しているのか。そもそも一体何者なのだろうか――。彼女は改めてこの客人の姿をまじまじと見つめた。
身に纏った仕立ての良い女物の着物と、その声や体つきから女性だということは想像できる。その所作は優雅で、育ちの良さを感じさせる。――だがわかるのはここまでだ。何せ首から上がない。表情や人相を読もうにも、顔がなくてはどうにもならない。
それ以前に頭が無いのにこのような山奥に、しかも足元も覚束ないような雪の日に現れたことが信じられない。
紅子は身震いした。やはり彼女は妖怪変化の類いなのだろうか――。
ふと稔の方を見ると、にたにたと紅子を見て笑っていた。先ほど彼女が気を失ったのが面白かったのだろう。紅子は鼻を鳴らして稔を肘で小突いた。
「いやあ、それにしても首が無いなんてね」
紅子の肘打ちを気にせず、稔はあっけらかんと言い放った。恐怖におののく彼女と違い、彼は相変わらず満面の笑みでけたけたと声を立てている。――なんと能天気なことだろう、と呆れる反面、紅子はこの狂人を今ほど頼もしく思うこともないのであった。
「驚かせてしまい申し訳ありません。私の名は椿。『人形』にございます」
なるほど、と紅子は内心手を打った。――彼女は生き人形であったか。確かにそうであれば、この不可解な状況にも説明がつく。
それにしても稔の様子を見る限り、椿は彼の作ではないようだ。紅子にとって別の人形師の作った生き人形に会うのはこれが初めてなので、なんだか不思議な心地だった。
稔は、はじめから全て理解していたのか、そうだろうね、と相づちを打つと、両手で形の良い小さな顎を支えながら机に肘をついて、彼女に問う。
「さて、何しにここへ来たのかな――なんとなくわかるような気がするけれど」
それは紅子も同じだった。首の無い「人形」が、人形師を訪ねる理由など、そういくつも思い当たらない。
すると椿は両手を掲げ、きっと顔があったであろう空間を撫でるような仕草を見せた。
「――顔を、私の顔を、作っていただきたいのです」
***
「私の主は、ここより北の隠れ里を拠点としていた人形師でありました。主は数体の人形たちと暮らしておりまして、私もその内の一人です。ある日のことです。主は一人の人形を伴って、姿を消してしまいました。私は主を探しに出ましたが、どこにも見当たらず、そうこうするうちに事故に遭い、顔を無くしてしまったのです」
うっ、と紅子は顔をしかめた。首を無くすような事故とはどんなものか、想像するだけで気分が悪くなる。
「主人は結局見つかりませんでした。私はこの数年、ずっとこのまま彷徨い続けておりました。幸い人形の身ゆえ、動くのに困ることはありませんでしたが、この姿では人目を憚ります。どうしたものかと思案しているとき、ちょうど貴方さまのお噂を耳にし、こうして参上した次第にございます」
椿はそう言い終えると、深々と頭を、もとい、肩口を下げた。
「どうか、亡くなった主に代わり、私に顔を授けてはいただけませんか」
肘をついて黙って聞いていた稔だったが、彼女の言葉に突如、不気味な笑みを浮かべて、ふうん、と唸った。
「そうか、ご主人は亡くなったんだね。――わかった、引き受けよう」
表情こそ読めないが、男の快諾に安堵したのか、椿は再び深々と腰を折った。
だが紅子は何かまた嫌な予感がして、そっと背筋を震わせた。
稔はただ親切なだけの男では決してない。今回も何か思惑があるはずだ――。
硝子が嵌まった格子窓の奥に、ひたすら白く、暗い吹雪が渦巻いている。
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