とある女性公務員の独白
こんにちは。私はとある地域の公民館で働く、至って普通の女性公務員です。公民館と言うだけあって、私の職場には赤ちゃんからお年寄りまで、地域の様々な人が訪れます。代わり映えのしない、平和で平穏、特に不満もない生活です。
さて、そんな平穏すぎる毎日を送っていれば、自然と面白いことや話題探しに夢中になっているわけです。特に意味もなく、日々通り過ぎていく人々に関心を向けてみたりしています。
そんな私には、もう長いこと日常的に観察し続けている人がいます。いえ、人たち、と言った方が正しいでしょうか。ある男の子と女の子なのですが、その二人はほぼ毎日、三時過ぎあたりにこの公民館を訪れます。そのときは必ず、女の子は制服、男の子は私服です。女の子の制服は近所の公立中学校のものですし、男の子の背丈は女の子よりも低く、さらに言えば、近くの公立小学校は制服ではなく私服登校。以上のことを踏まえると、二人は姉弟なのでしょう。お姉さんが手にしているのはいつもスクールバッグですが、弟さんはランドセルではなくトートバッグを持っているので、先に学校が終わる小学生の弟さんは一度家に帰り、中学生のお姉さんの帰りを彼女の通学路で待ち、お姉さんの下校途中にこの公民館を訪れている、とお見受けします。なぜすぐに家に帰らないのかは疑問ですが。
そんな姉弟は決まって、館内に設置された机に着き、しばらく過ごしてから席を立ちます。やっていることや滞在時間は、日によって様々です。平時なら一、二時間、机にトランプやその他テーブルゲームを並べて遊んだり、時にはお菓子を広げたりもしています。公民館に中高校生が異様に多く訪れる時期、すなわちテスト期間になると、設置された席は全て色んな学生さんたちで埋め尽くされてしまうからか、二人はぱったりとこの公民館を訪れなくなります。けれど二、三週間経てば、また二人は公民館の席に着いて、何事もなかったようにいつもの放課後を過ごすようになります。
さて、そんな姉弟二人は帰る際、必ずやっていくことがあります。出入り口のあたりに設置されている自動販売機で飲み物を買っていくのです。お姉さんは日によって違う飲み物を買っていきます。ジュースやココアやミルクティーなど、甘い飲み物がほとんどですね。対して弟さんは、ブラックコーヒー以外の飲み物を買うのを見たことがありません。二人の好物は正反対なのかもしれません。
ですが最近、驚くべきことが起きたのです。いえ、他の人から見たら、大したことない、それがどうしたんだ、と思われるかもしれませんが、二人を観察し続けてきた私にとっては、驚くことだったのです。なんと、ブラックしか購入していなかった弟さんが、ミルクコーヒーを買い出したじゃありませんか。
初日はお姉さんも、「押し間違い? 気をつけないとねー」と大して気にした様子はありませんでした。
しかし、彼は二日目もミルクコーヒーを買い、「え、なんで? 甘いの嫌いでしょ?」とお姉さんは戸惑っていました。弟さんはその言葉が聞こえていなかったかのように平然と歩きだし、それを慌ててお姉さんが追いかけて、その日は終わりました。
三日目も弟さんはミルクコーヒーを買いました。お姉さんはやはり怪訝な顔つきで、取り出し口に手を入れる彼を眺めていましたが、何も言いませんでした。その顔は『なんで?』と言いたげでしたが。
それ以降、弟さんはミルクコーヒーを買う、というのが定着したのか、日を重ねるに連れて、お姉さんは気にしなくなっていきました。ですが私は気になります。どうして彼はミルクコーヒーを買うようになったのでしょうか。お姉さんが言っているのを聞いただけですが、弟さんは甘いものが苦手な様子。確かに、今まで机で広げていたお菓子もポテチや煎餅などがほとんどで、甘いものはなかったように思います。ですが、いつも一緒にいるお姉さんにさえ、ミルクコーヒーを買い出した理由を何も言っていない、というのはどういうことなのでしょうか。試しに飲んでみたら案外いけた、というような話はよく聞きますが、このような理由ならお姉さんに隠す必要はどこにもありません。うーん、弟さんがミルクコーヒーを買い出した日⋯⋯何かあったでしょうか。強いて言えば、私の中ではなかったわけでもないのですが、弟さんがミルクコーヒーを買い出した理由にはどうも繋がりません。
