10日目 -3- 暴かれた罪
もう少しだけ付き合って、と言われたはずだったのに、その後すぐ、私達はお店を出ることになってしまった。
「ルーフィス、大丈夫?」
「……うん」
答えたルーフィスの声には、力がない。
お酒を飲みほしてから、さほど経たずに、ルーフィスは気分が悪いと言い出したのだ。
たった一杯しか飲んでいないのに、あれだけで酔ってしまったんだろうか。疲れていたところに飲んだから、それが原因なんだろうか。
……いや、それとも。
(薬が、影響してる?)
その可能性に思い至ったとたん、私はひどく不安になった。薬のせいだと断言はできないけれど、違うとも言い切れない。
心配で、隣を歩くルーフィスに、おそるおそる声を掛ける。
「あ、あの、もっとゆっくり歩こうか、ルーフィス」
「……いや、平気だよ」
平気だと言う割りに、月明りの元に見る彼の顔は、何だか妙に青白い。
「そ、それじゃ、手を」
手を貸そうか?と言い掛けて、私はそのまま口を噤んだ。
一昨日の夜『君は、相手が僕ならいいと思っているのかな』と釘を刺されたばかりだったのを、今、思い出したのだ。
きっと、よほど具合が悪くない限り、ルーフィスは私に触れることを躊躇うだろう。家に上がるのを拒んだあの夜のように、また、はっきり拒絶されるかもしれない。
「ご、ごめん。やっぱり止め──」
うっかり差し出してしまった手が恥ずかしくて、引っ込めかけた、そのとき。
(!?)
まるで追い掛けるように、ルーフィスの手が、私の手を掴み寄せた。
驚き過ぎて、声すら出ない。混乱のあまり固まる私に、ルーフィスが声を掛けてくる。
「……今、僕に手を貸してくれようとしたんだよね?」
「あ、え、そ、そう」
「じゃあ、遠慮なく借りるよ。ありがとう」
ルーフィスはそう言うと、私の手を強く握り直した。
(──)
月に照らされた静かな夜道を、ルーフィスと二人で歩く。
けれどその静けさとは裏腹に、私は内心、盛大に動揺していた。
(確かにルーフィスは、具合が悪いと言っていたけど)
チラ、とルーフィスの横顔を盗み見る。
彼の顔色が良くないのは、確かだった。だから、具合が悪いというのは、決して嘘ではないだろう。ただ。
(私に手を借りて歩くほどなの? ……というより、そもそもこれは、手を借りるっていえるの?)
私が手を引くわけでもなく、ルーフィスの位置は私の真横だ。その足取りはしっかりしていていたし、ふらついたり、遅れたりすることもない。
今の私達はまるで『仲良く手を繋いだ恋人同士』のようだった。誰が見たって『具合の悪い人と介抱者』だとは思わないだろう。
胸の内に、訊くに訊けない疑問が湧き上がる。
ルーフィスのこの態度は、やっぱり薬の影響なんだろうか。
それとも本当に手を借りるほど具合が悪いのに、無理して平気そうに振る舞っているんだろうか。
距離の近さと、強く握られた手の感触が、今さらひどく気にかかる。
──そんなふうに、動揺と緊張で碌に言葉も交わせずにいるうちに、私達は家の前まで辿り着いていた。
* * * * *
家の前に着いたものの、ルーフィスは無言だった。いつものように『じゃあ、またね』とも『おやすみ』とも言わず、足を止めたまま、動かない。
「ルーフィス、あの、具合は大丈夫?」
「……そうだね」
大丈夫なのか、そうじゃないのか、よくわからない答えが返ってきてしまった。けれどすぐに帰ろうともせず、ここに留まっているということは、今にも倒れそうというわけではないんだろう。
(どうしよう)
少し安心したとたん、私の意識は、未だ繋がれたままの右手へと向かった。ここへきてもまだ、ルーフィスは、私の手を握り締めたままなのだ。
帰り道で、私の手を借りるよ、とルーフィスは言った。それなら借りる必要がなくなれば、すぐに私から手を離すはずだ。
なのに彼は、今も私の手を握ったまま離さない。具合が悪いせいかとも思ったけれど、彼は帰り道と同様、ふらつくことなくしっかりと立っている。
(だったら、この手は。私と、わざわざ手を繋いだ意味は──)
明らかにおかしな行動を取るルーフィスに、私はようやく確信した。
やっぱり彼には、私が飲ませた薬が効いている。
これはルーフィスの本心じゃない。彼の心は、本当は私へなんか向いていない。
けれど、それが分かっているのに、私は、自分からこの手を解くことができなかった。
子供のころからルーフィスを好きで、好きで、口に出す勇気が持てない間に、彼の気持ちは他の子に向いてしまって──変な薬に頼ってようやく、私は今、彼の温もりを手にしている。
──離したくない。
この夜に留まって、ずっと、こうして彼の手を握りしめていたい。
そんなことを思っていたとき、夜風が吹き、ルーフィスの髪を軽くさらった。
夜の空気に溶けだした薔薇の香りが、風にのって流れてくる。甘いその香りが、私の頭をくらりとさせる。
駄目だ、と思った。
本当は、もっとこうしていたかった。好きだと想いを告げて、彼にも応えてほしかった。
けれど、恋は私の理性をおかしくする。……これ以上、彼と一緒にいるのは、きっと危険だ。私は、自分を律し続ける自信がない。
(帰ろう)
できるだけさり気なく、繋いでいた手を解こうとしたとき。
「──リンカちゃん」
握っていた手に、ぐっと力を込められた。
(!?)
