09.ゴキブリ雷夜《らいや》とミスター低低《て-て-》-4
「ゴキブリ雷夜・・・・・・」
思わず砂映は呟いて、それからはっとなって慌てた。
この呼び名は、どう考えても悪口である。
「あ、いやその」
しかし途季老人はさして気にする様子もなかった。
「あやつの魔精は強烈じゃからなあ。愛想も悪いし学校でも嫌われとったじゃろ?もしかして砂映くんもあやつに嫌な思い出があるかな」
むしろ気遣うように訊ねてくる。
「や、俺は別に。感度低低なんで何も感じないし。けど、途季さんは・・・・・・」
「いや、確かにはじめはびっくりしたけどな。慣れるとそうでもない。とっつき悪いが嫌な奴じゃないしな」
その口調から、老人が雷夜を好いていることが伝わってきた。
そのことに、砂映はなぜかほっとする。
(いやだから、俺が心配するのはおかしな話だ)
魔術関係職種として最上位である魔道士。
そのプロとして、第一線で十五年やって来た人間を、落ちこぼれの新米魔法薬師が心配するなんておこがましいにも程がある。
「しかしよかった。じゃあこれから行ってきてくれるか砂映くん」
老人の言葉に、砂映は我に返った。
「あの、よく聞いてなかったんで・・・・・・すみません」
「じゃから、この芋虫の件は雷夜が担当することになった。手伝いがほしいと言っておったから、その芋虫を連れて行って、そのまま助けてやってくれ。店についてはわしが見ておくから心配せんでいい」
「いや、ちょっと待ってください」
この、魔女が絡んでいるらしい重大事件に関わる手伝い?魔道士様を、助ける?自分が?
「俺には無理じゃないかと」
「そんなことなかろう」
「俺がこの職業としてはありえないほど魔力が低くて魔精感度も悪くて、魔法薬師の資格もとれなかった落ちこぼれで、しかもまだ実務経験半年足らずの未熟者だってこと、雷夜・・・・・・さんには言ったんですか?」
「言っとらんわそんなこと」
「並の魔法薬師の能力を期待されてもたぶん俺には無理で」
「誰でもいいと言っとったが」
「いや誰でもいいって・・・・・・一般人でもってことですか?」
「はてそこまで詳しく聞いとらんが」
老人は、とぼけたように頭を掻いている。
砂映には、何よりそこが重要だった。
途季老人の店で働いている魔法薬師なら、と思われているなら非常にまずい。
「その、申し訳ないのですがもう一度雷夜、さんに電話でもしてもらって・・・・・・一般人でもいいというような手伝いならもちろん喜んでさせていただきますが、その」
「僕が行くよ!」
砂映が必死で言っていると、先程まで石電をいじっていた明輝良少年が、突然笑顔で手を挙げた。
「魔力も魔精感度も高いし、学校でも優秀って言われてるし僕。魔道士の先輩でしょ?会いたい!きっと役に立つよ僕」
「それは駄目だ!」
砂映は思わず大声を出した。
「魔女が関わっている可能性が高くて、危険だから。それはやめた方がいい」
その勢いに、途季老人も少年の父の積多も驚いて砂映を見た。明輝良少年も目を丸くしたが、言い返す。
「なあに言ってんの。おっさんよりは強いと思うよ僕」
「そうかもしれんけど。君はまだ十五歳で、子どもで、学生だから」
「なにそれ。急に大人ぶって変なの」
「悪いけど、俺のかわりに君が行って、君に何かあったら俺は嫌なんで」
「僕だって嫌だよ諦めるの。こんな素敵な機会めったにないのに」
「魔道士雷夜に会いたいなら、途季さんに頼んで別の機会を設けてもらって・・・・・・」
その時、老人の手前の空間に握り拳ほどの小さな「空間のひずみ」が発生した。
こういう変化は砂映でも感じ取れる。
魔術の素養がない積多にも、他の三人が目をやっている空間に「変化」が起こっているのは見ることができた。透明な空気が渦を巻き、キラキラと光の粒子が舞っている。
「・・・・・・雷夜か」
老人が言った。
砂映はその魔術を久しぶりに見たな、と思った。
石板電話に使われている技術は通常の電話とは異なり、魔術工学の範疇である。その元は空間と情報伝達に関わる白魔術の一種だ。「楽だから」と、今では魔術を使える者でも石板電話を持っている者が大半なのだが、雷夜は持たない派なのか、それとも石板電話とは異なる形の空間接続なのか。
「ああ。うん。あと三十分ほど待っておれ」
電話と同じように、敢えて術を切り替えない限り通常相手の声はまわりには聞こえない。雷夜の声は砂映たちには聞こえなかった。
通話を終えると老人は言った。
「明輝良くんと砂映、二人で行くのがよかろう」
「そんな」
砂映は納得がいかない。こんな子どもを巻き込むなんて、どうかしている。
「何かあっても俺じゃ明輝良くんを守れない」
砂映は言った。
「おっさんが僕を守る?冗談」
明輝良少年はケラケラと笑う。
「・・・・・・砂映くんが責任を感じる必要はないから」と途季老人。
