田舎伯爵家嫡男ベルントの初恋 ~初夜の翌朝 花嫁に逃げられた!?~
伯爵家の跡取り息子である俺は、早朝の寝室で茫然とするしかなかった。
領地の屋敷の二階。
贅沢とは言えないが、使用人が居心地よく整えてくれた部屋。
夫婦用の広いベッドは掛布がめくられ、睡眠に使われた形跡はある。
しかし、それを使ったはずの人物が見当たらないのだ。
「逃げられた、のか?」
昨夜は初夜だった。
だが、新郎である自分は寝室に行かなかったのだ。
一人残された新婦は、どんな思いをしたのだろう……
俺は深く息を吐いた。
我が伯爵家は、辺境に近い田舎に領地を得ていて、土地だけは広い。
ありがたいことに気候も良く農業に向いているが、害となる野獣が多かった。
そういうわけで、領地管理で一番頭を悩ますのが野獣退治だ。
人的被害を出さないことが最優先だが、その上で、なるべく農地を荒らさず野獣を仕留めるのには骨が折れる。
首尾よく行かなかった時には、狩った獣の肉や毛皮で稼いだ金で補填した。
俺の両親である伯爵夫妻は、王都で社交と商売に精を出している。
作物が沢山とれても売らなければ収入にならない。
それで、俺は成人する少し前から当主代理として領地を預かっていた。
領地には父の弟である叔父のマテーウスがおり、野獣討伐隊の隊長を務めている。強くて頼りがいのある叔父だ。
領主代理の仕事は暇ではない。
書類仕事はさほど多くないが、農地の見回りが欠かせない。
領民と話をし、何かあれば相談にのり、作物の収量を確保しなければならない。
自ら馬を走らせ、害獣を見つければ討伐隊に連絡し、たまには討伐を手伝う。
最近は、成人したこともあり、領民と話すたび同じ話題が出る。
「ベルント様も早く嫁さん貰わんと」
「こんだけ頑張ってんだ、きっと神様が良い人見つけてくれるさ」
田舎暮らしでも貴族は貴族。
嫁は貴族家から貰わねばならないし、見つけてくれるのは神様ではなく両親だ。
出会いの場も暇も無い自分には、どうしようもない。
「どんな人がいいんだ?」
「やっぱ、可愛い子か?」
「おっぱいのデカい子か?」
一生懸命働く健気な娘は可愛いし、胸は子育てに不自由なければいいんじゃないだろうか?
そんなある日、王都の父から手紙が来た。
『ひと月後、王都でお前の結婚式をするから出てくるように』
急な話のようだが、親に結婚相手を選んでもらうつもりでいれば、こんなものだろう。
叔父に知らせるために早速、討伐隊の拠点に出かける。
「おお、とうとう、お前も一人前か」
「はい。仕事はなるべく片付けていきますが、留守中はよろしくお願いします」
「任せとけ」
そんな会話にぬるりと入って来る部外者がいた。
「ベルント、お前とは独身同盟を組んでいたつもりだが、抜け駆けされるとは」
「そんなもの組んだ覚えはないが」
奴は辺境伯家の嫡男ルトガー。
俺たちの関係は幼馴染というか、唯一の友達というか、一番しっくりくるのは腐れ縁だ。
「初恋もまだのお前が、いきなり結婚かぁ」
しみじみと言われた。俺の初恋について把握しているというのが、まさしく腐れ縁の証明な気がする。
「まあ、せっかくの縁なのだし、逃げられないように頑張れよ」
心配されているのか揶揄われているのか、悩むところだ。
ひと月後、護衛として討伐隊員を一人借り、騎馬で王都まで行った。
王都に長逗留の両親は小さな一軒家を借りているので、宿と厩舎の心配はいらない。
着いた翌日、花嫁とその家族に初めて会った。
花嫁のヨハンナは子爵家の娘。
彼女の父である子爵は王城で文官をしているので、ずっと王都で育ったという。
兄が一人いて、王城の騎士団に所属している。
仕事が忙しいらしく、顔合わせを済ませると『結婚式に出られなくて申し訳ない』と詫びながら帰って行った。
この縁談は伯爵家の商売相手から回って来たものだが、うちの父と子爵は既に面識があり、お互い為人が知れているところから、話が進んだそうだ。
「田舎領地に来ていただけるのは、ありがたいです」
俺の言葉に、子爵は穏やかな物言いで応えた。
「いやあ、娘はお転婆ですから。狭い王都より向いていそうな気がします」