——その日は、初めてお姉さんと会話をした日でした。
六月も下旬に入り、公民館に大きな七夕飾りの笹が設置されました。笹の近くには机と、カットされた長方形の色画用紙、そしてペンが置かれました。そう、公民館に来た人が自由に短冊に願いを書き、好きなところに自分たちで括り付けて、その年の七夕飾りを完成させるのです。今年も子供たちを中心に、多くの短冊が笹に飾られました。
机に設置しておいた短冊用の色画用紙が切れたので、新しく色画用紙を細長くカットし、補充するべく笹近くの机に向かった時でした。
「わ、七夕飾りだ。もうそんな時期かぁ」
いつの間にやら訪れていた姉弟が、私の後ろから笹を見上げていました。せっかくだと思い、私はお姉さんに短冊を一枚差し出しました。
「短冊、よかったら君たちもどうぞ」
「いいんですか?」
「もちろん」
お姉さんは「ありがとうございます!」と人懐っこい笑顔で私から短冊を受け取りました。どうやら初対面の人にも明るく接することができるタイプのようです。しっかりしていて、実にお姉さんらしかったのを覚えています。
あと、いつも受付カウンター越しに姉弟を見ていたので気づきませんでしたが、お姉さんはかなり背が高めです。一六〇センチぴったりの私とほぼ目線が変わらないのです。スタイルもよく見えましたし、羨ましいなぁと思わないわけではありませんでしたね。
お姉さんが机で前屈みになって短冊を書き込んでいる最中、いつも通り弟さんの姿も目に入ったので、私はすかさず、
「弟さんもどうぞ」
と短冊を差し出しました。
その時、弟さんの眉が僅かにピクリと動き、お姉さんの方で絶えず聞こえていた、鉛筆を動かすカリカリという音が、唐突にその場で止みました。あれ、私何かまずいこと言ったでしょうか。
「あ、りがとうございます⋯⋯」
けれど弟さんは何も言わずに、しかし消え入りそうな声でお礼を言って、私からしずしずと短冊を受け取りました。
「えと、嫌だったかな?」
「いえ、すみません! こいつ人見知りするタイプなんですよねー」
なぜかお姉さんが勢いよく振り返り、笑顔で私に説明してくれましたが、どこか困ったように眉が八の字になっていました。その日の帰りに、弟さんはミルクコーヒーを買っていったのです。
ちなみに、二人が帰った後で短冊をこっそり見せてもらいました。お姉さんの方には、『ずっと健康でいられますように』、弟さんの方には、『身長が欲しい』と書かれていました。弟さんの文字はHBの鉛筆で書いたとは思えないほど濃くて、思わず笑ってしまいました。小学生にしては全然高い方だと思いますし、気にする必要はないと思うのですが。
——あ。噂をすればですね。今日もいつも通り二人がやってきました。お姉さんが目を合わせて会釈してくれたので、私も笑顔で軽く頭を下げると、それに釣られるように、弟さんもペコリと頭を傾けてくれました。お姉さんはあの日以来、カウンターにいる私にこうやって笑顔で挨拶してくれるようになりました。いつも気になっていた二人と接点を持てた気がして、私としては嬉しいです。
「すいません、調理室使わせてもらいたいんですけど」
おっと。毎週この曜日に、料理教室を開いている奥様がやってきました。暇なときにあの姉弟を観察するのはいいですが、仕事はちゃんとしないといけませんね。
「はい。予約確認しますので、少々お待ちください」
弟さんのミルクコーヒー事件は後々考えるとして、今日もお仕事頑張ります。
***
「すいませーん。調理室ってどこですか?」