「誰が何と言おうとも、行くからね僕は!」
高らかに言いながら明輝良は立ち上がった。誰かから電話がかかってきたらしく、石板電話に向かって話しながら店の外に出て行った。
「・・・・・・親の手に負えない我儘な子で・・・・・・失礼なことばかり言って申し訳ないです」
明輝良の姿がなくなると、父親の積多が砂映に謝った。
「いえ、でも・・・・・・本当に危険かもしれないのに」
砂映は言ったが、積多は怯えるような表情をして声を潜めると言った。
「正直あの子は、昔から何を考えているかわからなかった。妻もいつもおそれていた。兄の凪はおっとりしたいい子なのに」
「立ち入ったことを訊くようじゃが、積多さん、おたくは四人家族ですかな?お子さんは二人だけ、二人とも積多さんと奥様の実の子ですか?」
老人が訊ねた。
「ええ。それは」
「奥様はいまどちらに?」
積多は顔をしかめ、数回まばたきしたが、やがて絞り出すように言った。
「実は・・・・・・先月から行方不明なんです。それで凪も塞ぎがちになっていて」
砂映は驚いたが、老人は淡々と訊ねた。
「詳しく教えてもらってもよいですかな。奥様は、お仕事はされていた?」
「いえ、専業主婦で」
「いなくなった時はどんな感じで?」
「どんなって・・・・・・。本当に突然で。出て行く理由も思い当たらないし、何か事件にでも巻き込まれたとしか。荷物を持っていった様子もなく、まるで消えたみたいに」
積多は言って、それからはっとしたように訊ねた。
「まさか妻が消えたのも魔法ということですか?凪が芋虫になったのと、関係があるんですか?あ、もしかして芋虫になったのに気づいてなくて、実はずっと家に・・・・・・」
みるみる真っ青になった積多に、老人は訊く。
「行方不明者届けは出したのかいの」
「はいそれは。でも何も情報がなくて」
「なら、警察局の魔法捜査官がお宅を含めて周辺の『存在探知』は行なってるはずじゃから、少なくとも誰にも気づかれずにお宅にいるということはない」
「そうなんですか?」
「うむ。ところで奥様は、魔法や魔術をお使いになる方かな?」
途季老人の問いに、砂映はハラハラした。
老人は、今度は積多の妻が犯人と疑っているのだろうか。
けれど母親が我が子を芋虫に変えるなんて、そんなことするだろうか。
「違うと思いますが・・・・・・わかりません」
「わからない?」
「私は魔法のことをよく知らないし・・・・・・魔法を使えたとしても私にはわからない」
「奥様のご実家やご親族、お知り合いはどうですかな。仕事にしている方や、それらしきことをしている方というのは」
「わかりません。妻は天涯孤独と聞いていて、私は妻の血縁の方とは一切会ったことがないんです。妻の知り合いや友人というのも・・・・・・」
「奥様はどんな方ですか」
「どんなって・・・・・・おっとりとして、純粋で」
「凪くんはお母さん似ですか」
「どちらかと言えばそうですね」
「では明輝良くんはあなた似?」
「それはちょっと違う気がしますね。あの子は昔からどこかおかしくて・・・・・・明輝良はどちらにも似ていない。あ、いや、実の息子なのは間違いないんですけどね」
目元とかそっくりじゃないですか、と砂映は口を挟みそうになったが黙っていた。
家族の中で明輝良少年は異物として扱われているのかもしれない。もちろん、母親や兄がどんな風に彼に接しているかはわからないが。
(悪い子じゃないと思うのに)
表に出ていた明輝良が戻ってきたので、砂映は出る準備をするために奥へ向かおうとした。
その砂映の背中に明輝良が強い口調で声をかけた。
「おっさん!」
「はい?」
母親のことや父親に似ていないと言われていることは、本人にとって話されたくないことかもしれない。たぶん聞かれてはいないとは思いつつも、内心びくつきながら砂映は笑顔を貼り付けて振り返る。
「なんでしょう」
「そういや訊き忘れてたなあって」
どことなく挑戦的にも見える上目遣いで笑いながら、明輝良は訊ねた。
「おっさんは、結局何の資格をとって魔法薬師になったの?」
その質問が今来るとは思っていなかったので、砂映は面食らった。
「ああ・・・・・・魔草師だけど・・・・・・」
「マソウシ?」
「魔精植物の意味の魔草。マイナーな資格ですよ」
「うん。聞いたことないや。おっさんでもとれるって、よっぽど弱々でもとれるんだね」
少年のコメントは容赦ない。
「ハハ。残念ながらそのとおり」
言いながら背中を向けて、砂映は奥へと引っ込んだ。
白魔術系医療職らしいクラシカルな法衣をはおったまま、石電や財布を懐に突っ込む。
戻った砂映に、老人は簡単に雷夜の家の場所を説明した。
老人がいくつか保護の術をかけた芋虫の小瓶を、砂映は大切に持った。
「行ってきます」
砂映は老人と積多に頭を下げた。
明輝良はぷらっと手を振った。父親と目を合わせることは一度もなかった。