1日目 -5- 敵わない相手
三人で食べながら楽しく過ごし、すっかり満足した私達は、そろそろ帰ろうということになった。
お勘定を済ませ、マリエンに別れを告げる。
こんなときに思うのは、子供のころ、ルーフィスが家の隣に引っ越して来てくれたのは、私にとって相当な幸運だったということだ。
お陰で帰りは当然のように一緒に帰れるし、それに文句をつける人だって誰もいない。
隣人じゃなければ、とてもこうはいかなかった。というより隣人じゃなければ、そもそも仲良くなれていなかっただろう。
そう考えると、今日のディアナの玉砕っぷりも、とても他人事だとは思えなかった。ルーフィスからあんな拒絶をくらったとしたら、私だったら確実に心が折れる。ディアナはきっと──
「リンカ!」
考え事をしていた私は、ジェイの声でハッと現実に引き戻された。
「え、何……わっ!?」
いきなりバサッと飛んできた何かに、驚いて声を上げる。
「それ着てけ。今夜は変に涼しくなってきたからな」
受け止めて見ると、それはジェイの上着だった。
「ちょっとジェイ。いきなりこんなのが飛んできたら驚くよ」
「こんなのとは何だよ」
手渡しではなく放り投げてよこすところが、彼らしいといえば彼らしい。
「いやー。ジェイって面倒見がいいクセに、どっか雑だよね」
私達を見ていたフィリオが、遠慮のない感想を述べる。
けれどそれを聞いたジェイは、本気で『何を言ってるんだ』という顔をした。
「はあ? 別に誰の面倒も見たことねぇだろ、俺は」
「……」
これには、その場にいた全員が黙り込んだ。
昔からジェイは、私にだけじゃなく、さり気なく周りの人に気を配ることが多い。あまりにもさり気なさすぎて、うっかりすると気がつかないくらいだ。……そのさり気なさが、まさか、本人の無自覚から来ているものだとは思わなかった。
「まさかの無自覚」
私と同じことを感じたらしいフィリオが、ポツリと呟く。
「……やっぱり、敵わないな」
控えめな声に気づいて隣のルーフィスを見上げると、彼は少し伏し目がちに、苦笑に近い表情を浮かべていた。
* * * * *
ジェイの言った通り、外はけっこうな寒さだった。
夏に差しかかろうとしている今の季節は、日によって暑かったり寒かったり、なかなか不安定な気候が続く。
文句を言いつつ、上着を借りてきたのは正解だったかもしれない。今日の夜風は涼しいを通り越して寒いくらいだ。
(でもジェイの上着って、やっぱりかなり大きいな)
人から借りておいてなんだが、体格差があるので私にはぶかぶかだった。つまり隙間が空き過ぎてスースーする。
寒い、と上着の前をかき合わせたとき、ふと視線を感じた気がして横を見た。ルーフィスと目が合った。
(な、何!?)
見られていただけで動揺するのは我ながらどうかと思ったが、してしまったものは仕方がない。できるだけ自然に見えるように、私は気持ちを落ち着かせてからルーフィスに訊いた。
「どうかした? ルーフィス」
「リンカちゃんとジェイは……いつも、仲がいいよね」
「えっ、そう?」
『仲がいい』という表現に驚いて、私は思わず聞き返してしまった。
憎まれ口の応酬というのは、仲がいいことになるんだろうか。信頼関係があってお互い遠慮をしない、という見方をすれば、気の置けない仲とは言えるのかもしれないけれど。
「まぁ、なんだかんだ言っても、ジェイは大事な家族だからね」
少し首をかしげつつも、私はルーフィスにそう答えた。
「だけど、ジェイには逆に『おまえとルーフィスはいつも連んでるな』って言われるよ」
「……」
ルーフィスは、微妙な顔で黙ってしまった。
(私と連んでるって思われるのが、嫌なのかな)
何となくそんなことを思ったが、さすがにそれを尋ねるのはためらわれた。
そんな他愛のないことを話しているうちに、私達は家の前まで辿り着いた。
隣り合った家だしここで別れてもいいのだけれど、ルーフィスは毎回毎回私をきちんと玄関先まで送ってくれる。
「ただいま」
「お帰りなさい、リンカ」
家の扉を開けると、アリシア伯母さんがにこにこしながら私達を出迎えてくれた。
歳を取っても幼顔の人というのはいるが、伯母さんは正にそのタイプだった。小柄な体格とややトボけた性格も相まって、なんというか、若いというより年齢不詳な感じに見える。
「こんばんは、アリシアさん」
「こんばんは、ルーフィス。いつもリンカを送って来てくれてありがとうね」
「いえ、隣の家ですから。僕が一緒に帰りたいだけです」
「まあ」
さらっと言って微笑んだルーフィスに、伯母さんはにこにこしたまま私を見た。
(ルーフィス……!)
私はなんとか自然な笑顔を取り繕ったが、心の中では悶絶していた。
わかっている。ルーフィスに他意はない。他意がないからこそ、こういうことを平気で言う。
私を異性として警戒していないルーフィスは、ときどきすごいことをポロッと言うのだ。相手が私じゃなければ、口説き文句と取られかねない台詞を!
「たまには上がってお茶でも飲んでいかない? ルーフィス。いつも一人だと寂しいでしょう」
「ありがとうございます。でも、もうこんな時間なので」
やや残念そうに答えるルーフィスの顔を、黙って見つめる。本当は引き止めたかったが、明日も仕事というのを考えると悪い気がして言い出せなかった。
アリシア伯母さんの言葉通り、ルーフィスは今、隣の家で一人きりで暮らしていた。
三年ほど前にルーフィスのおじさんが王都に転勤になったとき、ルーフィスのおばさんはあっさり付いて行ってしまったのだ。
ルーフィスの話だと『あんたはしっかりしてるから大丈夫でしょ。それとも一緒に来る?』という、一人で残るか一緒に行くかの2択を迫られたそうだ。ルーフィスのおばさんはおじさんにベタ惚れなので、おじさんだけを送り出すという選択肢は初めから存在しなかったらしい。……少しだけ、ルーフィスが気の毒になる。
「それじゃリンカちゃん」
「あっ、うん。またね、ルーフィス」
「おやすみ」
そんないつも通りの挨拶を交わし、ルーフィスは私に笑い掛けた後、きちんと伯母さんに頭を下げて帰っていった。
次話◆アリシア伯母さん、驚きの提案