「はい。調理室は二階になります。階段を上がっていただくと左手に通路がございますので、それをずっと進んでいただいて、五つ目のドアが調理室になります」
「なるほど。ありがとうございましたー」
この時間に調理室、と言うことは料理教室でしょうか。ふふ、奥さんの料理教室はここ最近になって随分上り調子なようです。無料体験レッスンを実施したと聞きましたし、それが好評なのでしょう。毎週調理室の鍵を取りに来る奥さんも以前、『たくさんの人とご飯作って食べるのは、ほんとに楽しいのよ』なんて言って喜んでました。奥さんがご機嫌なようで何よりです。
——あっ。七夕飾りの笹を引っ張って遊んでいる子どもがいます。ふさふさな笹が台無しにならないように止めなきゃ——っと、館内を掃除していた館長が止めてくれました。さすが館長、子どもたちを宥めるのが非常に上手です。
公民館の自動ドアが開く度に、館内に入り込んでくる風に揺れる笹の葉は、近年緑の体積増加が目立っています。短冊用の色画用紙も、ここ数年は補充に行くどころか昨年と同じ量を用意すれば余らしてしまうほどです。少子高齢化に地方の過疎化⋯⋯全国の至るところで問題とされていますが、なかなか厄介な問題のようです。子どもが好きな私としては、どことなく寂しさを覚えてしまいます。あの姉弟がいた頃は、もっとこの公民館も活気づいていたはずなんですが⋯⋯って、私ったらいけない。自分で寂しさに寂しさを上乗せしてどうするんでしょう。
毎日のように公民館を訪れていたあの姉弟は、もう三年ほど顔を見ていません。初めて話したあの日から、ちょうど二年経った頃からでしょうか。テスト期間が終わってまた顔を見るようになったのですが、たまに来ない日が出てくるようになりました。忙しいのかな、とあまり気にしていませんでしたが、訪れる日は増えるどころか減るばかりで、週に三回、二回、一回、と数えているうちに、とうとうめっきり来なくなってしまいました。けれど、よくよく考えてみればその理由は分かるのです。恐らく⋯⋯というか確実に、お姉さんの受験が関係しているのでしょう。私が姉弟を観察し始めた時にお姉さんが中一だとすると、辻褄が合います。
けどあんまりです。もうとっくに受験は終わっているはず。また試験終わりのときのように、いつも通り来てくれればいいじゃないですか。受験校に受かっていたら報告してくれたっていいじゃないですか。それで、私だって一緒になって喜んで、お祝いだってしてあげたかったです。おめでとう、の一言くらい言わせてほしかったです。確かに、直接言葉を交わしたのはあの日だけでした。けど、それから⋯⋯というか、それ以前にも毎日顔は合わせていました。軽い挨拶もしていました。
⋯⋯本当は分かっているんです。あの姉弟にとって、私はただの公民館の受付員。私が思っている以上に、あの二人にとって私は赤の他人です。私だって、毎朝寄っているコンビニの店員さんの顔は覚えているものの、挨拶を交わす程度の仲でもありません。精々、『カフェラテのホット、Mサイズお願いします』『はい。百五十円になります。——ちょうどお預かりします。レシートのお返しです。ありがとうございましたー』で一日の会話は終わりです。これが普通。私が勝手に二人と仲良くなったと勘違いしているだけです。でも、毎日二人を観察していた私にとっては、あまりにも薄情に思えてしまうのです。なんの予告もなく、私の密かな日課を奪うなんて。何より、まだ弟さんのミルクコーヒーの謎が解けていません。
「こーら。あんた、なんて顔してんの。子どものやったことでしょ。寛容に寛容に」
館長が掃除用具を持って戻ってきたかと思えば、唐突にそんなことを言われてしまいました。きっと、私が七夕飾りの方を見ながらあの二人のことを考えていたからでしょう。館長はどうやら私の様子を、子どもたちが七夕飾りに悪戯したから怒っている、と勘違いしたんですね。まぁ説明する必要もないですし、ここは適当に誤魔化しておきましょう。