王都暮らしの彼女は反論するかと思いきや、同感とばかり、にこにこと笑っている。
ヨハンナは小柄で、動作が機敏な女の子だった。
「あの、よかったら一緒に街に出ませんか?」
そして、初対面でも物怖じしない。
「俺は初めて来たんです。案内してもらえますか」
「はい、お任せください」
明日は結婚式。日程にそれほど余裕はないので、王都散策の機会は今日しかない。
すぐに、母が財布を用意してくれた。
「王都の物価は高いから、買い物をする時は、よく見て選ぶのよ」
親が書類を交わしているので俺たちは立派な婚約者同士。この状況では伯爵家で金銭を賄うのが一般的だ。
彼女も俺の隣で、真面目な顔で小さく頷いていた。
田舎者の俺は、高級な店が立ち並ぶ場所に行っても途方に暮れる。
彼女に頼んで、庶民向けの市場へ連れて行ってもらった。
歩くうちに小腹が空いて、串焼き肉の香ばしい匂いに誘われる。
値段を見れば確かに高い。領地の収穫祭で振舞う串焼きの三分の一くらいの量なのに、こんなにするのか。
だが、結局匂いに負けて二本買ってみた。
「美味しい!」
一言『高い』と言いそうになったが、ヨハンナが嬉しそうに肉を頬張るので止めた。自分も食べてみる。
「本当だ。旨い。ハーブを使って風味を出しているのかな?」
「王都ではどうしても肉の流通に時間がかかるので、臭み消しには気を遣うようです」
「もっと食べるか?」
彼女に訊いてみると首を横に振る。
「いいえ、キリがないから。それに明日は一応、ドレスを着るので」
きっと、無駄遣いしないよう気を遣ってくれたのだろう。
「肉は好き?」
「はい! お小遣いに余裕がある時、友達は甘いものを買うんですけど、わたしは肉派です」
キリっとした顔で言い切ってから、不安げな表情になる。
「……そんなの女の子らしくないって、よく、言われるんですけど」
「伯爵領に戻ったら、ご馳走できると思う。
うちの領地は害獣狩りが忙しいけど、その分、肉は食べさせられるから」
「わあ、楽しみです」
シュンとしていたかと思えば、あっという間にキラキラした笑顔を見せた。
それから市場をひと回りし、そろそろ戻ろうという頃。
「何か、記念になる物を贈りたいんだ。
アクセサリーなど見てみないか?」
母の入れ知恵に従って、水を向ける。
しかし、ヨハンナはいいえと首を振った。
「せっかくですけれど、あまり使うことも無いからいいです」
確かに、うちの領地のような田舎暮らしでは着飾る必要がほぼない。
贅沢にあまり関心が無いのは、好ましい。
いや、贅沢をしたい女性が、田舎伯爵家に嫁いではくれないだろうが。
ところが、帰る途中で彼女はふいに立ち止まった。
「何か、見つけた?」
「あの、あそこで売られている……」
そこは、アクセサリーの店だった。
高級店を経営している商会が、庶民向けの店も出しているのだ。
シンプルなデザインがほとんどだが、中には職人の練習用に作られた凝ったものもある。
だが、彼女の目に留まったのは完成品ではなかった。
その店で一番安い、半貴石の小さな欠片。
加工した後の余り物で、革袋に詰め込んで、やっと値が付くようなものだ。
「これ、何に使うの?」
「伝統手芸の一つで、木片や小石を細い糸で織り込んで作るお守りがあるんです。それを、この綺麗な石で作ってみたいなと思って」
手芸品には明るくないが、それは是非、見てみたい。
「じゃあ、これを五袋もらおう」
「え、そんなに? いいんですか?」
彼女は驚いた顔をする。
「いいよ。うちの領地では、こういうものは手に入りにくいし」
「ありがとうございます」
五袋買っても、一番安いブレスレット一個分ほどの値段だ。
こんなに喜ばれるなら、更に安く感じる。
丁度、こちらへ寄って来た店員に声をかけた。
安い買い物のわりに、店員は愛想がよい。
「毎度! いろいろ混じってるから、好きな色がある辺りを掬って袋に詰めてください。それから、五袋まとめてだから、もう一袋おまけしますよ。
六袋詰めてってください」
「わあ、頑張って詰めなきゃ!」
彼女は眉を寄せて、小さな石を一生懸命に袋に詰めていた。
