9日目 -3- 残酷な優しさ
私が思わずうつむくと、職員さんは、なぜかいきなり私の手を取って来た。
(!?)
そのまま彼は、私の手を、両手でそっと包み込む。
それがあまりにも堂々とした態度だったので、私はすっかり振り払うことも忘れ、ポカンとして彼を見た。
「ああ、可哀そうに。ショックだよね。でも報われない恋なんて、もう忘れた方がいい。君みたいに可愛い子が、叶わない望みにしがみつくなんて、あまりに勿体なさすぎるよ」
──報われない恋。
──叶わない望み。
この人はさっきから、私に恨みでもあるんだろうか。
真実だとしても……いや真実だからこそ、彼の言葉は容赦もなしに、私に突き刺さってくる。
私が無言で唇を引き結んでいると、彼は何を思ったのか、実に優し気に、にっこり微笑み掛けてきた。
「で、その代わりと言っちゃなんだけど、オレなんてどう?」
「え」
「いやぁ、君みたいな子、すごくタイプなんだよね」
(……えっ? 何これ、私、口説かれてるの!?)
ここへ来てようやく、私は自分の置かれている状況に気がついた。我ながらあまりにも鈍いとは思うが、まさかこの私が、男の人に言い寄られるなんて、思ってもみなかったのだ。
それにしても、勤務中に利用者を口説くというのは、許される行為なんだろうか。……いや、普通にダメだろう。その証拠に、赤毛の職員さんが、慌てたように声を上げる。
「ちょっと先輩、さすがに……!」
「いやぁ、人の恋路を邪魔するなんて野暮だゾ、後輩。せっかくオレがこうして、運命の出会いを」
「──リンカちゃん」
いつの間に傍に来ていたのか、そのとき背後で、ルーフィスの声がした。大きな声だったわけでもないのに、ピリッと、空気が震える気配がする。
「あれっ、何だ、いたの? ルーフィス」
金髪の職員さんは、ちょっと驚いたように、私からルーフィスへと視線を移した。
「『リンカちゃん』って……名前を知ってるってことは、まさか、おまえのファンじゃなくて知り合い? いや、まぁいっか。どっちでも」
驚きの早さで切り替えると、彼は、呆然としている私の手を、ぎゅっと強く握り直した。
「で、ええと~、リンカちゃん? どうかな、仕事が終わった後に、オレと一緒に食事でも……って痛ーッ!」
(!?)
一人でぺらぺら喋っていた彼が、突如、大きな悲鳴を上げた。
ルーフィスが涼しい顔のまま、いきなり、彼の手を抓りあげたのだ。
「先輩、図書館でそんな大声を上げたら駄目ですよ。……痛かったですか?」
「いっ、痛かったですかって、おまえっ、今思い切り抓っただろう!?」
「先輩の彼女に言い付けた方がいいなら、遠慮なくそうしますけど」
「うっ……!」
彼女と言われたとたん、職員さんは、目に見えて狼狽えだした。
「い、いやぁ、あいつはそういうのじゃないんだって!」
そう言いながらも、握っていた私の手から、素早く手を引っ込める。ただしその表情は、とても不満そうだった。口を尖らせるようにして、ルーフィスに文句をぶつけ出す。
「何だよなぁ、ちょっとルーフィス、横暴なんじゃないの? 別に、おまえの彼女じゃないんだろ。だったら、いちいち邪魔しなくたってさぁ」
「邪魔するに決まってます。大事な幼馴染を、よりによって先輩の餌食にするなんて、絶対に嫌ですから」
「よりによってって、おまえ、なかなか酷いぞ!?」
「酷いのは先輩の素行です。……ああ、ごめんね、リンカちゃん。ちょっと、この人から離れようか」
辛辣な言葉をポンポン吐いたと思ったら、ルーフィスは急に、私の手を掴んで歩き出した。
(!)
普段、誰に対しても態度の柔らかいルーフィスの言動に、私は驚きを隠せなかった。
今の人とルーフィスは、もしかして仲が悪いんだろうか。いや、そうだとしても、この対応はあまりにも意外だった。止めるにしたって、ルーフィスなら、苦笑して窘めるくらいかと思っていたのに。
「ごめんね、リンカちゃん。大丈夫だった?」
人気のない壁際まで行ったところで、ようやく彼は立ち止まり、私のことを振り向いた。
「えっ!? あっ、あの、ルーフィスが謝らなくても」
「いや、こんなことなら、前もって君に注意しておけば良かったよ。あの先輩にだけは、気をつけた方がいいって。彼女がいる上に、かなりの頻度で『運命の出会い』を果たしてるような人だから」
「……」
軽そうだ、と彼に感じた印象は、どうやら当たっていたらしい。ルーフィスは溜め息をつきつつ、更に続けた。
「仕事はできる人なんだけどね。いつもあんな調子なせいで、普段は、利用者と接点のない仕事を割り振られてるんだ。困ったことに、何度か苦情が来てるから」
「ああ、そうなんだね」
私は納得して頷いた。確かに、いつもあんなことをしているなら、苦情が来るのは仕方のないことだろう。
「でも、じゃあ、今日はどうして?」
「ああ、うん。今日は急に休んだ同僚が複数いて、そのせいで仕方なく。本当に、気になって様子を見に来て良かったよ」
「ふふ、また苦情が来たら困るもんね」
「……。違うよ、リンカちゃん」
ルーフィスは、ふと、真顔で私の言葉を否定した。
「僕は別に、苦情の心配をしたわけじゃない。それだけだったら、わざわざ様子を見に来たりしない。……君が、心配だったから」
「え」
「もし君が来たら、先輩に目をつけられそうだと思って、心配になったんだ。来てみたら、案の定、先輩にへばりつかれてて……本当に、様子を見に来て良かったよ」
ホッとしたように告げたルーフィスに、私は、どん、と頭を殴られたような気持ちになった。
(──何、それ)
鎮まっていたはずの感情が、私の中で、ゆらりと揺れる。
彼が、親切心でこうしてくれたのは分かっている。けれどこの優しさが、私にとってどれほど残酷なものなのか、彼はまったく気づいていない。
来るかどうかも分からない私を心配して、わざわざ様子を見に来るなんて。
口説いてくる人を牽制して、庇って手を引いて、連れ出して──なのに、私に対する彼のこれは、すべてが恋愛感情じゃないというのだ。
(私のことなんて、異性として見ていないのに。他にちゃんと、好きな子がいるっていうのに)
ルーフィスは、私が相手じゃなかったら、きっとこんなことはしない。いや、したとしても、誤解されないよう、口にする言葉を選ぶだろう。
(なのに、どうして、私には。私にだけは──)
「──ルーフィス」
気づけば私は、さっきまでは持ち帰ろうと思っていた手紙を、衝動的に取り出していた。
「ルーフィス、これ、読んでもらえるかな」
「えっ?」
面食らっているルーフィスに、半ば強引に手紙を押しつける。
あまりにいきなり過ぎて、不自然な行動をしているという自覚はあった。それでも、一度動き出した感情は止まらない。
私は早口で、必要最低限の説明だけを口にした。
「一緒に、誕生日のお祝いをしたいと思ったんだ。返事は、明日の朝、聞きに行くから。……それじゃ」
「え、リンカちゃん……!?」
この場で返事は聞きたくない。誘った直後に振られたくない。
ルーフィスが手紙を読む前に、私はその場から逃げ出した。
次話◆夢を買う