「すいません。最近上手くストレス発散できてなくて。色んなことが目に付いちゃうんですよね」
「ありゃ、そうなの? 運動するとか恋愛するとかしたらー? 若いんだしさ」
むっ。恋愛がストレス発散になるとは、聞き捨てなりません⋯⋯
「館長、今それ言います?」
「あ⋯⋯ごめんごめん。じゃあ今日飲みに行こうか。私の奢りでさ」
「ほんとですか? じゃあ機嫌直します」
「ははっ。単純でよろしい」
実はつい先日まで私には彼氏がいたのですが、一昨日別れました。なぜって? 向こうが浮気してたからですよ。あー、思い出しただけで腹が立ちます。ま、そいつから貰ったプレゼントを一つ残らず質に入れたらいいお値段になったんで、懐がちょこっと幸せになったことだけが唯一の救いですねっ。
——ああ、なぜこのタイミングで公民館にカップルが現れるのでしょう。神様は私に恨みがあるのでしょうか。最近いやにリア充が増えた気がします。否、目に付くようになった、の方が正しいのかな⋯⋯。小さい子どももいる公共の場でイチャつく真似だけは絶対許さん⋯⋯って⋯⋯
「ああっ!!」
思わず椅子から立ち上がってしまいました。勢いよく立ったせいで、ガタンッ、と椅子が勢いよくひっくり返った音が聞こえた気がしますが、構ってられません。職員を含む、館内の皆さんの目線がこちらに集中している気がしますが、どうでもいいです。だって、だって——
「あ⋯⋯どうも、お久しぶりです」
私の視線の先、ちょっと戸惑ったような笑みを浮かべる女の子は⋯⋯
「お姉さん⋯⋯?」
もう三年近く顔を見ていませんでしたが、間違えるはずありません。髪が伸びて、少しだけ大人びたお姉さんがそこにいました。お姉さんの制服はあの時と違って、隣町の私立高校のものに変わっています。
「はい。ごめんなさい、高校入ったら色々忙しくなっちゃって、最近全然来れてませんでした」
「え、あ、ううん。謝ることないよ。公民館に来なきゃいけない義理なんてないし。それより、私のこと覚えててくれたんだね」
「覚えてますよ。そんなに話したことないですけど、ここ来る度に顔見てましたから」
なんででしょう。顔を覚えててくれた、っていうだけなのに、私、今ものすっごく感動してます。さっきまでのねじくれた気持ちも吹っ飛びました。
⋯⋯と、お姉さんと再会できた感動もありますが、私はもう一つ、お姉さんに気になっていることを尋ねることにします。
「お隣の——」
お姉さんの隣に、お姉さんと同じ高校の学ランを着た、背の高い男の人が立っているのです。お姉さんはもう私より背が高くなっていて、一六三センチくらいでしょうか。でもそのお隣の彼は、頭半分くらい高いです。ここまでくると私の目分量も確実ではなくなってきてしまうのですが、恐らく一八〇くらいはあるかと⋯⋯
「もしかして、彼氏さん?」
ちょっと期待を込めて聞いてみると、お姉さんはわかりやすく目を見開きました。図星、と言うことでしょうか。それにしても、私が二人の関係性を言い当てたことはそんなに驚くことですかね。そりゃあ、年頃の男女二人が一緒にいたらまず恋愛関係を疑うでしょう。
「図星?」
一応確認のためにもう一度聞くと、お姉さんははにかみながら、コクリと頷きました。初心ですねぇ、お姉さん。可愛いです。
「イケメンだね、彼氏さん。年上?」
「いえ、同い年です」
「へぇ! 背が随分高いから先輩とかかと」
ふと彼氏さんの顔を見上げてみると、彼氏さんはどことなく誇らしげというか、自慢げな顔をしていました。長身、と言われたことが嬉しいのでしょうか。ふふ、彼氏さんもまだまだ若くて可愛いですね。
正直、最近恋愛で最悪な思いをした私からすれば、『爆発しろ!』と思わないわけでもないのですが、まぁお姉さんが幸せそうなのでいいです。
——あ、『お姉さん』といえば⋯⋯
「そういえば、弟さんは元気?」
「え? ⋯⋯あ、ああ」
お姉さんが一瞬、『何のこと?』みたいな顔をしたのはなぜでしょう⋯⋯?
