其の二
それから一年あまりが経過した。骨からの人形製作はあまり例がなく難航したが、なんとか完成をみた。そして今日、絹とその息子は対面の日を迎える。
稔の邸宅を訪れた絹は、相変わらず青白くやつれた顔をしていた。彼女は不安そうに目をきょろきょろと泳がせながら、廊下を進んでいく。
やがて息子が待つ部屋の前にたどり着くも、どういうわけかその場に立ちすくんでしまった。
「――ご子息にお会いになるのが、怖いのですか」
彼女に付き添っていた紅子は労るような視線を向ける。すると絹は小さく頷いた。
「息子に恨まれていたとしてそれは覚悟の上です。ですが、生き人形となったあの子が、元のあの子と同じ姿で、同じ声で私を迎えてくれるのか、それが不安なのです」
彼女は泣きそうな顔で紅子を見た。
「あの子は、以前と同じ、あの子でしょうか」
震える絹の手に、紅子はそっと自分の手を添えた。その体温があまりに低かったことに驚いたのか、絹は、あっ、と小さく声を上げる。
「この通り、人形は人形です。その身体は生前とは全く異なっています。それはどうしようもない事実です。ですが、その心が、魂が同じであるかどうかは、ご自身で確かめる他ありません」
そう言って絹の手を戸の取手に誘う。
「さあ、参りましょう」
優しく掛けられた紅子の言葉に深く頷くと、絹は恐る恐る戸を開いた。
中を覗けば、そこには布団の脇に正座している青年が見える。絹は、ああ、と声を上げ涙をこぼしながらその青年に駆け寄って力一杯抱き締めた。
だが彼は母の抱擁には応えず、ややあって彼女の身体をゆっくりと引き剥がすと、青ざめた顔で言った。
「――母さん、何てことしたんだ」
「光雄、これは――」
絹は息子を見る。その視線には何とも言えない色が宿っていたが、光雄はそれに構わず母の肩を掴んで揺すると、声を荒らげた。
「稔さんから全て聞いた。どうしてこんなことしたんだ。どうしていつも俺の自由を奪おうとするんだ」
涙混じりに発せられる言葉を絹は黙って聞いていた。
「生きているときは、夢なんてくだらない、現実を生きろと言った癖に、死んだら無理矢理にでも蘇らせて今度は夢を叶えろと言う。どうして生きているときにそう言ってくれなかったんだ。俺は、こんな身体になってまで生きたくなかった。どうして母さんはいつもそう身勝手なんだ」
そう言うと、光雄は嗚咽を漏らしながら蹲った。
様子を戸口から見守っていた紅子は、いたたまれなくなって思わず目を伏せる。
やはり生き人形は不幸しか生まない。先日の権野の妻にしてもそうだ。本来、命の理を決められる権利があるのは本人だけだ。それをねじ曲げる行為は何人であっても許されないはずだ。
――たとえそれが、子を想う母の愛であったとしても。
絹はしばらく黙って息子を見つめていた。その表情は相変わらず、覚悟と後悔が入り交じったような複雑さを滲ませている。
ふと彼女は息子の頭を撫でると、静かな声で話し始めた。
「ごめんね、ずっと身勝手で。でも、あの時も今も、あなたを思ってやったことに変わりはないの。それこそが身勝手なんだってこともわかってる。だけど、あなたにはどうしても幸せになって欲しかった。――馬鹿よね、何が幸せかを決めるのは私じゃなくてあなた自身なのに」
蹲った光雄の身体を、絹は包み込むようにして抱き締める。
「それでも、私はやっぱりあなたに生きていて欲しかったの。たとえあなたに恨まれても」
そして彼女は呟くようにこう続けた。
「だけど、あなたがどうしても苦しいなら、このまま死ねないのは嫌だと言うなら、私を殺しなさい」
光雄は即座に顔を上げる。彼は唇を震わせると、何で、と繰り返しながら母の手を握った。強く握り込んで白くなってしまった彼の手に、ぽたぽたと涙が落ちる。
「何でそんなこと言うんだよ。それが身勝手だっていうんだ。――親を殺せるわけないだろう」
母を殺せば、その命の理を全うできることは彼にもわかっていた。だが、そのために母を――いくら自分を身勝手に扱う母だったとしても――手に掛けるなど、到底できるわけがなかった。
光雄は乱暴に目元を拭うと勢いよく立ち上がった。そして母を厳しく見据える。
「俺はどうあっても母さんを許すことはできない。でも殺すなんて真っ平だ。――もう、二度と顔も見たくない」
語気荒くそう言い放つと、彼は悄然として身動きを取ることもままならない母を残して出て行ってしまった。
事の顛末を見守っていた紅子は彼を引き留めようとしたが、それを制止するか細い絹の声に動きを止めた。紅子は戸惑いをもって憔悴した様子の女を振り返る。
「――このまま行かせてしまってよろしいのですか」
「これでいいのです。覚悟の上です。あの子はあの子のままだった。私にはそれで充分です。あの子が生きていてくれさえすれば、あとは何も要りません」
そして彼女は涙を流しながらも、紅子に微笑みかけた。
「これは私のエゴイズムです。何と思われようと、こうするしかなかった。罪深くとも、許されずとも、そうせずにはいられないのです――私はあの子を、愛しているから」
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