解こうとしたことへの明確な拒絶を感じて、ハッとルーフィスの顔を見る。
「そんなに、すぐ帰りたい?」
「え」
間近で見た彼の瞳は、いつもよりやや陰りを帯びていた。逃げ出そうとした私に、きっと気づいたせいだろう。彼の瞳の真剣さに、息を飲む。
「そ、そんなことないよ。でも、ルーフィスの具合が」
「僕が平気なら、君はいいの?」
「──」
私はとっさに、言葉に詰まった。
彼が私を引き止めたがっているのは、どう考えてもあの薬のせいだろう。
きっとこのまま帰るのが、お互いの為には一番いい。彼にこれ以上、偽りの行動をとらせずに済むし、私もこれ以上、馬鹿な真似をしなくて済む。けれど。
苦しさを押し殺しているようなルーフィスの表情を見て、帰ろうと思った私の決意は、容易に揺らいだ。
彼がこんな顔をしているのは、私のせいだ。なのに私は、そんな彼を置き去りにして、一人でさっさと逃げ出そうとしている。
(……少しだけ。あと、少しだけ)
言い訳のように心で唱えて、私はもう少しだけ、この場に留まることにした。
本当は、どうするのが正解なのかは分からない。それでも帰るにしたって、もう少し、彼が落ち着いてからにした方がいいかもしれない。
このまま、話を続けよう。そんなことを考え、私はぎこちなく微笑んだ。
「……私は、大丈夫だよ。明日はルーフィスと一緒で、お休みだし」
「そう。それなら」
そう言ったルーフィスの顔は、なぜかさっきまでより、血の気が失せているように見えた。月明りが清かに彼の姿を照らし出し、その佇まいは端正で美しい。
「もう少し、一緒に話さない?」
「……そうだね」
ああ、安易に答えた私は、どうしてこの場で話すと思い込んでいたんだろう。
僕の家で、と。
まるで後出しのように続けられたルーフィスの一言に、私の心臓がドクリと鳴った。
* * * * *
応接室に通された後、ほどなくルーフィスはお茶を用意して現れた。
あまり時間が経っていないことを考えると、たぶん、普段から自分でやることに慣れているんだろう。確かにルーフィスなら、何をやらせても手際良くできそうだ。
出されたお茶を見たときに、ちょっとだけドキッとした。シンプルな白いティーカップに注がれた綺麗な薔薇色は、あの薬の色合いに良く似ている。漂ってくる甘い香りは、果実のものだろうか。
「これ、何茶?」
「赤果実茶。これも、この服と一緒に届いたんだ。王都で流行ってるんだって。まだ大分熱いから、少し冷めるのを待った方がいいよ。火傷するかもしれない」
ルーフィスに言われ、私はカップに伸ばした手を引っ込めた。
彼の言う通り、湯気の立ち具合からみて、まだかなり熱そうだ。少し冷めてから飲むことにしよう。
妙に身構えてしまったけれど、こうして向かい合ってみると、ルーフィスの態度は、何だかとても普通だった。普段の彼と、特に変わったところがない。
私の考え過ぎだったかな、と思ったとき。
「リンカちゃん」
ルーフィスは、予想もしなかったことを口にした。
「ねえ、どうして僕について来たの?」
「えっ?」
「僕なら何もしない、安全だって思ってる? 僕、ちゃんと警戒してって言ったよね。君の警戒って何。のこのこ相手の家までついて来ることなの」
「……」
いつになく容赦ない口振りのルーフィスに驚いて、私は言葉が返せなかった。
「誘ったのは僕なのに、って言いたそうな顔だね。そうだよ、確かにそうだけど。でも」
一度、口を噤んだルーフィスは、わずかに顔を歪ませた。
「あんなモノを飲ませた相手なのに」
あんなモノ。そう言われて、ドキンと心臓が音をたてる。
「僕は、本当は気づいていたんだ」
気づくって、何に。そう思ったとたん、スッと血の気が引いていく。
「君が僕に飲ませたのは、栄養剤なんかじゃない」
駄目だ。その先を聞くのが怖い。そう思っても、私は彼を止める術を持たなかった。ルーフィスの視線がまっすぐ私に突き刺さる。
「あれは──惚れ薬だよね。リンカちゃん」
それは、すでに問いではなかった。確信に満ちたルーフィスの言葉に、私の息が、止まった。
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