7日目 -4- ほろ苦い酔い
その夜ルーフィスは、なかなかジェイの店に現れなかった。
(今夜は、来ないのかな)
マリエンと一緒に食事をしながら、お店の入り口をこっそりと盗み見る。
けれど、こっそりのつもりなのは、私だけだったらしい。
「何だか落ち着きないわね、リンカ。入り口ばっかり見ちゃって」
「えっ」
あっさりと指摘され、私は隠すのも忘れて声をあげた。
「まあ、気になるのもわかるわよ。いつもだったら、ルーフィスがとっくに来てる時間だものね」
「……今日は、来ないかもしれないよ。ルーフィスだって、そんな毎日毎日来るほど、暇じゃないだろうし」
それに暇があったとしても、彼は今日、休日出勤していたのだ。仕事が終われば、疲れてそのまま帰宅しても不思議はない。
けれどそんなことを知らないマリエンは、私の意見をあっさりと否定した。
「そう? 私がルーフィスの立場だったら、毎日通いつめると思うけど」
「え、どうして?」
「だって、そりゃあねぇ……あっ、なんだ。来たわよルーフィス」
「え?」
聞きたい言葉の途中だったけれど、私はマリエンに釣られるように、お店の入り口に目を向けた。
「ルーフィス、こっちよ!」
マリエンは、まるで約束していたかのように、彼に向かって手招きをした。
一方のルーフィスも、呼ばれたことに気がつくと、やはり当たり前のような顔で真っすぐこちらへ歩いて来る。
「二人とも、楽しそうだね。僕も仲間に入れてくれる?」
「もちろんいいわよ。さ、座って」
マリエンが引いた椅子に、ルーフィスが腰掛ける。
その姿を眺めながら、私はルーフィスに会えたのが、いつもの倍くらい嬉しかった。今夜は来ないかもしれないと、諦めかけていたせいだ。嬉しさが零れるように、ルーフィスに向かって笑い掛ける。
「ルーフィス、お仕事お疲れ様」
「……ありがとう。リンカちゃん」
ルーフィスは一瞬、途惑ったように見えたけれど、すぐに柔らかな笑みを返してくれた。
「あら。ルーフィスって今日、仕事だったの?」
私の言葉を聞いたマリエンが、意外そうな声を上げる。
「うん、ちょっとね」
「ふーん、休みの日まで大変ねぇ」
「まあ、次の木の日に代休がもらえるから」
「えっ。木の日?」
ルーフィスの返答に、マリエンは、少し驚いた顔をした。
「じゃあ、それまで休みなしってことじゃない。なによ、帰って休まなくて大丈夫なの?」
(!)
マリエンの尤もな指摘に、私はハッとしてルーフィスを見た。
「ひどいな、マリエン。僕だけ追い返すの?」
ルーフィスは、笑いながら答えている。それでも私は、急に心配になってしまった。
だって、彼は疲れていたとしても、そういうことを隠しがちな人だ。表面を見ただけでは、大丈夫だなんて言い切れない。
ここは、それとなく、探りを入れてみることにしよう。
私は彼に向かって、尋ねてみた。
「あの……ルーフィス、今日は来るの、ちょっと遅かったね。こんな時間まで働いてたら、すごく疲れたんじゃない?」
「いや、仕事はもっと早くに終わったんだ」
「え、そうなの? どこか寄り道?」
だから私がそう訊いたのは、単に会話の流れだった。
彼から驚くような答えが返ってくるなんて、まったく想像もしていなかったのだ。
「そうだね。寄り道といえば、寄り道かな」
すっかり油断しきった私に向かって、ルーフィスが、事も無げにこう告げる。
「帰りがけに、ディアナの家に寄って来たから」
* * * * *
その夜の、帰り際。
「ちょっとリンカ、大丈夫?」
「うーん……」
マリエンに声を掛けられた私は『うん』か『ううん』か、どっちよ!? と怒られかねない返事をした。
身体がだるい。
普段より、かなり酔っ払ってしまっているのが、自分で分かる。