翌日、王都の教会の一つで結婚式を挙げた。
式服は、どちらも新調していない。
俺は父のお下がり、彼女は従姉に借りたというドレス。
慣習で、互いに何か一つ新しいものを贈り合って身に付ける。
俺は、ありがちなのだが青いリボンを贈った。彼女はそれを髪に差す花飾りに上手く編み込んで使ってくれた。
彼女から贈られたのは、ポケットチーフだ。
手芸が得意なだけあって、神への祈りを表すという伝統的な図柄が見事に刺繍されていた。
貴族の結婚式は、決められた教会で行うことと、予め届を出しておくことが必須だ。伯爵以下の貴族の場合は、基本それさえ押さえておけば問題ない。
そうしておくと当日、貴族の戸籍を扱う文官がやってきて、式を確認後、証明書を渡してくれる。
付き合いが広く、人間関係がややこしい高位貴族だと、招待客の選び方や序列云々で想像もつかないほど大変らしい。伯爵家の身分でも手広く商売していたり、特別裕福だったりすれば、それに準じて苦労するようだ。
その点、俺たちのように田舎伯爵家と子爵家の結婚は気楽なものだった。
祭壇の前で隣に立つヨハンナを見た時、緊張しているというよりも、気が緩まないように頑張って澄ましているように見えた。
お陰で、なんだか俺も肩の力が抜けたように思える。
結婚式の翌日には王都を後にした。
「私も馬に乗れますし、野営も大丈夫ですから」
ヨハンナがそう言うので甘えることにした。
馬車なら一週間かかる行程も、騎馬なら半分ほどに短縮できる。
領地の仕事があるし、早く帰れるに越したことはない。
うちの両親は万一の心配をして馬車を勧めたが、子爵夫妻は苦笑いはしたものの娘の乗馬の腕を保証してくれた。
旅支度を終えたヨハンナはパンツスタイル。
長い髪もまとめて帽子に押し込むと、可愛らしい少年にも見える。
その姿で、見事に馬を操っていた。
「乗馬は、いつ覚えたの?」
やはり気になるので訊いてみた。
「兄に習いました。
どうしても教えてくれと粘りに粘って、口説き落としたんです」
粘りに粘った女の子を想像すると、少し彼女の兄上が羨ましくもある。
「いい加減な乗り方をして大怪我をするよりは、と教えてくれました」
「お兄さんに習ったのは、馬だけ?」
「遠乗りに行ったついでに、弓も少し。
剣は、重すぎて無理だったので」
「もしかして、女性騎士を目指してたとか?」
「いいえ。いつか機会があれば、ずっと遠くまで行ってみたいなって漠然と考えていたんです」
伯爵領が、彼女の目指す遠くだったらいいな、と思う。
旅は順調だった。
彼女は特に苦労もないようで、文句も愚痴も無い。
だが、最後の野営準備を始めた夕方のこと、ポロリとこぼした。
「新鮮な肉が食べたいですね」
野営用の食糧は王都で調達した。
量は十分だったが、似たようなものが続くので食べ飽きる。
ヨハンナは自分の荷物が入った袋を開けて、小さめの弓と矢を取り出した。
「あの、少しだけ木立の中に入ってみてもいいですか?」
彼女は弓で獲物を獲るつもりなのだろう。
危なげない乗馬の腕からして、弓の方もそれなりと思われる。
「少しだけなら。でも、ここは街道に近いから野獣を見つけるのは難しいかも」
「気配が無さそうなら諦めます」
「わかった。じゃあ、俺がついて行こう」
「ありがとうございます」
護衛に馬と荷物を託して、俺たちは木立の中へ入って行った。
なるべく、こちらの気配を消すために慎重に歩く。
やがて、彼女が立ち止まった。
一本の木を見据え、ゆっくりと見上げる。
視線を止めると、流れるような動作で矢を放った。
バサバサと枝葉を揺らしながら何かが落ちてくる。
矢で射貫かれた鳥だ。拾ってみるとなかなかの大物。
「思ったより太って脂がのってそうです」
ヨハンナは俺から鳥を受け取ると、木の根元に穴を掘り、さっさと捌いてゴミを始末した。
護衛は火を熾して待っていたが、俺たちの姿を見て少し驚いたようだった。
……もしや、俺たちが新婚だから二人きりで良からぬことをするために、木立に入ったと思われたか?
俺はともかく、ヨハンナはそんな娘じゃない。
ちょっと怒りが湧いて、すぐに冷静になる。
俺は、何を怒ってるんだ?