「元気ですよ。学校が楽しいみたいで、もう公民館には来ないかもしれないんですけど」
弟さんはもう中学生になったっぽいですね。小学校のクラブ活動と違って、中学からは部活動として本格的に活動しますから、本当に自分に合っているものだと楽しくなる気持ちは分かります。
「そうなの⋯⋯。私的には二人でセットみたいなものだったから、ちょっと寂しいなぁ。けど、元気なら何より。弟さんによろしくね」
「はい。言っておきます——あ、そうだ。今日はあれ書きに来たんです」
そう言ってお姉さんが指さしたのは、年々もの寂しい緑が増し続けている笹。
「短冊を、書きに?」
「はい。あれ書いたの中一と中二の時ですけど、中一の時に、『健康でいられますように』って書いたら、その年の冬は風邪にもインフルにもかからなかったし、中二の時に『友達の怪我が治りますように』って書いたら、全治一ヶ月の友達の骨折が二週間くらいでほとんど治ったんですよ。迷信だってことも、過信するなってこともよくわかってるんですけど、中三の時は受験勉強のために、公民館には全然来てなかったじゃないですか。その年に短冊書かなかったら、第一志望の公立高校落ちちゃって。どうしても、何かある、って思わざるをえなかったというか⋯⋯」
な、なんと⋯⋯地域の公民館に何気に飾ってある七夕飾りに、本当に願いを叶える効果があったかもしれないとは⋯⋯。確かにお姉さんのそれらは偶然に過ぎないのかもしれませんが、そんなことが起こってしまっては因果関係を疑ってしまってもしょうがないというか⋯⋯。
「だから、決めてたんです。本当に大事なことがあるときは公民館に来て、短冊書いて飾ろう、って。もちろん受験勉強は別で頑張りますけど、ちょっとした願掛けというか、景気づけというか」
そう言ったお姉さんの顔は、強い意志と決意に満ちていました。きっと、志望している進路は本当に自分が望んで出した答えなのでしょう。以前から思っていましたが、本当にお姉さんはしっかりしています。ちゃんとやるべきことをやって、目標は自分で決めて、慢心せずに頑張るその姿勢が、私にはとても輝いて見えました。
「うん、とってもいいと思う。短冊は向こうにあるから。私も応援してるね」
「ありがとうございます。じゃあ書いてきますね。——ほら、一緒に書きに行くよ」
「はいはい」
お姉さんは彼氏さんの腕も引っ張って、短冊を書きに行きました。
しばらくしてから二人は短冊を書き終え、笹に括り付けて戻ってきました。
「それじゃあ、私たちはこれで失礼します」
「うん。勉強頑張ってね。——それと!」
ビシィッ、と効果音が出そうなくらい、私はしっかりとお姉さんの鼻先に人差し指を突き付けました。——もう、後からうだうだしないように。
「受験が終わったらまた公民館に来ること! 受かったら一緒にお祝いしたいし!」
お姉さんは突然のことに目を丸くしていましたが、私の顔を見て、満面のいい笑顔になりました。
「はい!」
それからお姉さんとちょっとしたお別れの挨拶をして、笑顔で手を振ってお見送りしました。帰りに二人は、あの頃と同じように自販機で飲み物を買っていきました。お姉さんは桃のジュース、彼氏さんはブラックコーヒーでした。お姉さんの横にいる人は弟さんじゃないけれど、なんだか弟さんの面影と重なった気がしました。
***
——その日の夜。すっかり日は沈み、外は真っ暗です。壁に掛かった時計がちょうど八時を示し、機械仕掛けのお人形さんたちが音楽とともに踊り出しました。
「ほんとにいいの? 飲みに行かなくて」
「はい。すみません、誘ってもらったのに」
「ううん。元気そうになってよかった。それじゃ、また明日ね」
「はい。お先に失礼します」