バカだとは思うけれど、ルーフィスの行動を深く考えるのが怖くなった私は、ついつい、お酒へと逃げたのだ。
「うー……」
ここまで酔ったのは、久々だった。どう考えても飲み過ぎだ。記憶を飛ばすほどの泥酔ではないけれど、気を抜くと、足元がふらふらする。
「あんたね、強くもないのに飲みすぎなのよ」
マリエンの叱責が飛んでくる。
「平気だよ……一人で、歩けるから」
「歩けるったって、真っ直ぐ歩けてないじゃないのよ。ああ、もう、今夜は家に来て泊まっていったら? アリシアさんもいないんでしょ」
「マリエンのところ……?」
ぼんやりした頭のまま、私はマリエンを見返した。
怠くて仕方ない上に、今夜は、ルーフィスと一緒に帰りたくない気がする。二人で帰れば、うっかりディアナの話を聞かされないとも限らない。
それなら確かに、このまま、マリエンの言葉に甘えさせて貰うのがいいかもしれない。
「じゃあ、そ……」
『そうしようかな』と言おうとした瞬間。
「大丈夫だよ、マリエン」
(!)
私の代わりに、すかさず答えたのはルーフィスだった。
まるで私の返事を阻止するようなタイミングに驚いて、ルーフィスを見る。
けれどルーフィスは、いつもと何一つ変わらない様子で、言葉を続けた。
「酔っ払ったリンカちゃんを送るのなんて、慣れてるから」
(……ああ、そうだよね)
あまりにもあっさりした彼の表情を見て、私は悟った。
ルーフィスが私を引き止めたがるなんて、そんなこと、あるわけがなかった。
なんてバカな勘違いをしたんだろう。今のは単純に、発言のタイミングが被っただけだ。私が『泊まる』と言おうとしたことに、ルーフィスは気づかなかったに違いない。
冷静に考えてみれば、当たり前の話だった。こんな酔っ払いを引き連れて帰るより、マリエンに任せた方がずっと楽に決まっている。
(それならやっぱり、マリエンに甘えよう。だって、ルーフィスが気の毒だよ。休日まで仕事の上に、私のお守りをするなんて)
酔っ払った頭で、それなりにまともな結論を出す。
そして私が、マリエンに話し掛けようと口を開いた、その時。
「マ」
「心配しなくていいよ、マリエン」
……またもや、ルーフィスと被ってしまった。
どうしてだろう。
どうしてこう、今夜はルーフィスと一緒に話し出してしまうんだろう。
いや、だったら改めて、もう一度だ。
私はマリエンに向き直り、息を吸い──
「リンカちゃんのことなら、僕がちゃんと、家まで送り届けるから」
「……」
今度は、私が口を開くよりも先に、ルーフィスにはっきり言い切られてしまった。
(ええと、これは、どうしたら?)
ここまで宣言されてしまっては、それを覆すようなことは、さすがにちょっと言い出しづらい。とはいえ、ルーフィスに負担を掛けるのも、決して私の本意ではないのだ。
どうしようかと思っていると、その時なぜか、マリエンが、私の代わりに返事をした。
「まあ、うん、そうね。じゃあルーフィスにお願いしようかしら」
……私の意見は、いったいどこにいったのか。
あまりに謎ではあったが、何だか眠くて、面倒になってきた。
私はそのまま、異議を唱えるのを止め、押し黙った。ここで揉めるくらいなら、二人に従って、さっさと帰った方が良さそうだ。
「ほら、しゃんとしなさいよ。リンカ」
マリエンに、ぽんっと背中を叩かれる。
「うーん……しゃんとね、しゃんと……」
真っすぐ歩こうとしたけれど、なんだか斜めに行ってしまいそうなほど足元が覚束ない。
私は気合を入れ直し、ルーフィスに付き添われるように、家への道をふらふらと歩き出した。
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