06.ゴキブリ雷夜《らいや》とミスター低低《て-て-》-1
「この街で、人が芋虫になる例が他にも数十件起きておるらしい」
途季老人は言った。
砂映は「え」となった。
それはもう、おそろしい大事件ではないか。
「そちらの依頼人殿、ええと、お名前は」
「積多と申します」
「積多さん。息子の凪くんが芋虫に変わったのは今日の正午頃ということでしたな」
「ええ。私は今日は有休で。凪はちょっと調子を崩していたので学校を休んでいて。昼食ができたからと凪を呼んだんです。息子は階段を下りてきて居間に現れました。その途端・・・・・・」
「ポン、ですかな。ポン、と芋虫になった」
「はい」
「ふむ。時間は違うが他と似たような感じじゃの。それでその時、坊主はその場におらなんだか」
「坊主じゃないよ明輝良だよ」
ぷうっと頬を膨らませる少年の代わりに積多が答える。
「ええ、その時明輝良は出かけていて」
「お兄さんとは何歳違いですか」
「二歳違いです。凪が十七歳、明輝良が十五歳」
「凪くんの魔力は?」
「子どもの頃受けたテストでは、まあまあ高めでした。明輝良ほどではなかったですが」
父親の言葉に、明輝良はぴくりと反応している。
「しかしお兄さんは魔術学校には入っていない?」
「ええ。普通の高校に」
老人は、備え付けてある問診票をメモ帳がわりにあれこれ書き込んでいた。
魔術協会かその依頼を受けた魔術士または魔道士に、申し送りをするのだろう。
大変な事件だが、不幸中の幸いなのは、この街には魔術学校、つまり魔術協会の拠点があるということだ。砂映が二度通ったこの魔術学校には、能力の高い関係者たちがよく出入りしていた。もちろん砂映のごときぺえぺえの一般生徒には、彼らとの接点は一切なかったが。
(事件の情報が入ってくるということは、もしかして老人も「協会関係者」、中枢に近いところにいる人ってことなのだろうか・・・・・・)
魔術協会の構造などは砂映はよく知らないが、老人の名声や年齢を考えれば、そうでない方がおかしいというものだ。
(俺が関わってはいけない世界の人かもしれない)
大ごとに巻き込まれて誰かに迷惑をかける前に、すっぱり魔術の世界から足を洗うべきだろうか。
砂映はそんなことまで考える。
「砂映くん、魔道士雷夜は知っとるか?」
ふと上の空になっていた砂映に、途季老人が訊ねた。
「雷夜・・・・・・え?」
「知らんか?結構有名なはずじゃが。それに、おぬし確かあやつと同じ時期にここの近所の魔術学校に通っていたじゃろう。履歴書を見た時に、そうじゃ、訊こうと思って忘れとった」
雷夜。
忘れもしない名前だ。
十代で魔道士になった同期生。
「この街で開業してるんですか?」
「知らなかったんか?」
「はい。まったく」
「わしはあやつが子どもの頃からの知り合いでな。さっき連絡をもらったんじゃが。芋虫の件はあやつが対応することになった。それで手伝いがほしいというんで、おぬしを行かせると約束した」
老人のことばを、砂映は聞いていなかった。
雷夜。
ゴキブリ雷夜・・・・・・と、ひどい名前で呼ばれていたのを砂映は覚えている。
砂映が「雷夜」を初めて見たのは、入学後のオリエンテーションが行われた魔術学校の大教室でだった。
その時砂映は十八歳。
魔術学校の入学可能年齢は、義務教育を終えた十五歳以上で、中学卒業後に入る者もいれば、砂映のように高校卒業後に入る者もいるし、大学卒業後の者や社会人もいる。教室にいる年齢層は幅広いが、少なくとも全員が十五歳以上のはずだった。
それなのに。
(あれ?小学生がいる?)
その男の子はあまりに小柄で幼い容姿だったので、誰かが弟を連れてきているのかと砂映は一瞬考えた。しかしその子は一人で座っていて、誰かと一緒に来たという感じではない。
(人形・・・・・・とかじゃないよな?)
そう錯覚しそうなほど動きがない。まばたきすら、なかなかしない。黒っぽい服装で、すっと姿勢よく、置かれたように座っている。
逆立つような真っ黒な髪に、青みがかったやけに大きな目、陶器のような白い肌。
童顔だが、顔立ちはひどく整っている。
幼い見た目に反して妙に落ち着いているように見えるが、単に気後れしてかたまっているだけかもしれない。
(・・・・・・いやいや。小さくても十五歳以上・・・・・・のはずなんだし)
砂映は一人っ子だが、従兄弟たちの中で一番年上だったせいか、どうも世話焼きの性分だった。まわりはざわめきに包まれており、砂映も近くの席の数人と軽い自己紹介を交わしたところだったが、かの童顔少年は誰とも目さえ合わせる気配がない。前を向いて静止している。もちろん誰とも関わる様子なく一人でいる者は教室内に他にも何人もいたが、その子があまりにも幼く見えたので・・・・・・そしてそこそこ人でいっぱいの教室で、なぜかその子のまわりだけが妙にぽっかりと誰もいない状態になっていたので・・・・・・砂映はどうしても気になってしょうがなかった。
(迷惑がられたらすぐに戻ればいいんだし)
軽くまわりに断りを入れて、荷物はその席に置いたまま、砂映は立ち上がってその子のところに行ってみた。
軽い調子で声をかける。
「えっと・・・・・・よかったらあっちの方の席来る?」
正面を向いていたその子の顔が砂映の方に向けられた。
遠くから見ても大きいという印象だったその両目がぐっと砂映に向けられて、砂映はややたじろいだ。綺麗な顔、ではあるのだが、小さな白い顔に小ぶりの鼻と口という造形なので、暗い湖面を思わせるその目の大きさはどこか異様な感さえあった。ましてその顔は一切内面の感情を映す気配がない。
にこりともせず、
「いや、結構だ」
声は幼く、けれど大人びた口調でその子は言った。
「あ、そうですか」
へらへらと笑って、砂映は元の座席へと戻った。
(別に困ってなかったならよかった。声かけられて怒った様子もなかったし)
そう思ったが、なぜか妙に動揺があって、なぜだろうと考えていると、
「おまえ、よくあれに声かけたな・・・・・・」
先程自己紹介をし合ったばかりの、砂映と同い年の少年が言った。
どういうことかと訊ねると、
「だって・・・・・・なんか」
その少年は言葉を濁しながら、助けを求めるようにまわりにいる他の少年たちを見た。
「うん。わかる。うまく言えないけど、なんか」
他の少年たちは皆「わかる」という様子だった。
しかし砂映には、わからなかった。