「ずいぶん、いい肉を仕留めて来ましたね!」
護衛の明るい声が上がる。
あー、やっぱり誤解だった。
彼は、短い時間で獲物を狩って来たヨハンナの腕に驚いただけだ。
「葉っぱにくるんで、蒸し焼きにしたらいいかと思うんですけど」
「手伝いましょう」
護衛は穴を掘り、適当な石を拾ってきて即席の窯を作る。
ヨハンナは蒸し焼きに向いた葉を見つけたようだ。
「やっぱり、肉はいいです」
大きな鳥からとれた肉は、三人で十分味わえる量だった。
護衛は、持っていたハーブ入りの塩を惜しみなく使ってくれた。
「美味しかった。ご馳走様。
領地では、これより旨いのを食わせないとな」
「……お腹いっぱいなのに、涎が出そうです」
それを聞いた俺は、丸々と太った獣を狩って彼女を喜ばせようと決意したのだった。
翌日、領主館に着くと使用人たちが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ。若様、若奥様」
「今帰った。出迎えありがとう」
「初めまして。よろしくお願いします」
もう陽も落ちている。
さすがに彼女も疲れていると思い、家政婦長に世話を頼んだ。
旅のために先延ばしにした初夜だ。今夜でなくともいい。
あとで、彼女が起きていれば挨拶だけしようと考えていた。
彼女には夫婦用の寝室を使ってもらうことにして、俺は今まで使っていた自分の部屋に戻って旅装を解く。
ソファに伸びて寛いでいると、しばらくして執事が来た。
「若様、少々問題が起きました」
「ヨハンナに何か?」
「いえ、若奥様は大丈夫です。今は湯あみをされているかと。
実はマテーウス様がお戻りになると先触れが……」
「すぐ行く」
留守を頼んだ叔父は、午後になって害獣出現の通報を受け出向いたという。
百戦錬磨の叔父が苦戦するような害獣が出たのだろうか?
「ベルント、帰った早々済まんな」
叔父は、近くの集落から借りた荷車で運ばれてきた。
「叔父上、そんなに強い害獣が出たんですか?」
「いや、強くは無いんだが数が多い。
とにかく時間がかかる。それで少々、腰をやった」
「それは大変だ、医者を……」
「いや、俺のことはいい……それより、お前、出られるか?」
手が足りないのだ。しばらく休憩もしたし、動けそうだと判断した俺は頷いた。
「すぐに出ます」
後は執事に任せ、俺は討伐に向かう支度をする。
先触れに来た討伐隊員の案内で、辺境伯領方向へ進んだ。
幸いにも現場は畑地ではなかったが、それでも苦戦しているのだった。
「若様!」
「害獣は何だ?」
「レインショーです」
レインショーは小型の猪だ。肉は柔らかく、旨い。
ヨハンナの土産には最適だった。
俺は『お肉楽しみ。応援しています』というヨハンナの声(幻聴)を励みに頑張った。
勇ましい討伐、というよりは隊員に混じって連携プレーの一員となる地味な作業だったけれども。
空が白み始めた頃、やっと最後の一匹を仕留めた。
討伐隊の一人が笛を吹いて、近隣に討伐終了を報せる。
野獣と対峙する心得のないものは、笛が鳴るまで外に出ないのが決まりだ。
しばらくすると、一番近い集落から男たちが様子を見に来た。
「お疲れ様です。一晩中、討伐でしたか」
「騒がせたな。一段落したから、しばらく安心だろう」
隊長代理の隊員が返事をしている。
「あれ? 若様も出たんですか?」
集落の長が俺に気付いた。
「叔父貴が腰をやったんで代理だ」
「それは、お疲れさまでした……って、結婚式から帰って来たばっかりじゃ?」
「そりゃ、いけねえ」
「早く帰った方がいい」
「嫁さん放っといちゃマズい」
既婚者らしい男たちが口々に言う。
あまりに真剣に言われて心配になった。
「やっぱり帰った方がいいのか?」
「若様、女房は初めが肝心だ。
将来、魔王になるか女神になるか、そこで決まる」
長が真剣な顔で、話を締める。
他の男たちや、討伐隊員も頷いている。
とても疎かには出来ない雰囲気になった。
「……わかった。後は頼む」
「お任せください」
「頑張んなさいよー」
俺は馬を急がせた。
だがしかし、俺は間に合わなかったのだ。
