1日目 -6- アリシア伯母さん、驚きの提案
「本当に、いつ見ても素直で可愛いわねぇ。ルーフィスは」
ルーフィスの後姿を見送りながら、私の隣で伯母さんが言う。
大人しくて礼儀正しいルーフィスは、子供のころから伯母さんのお気に入りなのだ。
「でも、ルーフィスも以前に比べるとずいぶん大人っぽくなったわねぇ。もうリンカより背も高いし」
「背なんてとっくの昔に追い越されてるよ、伯母さん」
私は伯母さんに相槌を打ちながら、ルーフィスが出て行ったばかりの扉を閉めた。
私は子供の頃こそ背が高かったが、その後はたいして伸びなかった。
一方ルーフィスはその逆で、成長期になるとぐんぐん背が伸び、あっという間に私の身長を追い越した。昔は可憐な少女みたいだったルーフィスが、今やスラリと背の高い好青年だ。
「ルーフィスだってあと何日かで二十歳になるんだし、大人っぽくても不思議はないと思うけど」
「まぁ、もうそんな歳になるの? ……早いわねぇ」
(『もうそんな歳になるの?』??)
しみじみ呟いた伯母さんに、私は思わず首を傾げた。
もうそんな歳も何も、私が去年二十歳になったのだから、一歳差のルーフィスが今年二十歳になるのは当然のことだった。
私達の年齢差なんて知ってるはずの伯母さんが、まるで『今、気がつきました!』みたいな反応なのは、一体どういうわけなのか。
いや、あまり深く考えてはいけない。
伯母さんが不可解なことを言い出すのは、別に今始まった話じゃないのだ。むしろこのトボけ具合こそが、アリシア伯母さんの味であり魅力だろう。
(でも……そうか。もう、私達も大人なんだな)
伯母さんの反応につられるように、私も何だか感慨深い心地になった。
数年前まで二人で一緒に外を駆け回っていただなんて、何だか今じゃ嘘みたいだ。……いや『駆け回っていた』というよりは、大人しいルーフィスを私が『引きずり回していた』という方が、真実に近いのかもしれないけれど。
「あっ、そうだわ! リンカ」
自分の思いに沈み込んでいたとき、不意に伯母さんが声をあげた。
「え、何?」
「あのね、明日ジェイのところへ行ったら『旅行はあさってだから忘れないでね』って伝えてもらえるかしら」
「ああ。そういえば、荷物があるから駅まで送ってもらうんだったね」
伯母さんは明後日から数日間、ハノンという街へ旅行に行くことになっていた。
仕事の関係でハノンに滞在している伯父さんから『街を案内するから遊びにおいで』という手紙が伯母さん宛に届いたからだ。
「ジェイなら忘れてないと思うけど、一応、確認しておくね」
「ええ、お願い。それにしても、よく考えれば、しばらくリンカ一人きりなのよねぇ」
「え?」
伯母さんは、急に不安げな表情になると何か考え込み出した。
「年頃の女の子を何日も一人で置いていくのは、ちょっと心配だわ。ジェイにお願いしていこうかしら。そうよ、しばらくこっちに泊まってもらうとか」
「えっ?」
伯母さんの発言に、面食らった私の口から声が出る。
ちょっと様子を見てやって、というならともかく、わざわざ泊まり込めなんていうのは、あまりにも過保護なんじゃないだろうか。小さな子供ならわかるが、私は成人済みなのだ。
「伯母さん。そんな、ジェイにお守りみたいなことをさせるのは、ちょっと」
「あら、そう? だったら、ルーフィスに来て貰うのはどうかしら」
(!?)
サラッと口にした伯母さんに、私は無言で目を瞠った。
何だか今、聞き捨てならない台詞を聞いた気がする。『ルーフィスに来て貰う』とは、一体どういう意味なのか。
(ま、まさかジェイの代わりに泊まっ……い、いや、うん。いくらトボけた伯母さんでも、さすがにそれはないよね)
ついつい考えてしまった可能性を頭から振り払う。
(いや、でも、ただ単に来て貰うだけだとしても。それって、いいの?)
私は、途惑わずにはいられなかった。
客観的に見れば、私達は年頃の男女なのだ。いくらルーフィスが私を異性として見ていないとしても、事実としては『誰もいない家に男の子を引っ張り込む』ことになってしまう。
(そんなことを頼まれたら、いくらルーフィスだって驚くよね?)
私は、伯母さんを思いとどまらせるべく口を開いた。
「あ、あの、伯母さん。それは、多分、ルーフィスも困ると思うし、止めた方が」
「あら~、リンカ。改まって頼むのが恥ずかしいの?」
すごい勘違いをされている。
「いえ、あの、そうじゃなくて」
「大丈夫よ。わたしから、ちゃんと頼んであげるから」
(どうしよう。ぜんぜん大丈夫じゃない)
私は冷や汗をかきつつ、伯母さんを見た。
邪気のない笑顔が怖ろしい。その笑顔から察するに、どうやら伯母さんは本気で良い提案をしているつもりのようだ。ここで止めても、私のいないところでルーフィスに頼みそうな気配がひしひしとする。
(これは……うん。伯母さんの口から変な頼み方をされる前に、自分で言っておいた方がいいかもしれない)
伯母さんを説得することを早々に諦め、私は明日ルーフィスに会ったら、それとなく伝えておこう、と決めたのだった。
* * * * *
部屋に戻った私は、ベッドの端に腰掛け一息ついた。
さっきは慌ててしまったけれど、伯母さんの危惧自体は私だって理解できる。信頼のおける相手に留守を頼もうとするのだって、保護者としては当然の心情だろう。
そして確かに、家で何かあったとき、すぐに助けを求められる相手はルーフィスしかいないのだ。
反対側のお隣さんは、隣といっても距離がやや離れていたし、そこよりは近い斜め向かいに一軒家はあるが、そこはお婆ちゃんの一人暮らしだ。とても優しい人だけれど、頼るにはやっぱり少し心許ない。
(でも……他に選択肢がないといっても、普通、年頃の男女を二人きりにするって心配だよね?)
それだけルーフィスに対する伯母さんの信頼が絶大なのか、それとも私達が、よほど男女であると感じさせないのか。
(まさか私、今でも──)
ふと怖い考えが頭をよぎり、私は慌ててそれを振り払った。
(き、きっと伯母さんのことだから、単に深く考えていないだけだ。うん、きっとそうだ)
これ以上ごちゃごちゃ考えるのは止めて、ベッドの中へもぐり込む。
眠る前に、私は枕元に置いた薬に目を向けた。持ち主の感情に反応するという、不思議な薬。
あのとき聞くのを忘れたけれど、これが色づくまでにはどのくらい時間が必要なんだろう。
(まだ、真っ白なままだ。これが……本当に薔薇色に?)
ランプの灯りを落とし、目を閉じる。
微かな期待と不安の入り混じった落ち着かない気持ちで、私はその夜、眠りへと落ちていった。
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