エピローグ -2-
せっかくだから一緒に飲もう、と言う言葉に甘え、私はルーフィスに金花茶を御馳走になることにした。
昨日と同じ白いカップに、今日は秋の日差しのような、明るい黄色のお茶が揺れている。この色味を金色と評す人もいるくらい、綺麗な色だ。
カップを覗き込んでその色に見入っていると、ルーフィスが言った。
「……一応言っておくけど、今日は変な薬は入ってないよ」
「ぇえ!?」
私は驚いて声を上げた。
お茶を飲んでいる時じゃなくて、本当に良かった。飲んでる最中なら、吹き出していたかもしれない。
慌てる私を見て、ルーフィスがふふっと笑う。
いや、ふふっじゃない。突然おかしな発言をするのは止めてほしい。
「き、綺麗な色だから、見てただけだよ。だいたい薬なんて必要ないでしょ」
「必要ない?」
「だってそんなの飲まなくたって私は……あ、いえ、ええと」
ルーフィスが目を丸くしたのを見て、私は、自分がかなり恥ずかしいことを言い掛けたと気がついた。
居たたまれなくなって、無理やりに話題を逸らす。
「こ、このお茶ね、少し蜂蜜を足しても美味しいんだって!」
「蜂蜜? それより、今の」
「味が気になるから、飲んだら感想を聞かせてねって言ってたよ!」
「僕は、今の続きの方が気になるけど」
「そ、それは、また後で! 実は私、すごく、すごく、ルーフィスに訊きたいことがあって!」
「……」
必死に話を逸らす私に根負けしたのか、ルーフィスは、そこでようやく黙ってくれた。自らの追及を引っ込め、気持ちを切り替えたように、私へ尋ねる。
「……わかった。リンカちゃんの訊きたいことって、何?」
「あの、ディアナのこと、なんだけど」
「ディアナ?」
訊きたいことがあると言ったのは、別に話を逸らす為の嘘じゃない。私はディアナのことが──いや、もっと正確に言えば、彼女とルーフィスのことが、ずっと心に引っ掛かっていたのだ。
「あの……ルーフィスって、ディアナを好きになったんじゃなかったの?」
「え、僕が?」
思い切って尋ねた私に、ルーフィスは意外そうな顔をした。
「どうして君がそんな風に思うのか、よくわからないな」
「だ、だってルーフィス、わざわざディアナのお見舞いに行ってたし」
「あれは」
「それに私、ルーフィスが図書館でディアナと話してるのを立ち聞きしちゃったんだ」
「えっ?」
ルーフィスは、とても驚いた顔をした。
それはそうだろう。私が立ち聞きしていたなんて、彼は気づいていなかったはずだ。
「ルーフィス、ディアナから、贈り物を受け取ってたよね?」
言った後で、何だか非難しているみたいな言い方だったと気がついて、私は慌てて言い足した。
「あ、あの、もちろん、誰から何を受け取ったって、それはルーフィスの自由だよ。私が口を出すようなことじゃない。でも『気を持たせるようなことはしたくない』って、ルーフィスはいつも、誰からの贈り物も断ってたから……」
「……あのね。ディアナに弟さんがいるって話は、前にしたよね」
(弟?)