夫婦用の寝室にヨハンナの姿は無い。
広いベッドは掛布がめくられ、睡眠に使われた形跡はある。
しかし、それを使ったはずの人物が見当たらない。
「逃げられた、のか?」
初夜(やる気だったかどうかはともかく)に新郎は寝室に行かなかった。
その時新婦は、どんな思いになるのだろう。
俺は深く息を吐いた。
彼女は馬に乗れれば野営も出来る。
獲物だって鮮やかに仕留めていた。
ずっと遠くまで、もう一人で行けるのだ。
王都の市場で見た笑顔や、肉をたっぷり食べたいと言った時の嘘のない眼差し。出会って間もないのに、俺の頭の中にはヨハンナの見せてくれた様々な表情が次々に浮かぶ。
「若様、お帰りでしたか。お怪我はありませんか?」
廊下から執事に声をかけられた。
「ああ、大丈夫だ。討伐隊も全員無事だった」
「それは、ようございました」
現実に戻ろう。自分に浸ってないで叔父上に討伐の報告もしなければ。
「叔父上は一階の客間か?」
「はい」
急いで階下に降り、ノックするのももどかしくドアを開ける。
「叔父上、ただ今戻りま……」
部屋の様子を見た俺は、言葉を継げなかった。
客間のベッドには叔父が寝そべっており、その上にヨハンナが跨っていたのだ。
…………たいへんに誤解を招く表現だった。
しかし、まったくの真実である。
ヨハンナは叔父の上に乗ったまま、にこやかに笑った。
「お帰りなさい。お疲れさまでした」
「ああ、ただ今。……寝室に君がいないから驚いた」
「ひと眠りさせて頂いて目覚めたら、何か屋敷の中が慌ただしかったので。
執事さんに訊いたら、ベルント様は討伐の手伝いに出かけられたと」
「黙って出かけて済まない」
「いいえ。お急ぎだったのですから。
それで、叔父様が腰を痛められているというので、マッサージをしておりました」
うつ伏せで目を閉じていた叔父は、俺たちの声で目覚めたようだ。
「ん? ……んぁ、ベルント?」
「叔父上、ただ今戻りました」
「ご苦労だったな。首尾は?」
「討伐は無事終了して、怪我人もおりません」
「そうか、よかった。ありがとう。ところで」
「はい」
「お前、いい嫁さん貰ったなぁ」
「はぁ」
「あんまりマッサージが上手いんで、気持ちよくてウトウトしてた。
ヨハンナさん、ありがとう。だいぶ楽になった。貴女も休んでくれ」
「はい。また痛むようでしたら、呼んでください」
「ああ、頼むよ」
俺はヨハンナと談話室に移動した。
メイドが茶を出してくれる。
「君には、いろいろ驚かされるけど、マッサージまで出来るのか」
「乳母が酷い腰痛持ちで、よく按摩師を呼んでいたのです。
見よう見まねで覚えました」
「そうか。君のお陰で助かった。どうもありがとう」
「お役に立てて嬉しいです」
ほんのり微笑むのが愛らしい。
ホッとして、余計な言葉が口から出た。
「寝室に君がいなくて、逃げられたかと思った」
彼女が目を瞠る。
「新しい土地に来て心細いだろうに、放っておいたから……。
君が、簡単に誤解したり、拗ねたりするような人じゃないと、分かってるのに。
でも、君はとても素敵な人だから、俺はつなぎ止められるか自信がない」
ヨハンナは一呼吸してから話し始めた。
「……知り合いに言われたんです。
いくら親同士が決めたとしても、顔合わせしてすぐ結婚なんて、うまく行きっこないって。
でも、まずは会って話してみないとわからないでしょう?
最初から決めつけてたら、それこそうまく行かないと思います」
「会ってみて、どうだった?」
「伯爵領に来るまでに三つ、いい所を見つけられたら、ずっと仲良しでいられるって、おまじないをしたんです」
「それで?」
「初めて会った後、市場を散歩したでしょう?
あの時だけで、三つ以上、いい所を見つけてしまいました。
歩調を合わせてくれたし、勝手に一人で決めたりしなかったし、甘いものより肉が好きでも女の子らしくないって言わなかったし……」
ヨハンナは二人の思い出を数えるように俺のいい所を挙げていった。
まるで、当たり前のことばかりなのに、それをいいと言ってくれる。
ここは感動して、彼女を抱きしめるところじゃないだろうか?