せっかく私を気遣って誘ってくれた館長には悪いですが、飲みに行く話は断って、今日のところは真っ直ぐ家に帰ることにしました。
公民館を出る前、七夕飾りを覗くと、昨日までなかった桃色と水色の短冊が掛かっていました。ふふ、と自然に笑みを溢しながら、その短冊を手に取って見ると、
『大学受験、絶対合格するぞ!』
と桃色の短冊には書かれていました。淡色の短冊に似つかわしくない逞しい文字で書かれていたので、思わず吹き出してしまいました。
ふと、彼氏さんが書いたのはどんなことだろう、まぁ同い年って言ってたし、彼も同じく合格祈願かな、なんて思って何気なく覗いてみると、
『隣の人の願いが叶いますように』
と書かれていました。
くっそ〜、悔しいですが、お姉さんはいい彼氏さんを持ちましたね。まぁお姉さんがいい人ですし、付き合う男性もそれに見合う良い男なのでしょう。私も善行を積もうと思います。
さて、帰ろう、と思って水色の短冊を手放そうとした——その時でした。
「あれ、裏にも何か書いてある⋯⋯?」
短冊の裏に何かチラリと見えた気がして、ひっくり返して見ると、
『五年前の願いを叶えてくれて、本当にありがとうございました』
と書かれていました。
五年前とは、ちょうど私があの姉弟と初めて話した年です。
——『五年前の願いが叶った』、五年前私が『弟さん』と初めて口に出して呼んだ時の姉弟の反応、『彼氏さん?』と聞いた時のお姉さんの驚いた表情、彼氏さんの誇らしげな表情、そして何よりこの筆跡⋯⋯
もしかして、もしかして──
「え⋯⋯?」
ああ、私は、何か大きな勘違いをしていたのかもしれません。
<終わり>
*『は? 何言ってんだテメェ』な人のためのネタバレ*
・公務員が姉弟だと思っていたのは勘違いで、最初から二人は同い年の恋人同士。
・二人は通っていた中学が違い(女の子は制服ありの中学、男の子は制服なしの中学)、お互いに会う時間を作るために放課後公民館に来ていた。
・中学の時点では、男の子は女の子よりも身長が低かった。
・公務員に姉弟と間違われたことが悔しくて、男の子は少しでも身長を伸ばそうと、ダメ元でブラックコーヒーから、牛乳入りのミルクコーヒーを買うように。
・二人とも中三になり受験シーズンが到来。お互い受験勉強に集中するために公民館に来なくなった。
・女の子の方は公立校を第一志望にしていたが落ちてしまい、二人は一緒の高校に通い出す。そのため公民館に行く必要がなくなった。
・男の子の方はミルクコーヒーを飲み続けた成果か、短冊に書いた願いが叶ったからか、それともただ単に成長期が来たのかは不明だが、高三になるまでにはすっかり長身に。
・過去に女の子は上記本文の通り願いが叶い、男の子も身長を伸ばすという願いが叶ったため、あの七夕飾りは本物なのでは⋯⋯? と期待を抱き、また受験を目の前に控えた二人は公民館に短冊を書きに来る。
*あとがき*
こんにちは、三割引のおはぎです。
この小説は伏線の練習用として試しに書いた短編になります。自分で書いているとネタが全て分かってるからいいのですが、何もネタを知らない方がこれを読んで理解できるかな⋯⋯って物凄く不安になりながら書き上げました。一応ネタバレも載せましたので、大丈夫なことを祈ります。
あと、この小説は練習用として書いたということもあって、ほとんど検索かけてません。そのため、公民館で働く方の業務内容は全く知りません! 小説中の女性公務員、ずっと暇そうに書きましたが、全く根拠ありません。これでめちゃめちゃ忙しい仕事だったらどうしよう⋯⋯ガクガクブルブルと書いている途中で密かに恐れなかったわけではないのですが、ま、学生の書いた小説なんてこんなもんやろ! と割り切りましたごめんなさい。
最後まで読んだくださった方、ありがとうございました!