唐突に振られた話題に、私は首を傾げて彼を見た。
「最初に送って行った時に、少しだけ話したんだ。絵を描くのが好きなんだって」
ルーフィスは、いったい何の話をし始めたんだろう。不思議に思いつつも、黙って耳を傾ける。
「でも、画材って安いものじゃないからね。なかなか買えなくてごめんって謝るディアナに、その子が一生懸命に言うんだよ。『大丈夫だよ、お姉ちゃん。地面に描くのも楽しいよ』って」
「……」
「ちょうど処分する予定の画材があったとしたら、あげたくなると思わない?」
何となく、ルーフィスの行動理由が見えてきた。
「僕が子供のころの物だから、使い掛けだし古びてるけど、捨てるくらいなら使ってもらえた方が嬉しいと思ったんだ。……だから、わざわざお見舞いに行ったんじゃなくて、画材を届けたついでにお見舞いをしたってだけ。その状況で、ディアナを無視して帰るのもどうかと思うし」
確かに家まで行っておいて、それはあんまりかもしれない。
「彼女から贈り物を受け取ったのも、高い物を貰いっ放しじゃ気持ち悪いって言われたからだよ。確かに古いとはいっても、画材って、買えば結構な値段がする物だしね」
「でも、じゃあ……ディアナを私に紹介する、って言ってたのは」
「あ。やっぱり、それも聞いてたんだ。……うーん、僕から話したら、怒られるかな」
ルーフィスはちょっとだけ困った顔になった後、それでも『君に、変な誤解をされているのは嫌だから』と事情を説明してくれた。
「それね、リンカちゃんに謝りたいけど、きっかけがつかめないってディアナが言ったからだよ。だから、それなら僕が紹介しようか、って話になって」
「え……」
「紹介、って言い方がいけなかったのかな。でも、あの時はまさか、君が聞いてるなんて思いもしなかったし。単に、仲を取り持とうかって意味で言っただけなんだけど」
(そんな……)
ルーフィスから事情を聞かされた私は、体の力が抜けていくのを感じていた。
どうやら私は、一人で勝手に、盛大な勘違いをしていたらしい。片思いの不安のせいか、知らず知らず、悪い方へと想像を膨らませ過ぎていたようだ。
落ち着きを取り戻そうと、私はティーカップを手に取り、一口飲んだ。
爽やかな花の香りが鼻から抜ける。変な雑味もなく、さっぱりとしていて、とても美味しい。
ルーフィスが言った通り、伯父さんはずいぶん良い茶葉を選んでくれたようだ。伯母さんへの感想は『爽やかで美味しいお茶だった』と言うことにしようか。
そんなふうに、金花茶を堪能していた時だった。
「誤解は解けた?」
「うん」
「じゃあ、今度は僕の番だね」
「え、僕の番?」
思い掛けないことを言われてポカンとする私に、ルーフィスが質問を投げて来た。
「さっきの、何て言おうとしたの?」
(!?)
すっかり過ぎ去ったと思っていた話題が、時間差でやってきた!
カップを取り落とさなかった自分を褒めてやりたい。それくらい、不意打ちで動揺した。確かに『後で!』とは言ったけれど、まさか、本当に後から追及されるとは思ってもみなかったのだ。
「あ、あの」
「うん」
「わ、私は」
「うん」
「ええと……」
自分でもどうかと思うくらい、私はもう、しどろもどろな状態だった。
しかも、ルーフィスに間近でじっと見られているせいで、頭が煮立つ。こんな状況では、考えもまとまらない。
(こ、こんなに見られてたんじゃ無理! ほんの少しでいいから、この場から離れたい……!)
私は縋るような思いで、すっかり温くなったお茶のポットに手を伸ばした。
「あ、あの、お茶! お茶が冷めたから、今度は私が淹れて──」
私が持ち上げようとしたポットを、ルーフィスが、上からトン、と押さえつけた。
(!?)
指一本触れられていないというのに、なんて凄まじい効果だろう。
逃げるな、という明らかな意思表示に、私はもう、立ち上がることすらできなかった。
「あの……お、お茶を」
「お茶は、いいよ。逃げないで、ちゃんと教えて」
ルーフィスの声は、いつも通り穏やかだ。それでもそこには、答えない限りこの場から逃げられないような気配が、確かに漂っていた。
「リンカちゃんが飲みたいなら、また、いつでも僕が淹れるよ。だから、今はポットから手を離そうか」
「──」
促されても私が固まったままでいると、ルーフィスは、私の手を優しくポットから引き剥がした。彼の様子は、余裕のない私とは正反対に楽し気だ。
それが何だか恨めしくなって、私は言った。
「……ルーフィス、楽しそうだね」
「うん、楽しいよ。君とこんな会話ができるのが、楽しくて仕方ない」
言葉通り、ルーフィスはとても楽しそうに──幸せで堪らないといったように、私を見て微笑んでいる。
「リンカちゃんは楽しくないの?」
……『楽しい』なんて言う余裕は、ルーフィスが全部奪っていった。
ただただ、熱い。顔が熱過ぎて、このまま煮えてしまいそうだ。
くらくらする頭で、私は思った。
さっき考えた『爽やかで美味しいお茶』というのは訂正しよう。後で伯母さんにお茶の感想を訊かれたら、こう答えることにしよう。
ルーフィスと一緒に飲むお茶は、蜂蜜なんていらないくらいに甘かった──と。