今だ、抱きしめろ! とばかりに自分自身を鼓舞したが、残念ながら邪魔が入った。
「若様、辺境伯家のルトガー様がお見えです」
執事の後ろからは、隣領の幼馴染が顔を出す。
「朝早くから押しかけて済まない、ベルント。
そして、大変申し訳なかった! この通りだ」
身分的には俺よりずっと偉いルトガーが頭を下げた。
訳を訊けば、大量の野獣が湧いて出た件は、辺境伯軍のせいだという。
「大型の野獣退治をしていて、うっかりレインショーの群れを刺激してしまった。追おうにも手いっぱいで……」
それで、早朝からわざわざ辺境伯家嫡男自らが謝罪に訪れたのだった。
「まあ、畑に被害も無かったし、怪我人も出ていないので、あまり気にするな」
「そうか。そう言ってもらえるとありがたい」
「レインショーの肉と毛皮は貰っていいか?」
「もちろんだ。討伐した伯爵領の物だ。
あとで慰謝料と見舞金も出すから」
「ありがたく頂く」
友人とはいえ、くれると言う物はありがたく貰う主義だ。
「ところで、そちらがお前のお嫁さんか?」
「ああ」
「妻のヨハンナです。よろしくお願いいたします」
「そうか。おめでとう。
私は隣の辺境伯領の息子でルトガーと言います。
ベルントとは幼馴染なので、何かあれば気軽に頼ってください」
「ありがとうございます」
「それにしても、結婚相手について親に任せていたお前が、こんな可愛らしいお嫁さんを貰うとは。何か理不尽な気がする」
「いや、それはもう言いがかりだから」
「まあいい。ヨハンナさん、ベルントが嫌になった時は是非、辺境伯領へお越しください。俺の隣を空けて、お待ちしております」
ルトガーは家柄もいいが、俺より遥かにイケメンだ。もちろん強い。
だから、冗談でもやめてくれ、と思ったがヨハンナはうんともすんとも言わない。
横を見ると、ソファに座ったまま舟を漕いでいる
そのままでは危ないので、思わず肩を抱いた。
「昨夜の騒ぎでお疲れのようだな」
「ああ、着いたばかりなのに気を遣ってくれて」
「本当におめでとう。大事にしろよ」
「もちろんだ」
三か月先に生まれただけで、少し兄貴風を吹かせる兆候のある幼馴染だが祝う気持ちは本物だろう。素直に返事をしておく。
ルトガーは昨日の野獣狩りの後始末があるからとさっさと帰っていった。
談話室には二人だけ。
「ヨハンナ?」
「……ふぁ…い」
「眠ってていいよ」
「ん……」
すっかり力を抜いた彼女が、俺にもたれかかる。
安心している寝顔だ。
ずっと眺めていたいと思わないでもなかったが、彼女を抱き直して寝室まで運んだ。
初夜は、まあ、焦らずに行こう。
逃げ出さなかった花嫁は、俺に時間をくれるだろう。
十日ほど後のこと、領主館で先のレインショー討伐の慰労会をした。
肉は山ほどある。討伐隊員たちの旺盛な食欲も満たせるだろう。
そして、ヨハンナもまた、食欲旺盛だった。
小柄な身体のどこに、そんなに入るのかと思うくらい食べていた。
「ベルント様、美味しいです!」
「そうか。慌てずによく噛んで食べて」
「はい!」
可愛くて働き者の嫁が来てくれて、俺は幸せ者だと思う。
だが、同時に少し心配なことが出来た。
もしも、ヨハンナが野獣討伐隊について行きたいと言ったら……
足手まといにはならない彼女を、どうやって止めようか。
もしも彼女が『お願いです』って言ってきたら、俺は断れるだろうか。
「ベルント様! ベルント様?」
ほら、こんなふうに可愛い顔をして。
「どうなさったんですか?」
真正面から見上げられたら堪らない。
妄想よりも可愛い、現実の彼女を抱き締めた。
「おや、慰労会じゃ無くて披露宴だったか」
招待しないのに詫びの酒樽を携えて、ちゃっかり参加しているルトガーの声がした。
けれど、今は忙しいので無視だ。
「……ベルント様、ちょっとだけ、腕の力を緩めてください!」
「ごめん、苦しかったか?」
「いいえ。でも、緩めてくださらないと私の手が、貴方の背中に回せません」
「ヨハンナ」
彼女が微笑む。
俺は、なんという幸せ者なんだろう。
いいだけ食って飲んだ酔っ払いたちは囃し立て、大騒ぎしている。
だが、少しも気にならない。
俺の腕の中には愛しい君がいる。
今大事なことは、それだけだった。




