8日目 -2- 挙動不審な彼女
普段、平日の昼間に、ルーフィスがここへ来ることはない。仕事帰りに寄るならともかく、お昼を食べに来るには、図書館からは少し距離が遠いからだ。
(ど、どうして? なんで、こんな時間にルーフィスが──)
予想外の遭遇に、どういうわけか、私は慌てた。反射的に、ジェイに掴まっていた手をパッと離す。
いや、もちろん、私が誰と一緒にいたって、ルーフィスが気にするはずがないのは分かっていた。それでも彼の顔を見た瞬間、体が勝手に動いてしまったのだ。
一人で慌てる私は、彼からすれば、様子がおかしく見えるだろう。内心ますます慌てる私に、ルーフィスが、無言のまま近づいて来る。
彼は私の正面まで来ると、ピタリとその足を止めた。
「……。リンカちゃん、これ」
「え!?」
いきなり何かを差し出され、動揺していた私は、声が裏返りそうになった。何だかよくわからないまま、おっかなびっくり手を差し出す。
と、私の手のひらに、ぽとりと硝子の小瓶が落とされた。
(な、何?)
小瓶の中に入っているのは、見たことのない緑色の液体だ。
せめて説明を──と思った私の心を読むように、ルーフィスは静かに言った。
「……これね、二日酔いに良く効くって」
「え!?」
「味も調整して貰ったから、飲みやすいと思うよ」
「え!?」
「いらなかったら、捨てていいから」
「え!?」
「……ごめん。もう、戻るね」
(えっ!? ちょっと待っ……)
二日酔いでポンコツな私がひたすら驚いているうちに、ルーフィスはスッとお店から出て行ってしまった。
ルーフィスが出て行った後の扉を、呆然としたまま、ただ見つめる。
それからようやく、私は事態を飲み込めた。
(そ、そうか。ルーフィス、昨夜の私があんなだったから、わざわざ……)
ルーフィスは昨夜の私の様子から、今日のこの状態を見越して、わざわざ薬を買って来てくれたらしい。
しかも彼は『味も調整して貰った』と言っていた。
何でもないことのようにサラリと言っていたけれど、薬の味の調整なんて、どこの店でも引き受けてくれる訳じゃない。より高価な材料と技術が必要な分、当然、料金だって高くなる。
それをルーフィスは、私のために、わざわざ頼んでくれたというのだ。
嬉しい。
そして、とても困る。
こんなことをされると、ルーフィスにとっての私は、少しは特別な存在なんじゃないかと、己惚れそうになってしまう。
例えディアナに傾いていたとしても、私にもまだ可能性はあるんじゃないかと、勘違いしそうになってしまう。
(ルーフィス……)
そんなふうに、私がじんわり浸っていた時だった。
「やあやあ、皆! お待ちかねのオレが来たよー」
能天気な台詞を吐きながら、ほとんど入れ違いのように、フィリオが店の中へと入って来た。
……こんな一瞬でいろいろぶち壊せるのは、ある意味すごい。ささやかな幸せに浸っていたっていうのに、フィリオの登場で、すべてが綺麗に吹っ飛んでしまった。
具合の悪さも手伝って、半眼でフィリオを見る。
「特に待ってはいないけど」
「ええっ、冷たいナー、リンカは。……ま、冗談はさておき、あの子って知り合い?」
あの子って、どの子だ。
いきなりの雑な質問に、私はフィリオを不審な目で見返した。店の中を見回しても、フィリオが『あの子』と呼びそうな年代のお客さんなんていなかったからだ。
「……まさかフィリオ、見えないものが見えてるとか言い出さないよね?」
「ん? あー、違う違う、そうじゃなくて」
フィリオは私の問いを否定すると、店の入り口の方へ視線をやった。
「入ってくるときサ、店の前で、可愛い女の子がコソコソ中を窺ってたよ」
「女の子?」
「うん。肩までの黒髪で、ちょっと背が小さめの。あれ、リンカに用なんじゃないの?」
「えっ」
ディアナだ! と私はすぐにピンときた。と同時に、フィリオの言っていることを不思議に感じる。
女の子が陰からこっそり……なんて、男の人が相手だと思っても良さそうなものなのに、どうして私に用だと思ったんだろう。
「どうして、私に用があると思ったの?」
「ん? オレがそう思ったから」
……すごい返事が返ってきた。
それでも、フィリオは妙に鋭いところのある人だ。こんなことを言われれば、やっぱり気にならないわけもない。
一応、確認だけはしておこうと、私はお店の扉を開け、そろりと外を窺ってみた。
(!)
本当に、ディアナがいた。
彼女はうつむいて何かぶつぶつ言いながら、右へ行ったり左へ行ったり、店の前をうろついている。……相当に挙動不審だ。それを覗き見している私も、ある意味、挙動不審ではあったけれど。
それにしてもディアナは、ここで何をしてるんだろう?
まさか、偶然ルーフィスを見掛けて、後をつけて来たんだろうか。今みたいにうつむいて余所見をしていたのなら、とっくにルーフィスが出て行ったことに、気がついていないのかもしれない。
声を掛けて教えるべきか、それとも、見なかったことにして奥へ引っ込むべきか──そんなふうに迷っていた時だった。
「あっ!?」
不意に顔を上げたディアナが、私の存在に気づいて、声を上げた。
大きく目を瞠っているところからみても、私が見ていることに、まるで気づいていなかったらしい。彼女は思わずといったように、その場でぴたりと動きを止めた。
「──」
「──」
ディアナと二人、互いに微動だにせず見つめ合う。
……なんだ、これは。どうすればいいんだ。
私が困惑していた時、この状況に耐え切れなくなったのか、ディアナが意を決したように口を開いた。
「あのっ……!」
それでも、その後が続かない。
(私相手に、ルーフィスのことは訊きづらいのかな)
ひたすら口をパクパクさせているディアナが気の毒になってきて、私は親切のつもりで、こちらから声を掛けた。
「あの、ルーフィスなら、ついさっき出て行っちゃったよ」
「──知ってるわよ、そんなのっ!」
「えっ?」
思い掛けない彼女の返事に、私は虚を突かれて固まった。
言っている意味が分からない。彼がいないと知っているなら、ディアナはいったい、ここで何をしてたんだろう。
「ええと……?」
答えを求めるように、思わずディアナの顔を見る。
けれど目が合ったとたん、彼女はカッと頬を染めると、弾かれたように駆け出した。
「あ」
とても足を怪我していたとは思えない、感心するほど見事な走りっぷりだった。呆然と見送る私の前で、彼女の背中が、あっという間に小さくなる。
あれほど走れるのなら、あの夜の怪我は、もうすっかり良くなっているんだろう。それは良かった。良かったけれど。
(ええと、つまり、何だったんだろう?)
結局どうしてディアナがここにいたのか、その謎は解けないままだった。
まさかフィリオの言った通り、本当に私に用があったんだろうか。
けれど、用といっても思いつくのは、この間の文句を言いに来たか、ルーフィスのことは諦めないわよ! と、宣戦布告に来たかくらいだ。どちらにしても、あまり楽しい用事だとは思えない。
彼女の行動の意味がわからず、私は一人、首を傾げた。
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