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7日目 -3- 水辺のハプニング

(……と、思ったんだけど)

 探し始めてほどなく、私は、自分の見通しが甘かったことに気がついた。

 小瓶は一体どこへいったのか、探しても探しても、足に触れるのは川底の石ばかりで、一向に見つかる気配もない。


 これは、あれだろうか。確かに水量は多くないけれど、流れ自体はそこそこ速いので、落ちた場所から少し流されてしまったということだろうか。


(そうだとしたら、もうちょっと川下を探さないとダメだよね……よし、それなら今度は、もう少しそっちの方を)

 場所を移動しようと、身体を捻ったときだった。


(!?)

 あっと思った時には、もう遅い。

 私は足を滑らせて、その場で思い切り転んでしまった。派手に水しぶきが上がり、跳ね上がった水が、上から雨のように降りかかる。


(つ、冷たい!)

 川底に手をついて起き上がった時、私はもう、ほとんど全身がずぶ濡れの状態だった。

 服を濡らさないよう気をつけて歩いていたのに、もはや、濡れていない面積の方が少ないくらいの有様だ。ちょっとの油断でこんなことになるなんて──と、何だか泣きたくなってくる。

 けれど、世の中、何か幸いするかは分からない。


(!)

 手をついたすぐ横に小瓶を見つけ、私はハッと目を(みは)った。

 慌てて拾い上げ、中を除く。そこにはさっき見たのと変わらない、コロンと丸い輝きがあった。蓋がしっかり閉まっていたお陰で、中の薬は無事みたいだ。


(よ、良かった……)

 私は心の底から安堵して、よろよろと川岸まで足を進めた。

 これで薬が見つからなければ、あまりにも報われないところだった。ちょっと、いや、かなりびしょびしょになってしまったけれど、ただの水なんだから、乾けば元に戻るだろう。転んだ拍子に小瓶を発見できたのは、本当に運が良かった。


(でもここまで濡れちゃうと、乾くまでに時間が──って、えええっ!?)

 そこで何気なく視線を下に落とした私は、自分がとんでもない恰好をしていることに気がついた。

 出掛けに選んだ淡い色のワンピースが、水に濡れて半透明になっていたのだ。


(こ、これは! いくらなんでもっ……!)

 私は動揺し、川の浅瀬を走るように岸へと上がった。脱ぎ捨てていた靴をつっかけ、高速で木立の陰まで移動する。

 けれど木立とはいっても、川岸に生えたそれは、まだほんの若木だった。ひょろりと頼りない幹は、とうてい私が隠れ切れるような太さじゃない。横からはみ出しまくっているのが、自分で分かる。……これに隠れようと考えたのが無茶だった。

 

(どうしよう)

 若木から思い切りはみ出しながら、私は困り果てていた。

 びしょ濡れのままここにいるのは、あまりに辛い。

 かといって家に帰るにしても、ジェイのお店に行くにしても、こんな格好でうろつくのは問題が有りすぎる。


(乾くまで、ここで待つしかないの? だけどこのままここにいたって、いつ誰が通り掛かるか――)


「どうしたの!? リンカちゃん」


(!?)

 突然声を掛けられて、私はビクッと身を(すく)めた。

 本当に、なんていうタイミングなんだろう。

 声のした方を振り向けば、ちょうど通りかかったらしいルーフィスが、橋の上から私の姿を見下ろしている。


(な、何で、よりによって、こんなときにルーフィスが――!)

「来ないでルーフィス!」

 そのままこちらに下りてこようとする気配を感じて、私はとっさに鋭く叫んだ。

 慌てて、くるりと背中を向け、両手で自分の身体を抱き締める。

 こんな格好では、逃げようにも逃げられない。

 どうしていいのかわからず立ち竦む私の元に、ルーフィスの足音が近くなる。


(……!)

 そのとき、身を硬くする私の肩に、ふわりと何かが掛けられた。

 それは、ルーフィスが来ていたらしい上着だった。まだ温もりの残る上着の胸元をかき合わせながら、おずおずとルーフィスの方を振り返る。


「ルーフィス……」

「いったいどうしたの? リンカちゃん。こんなにずぶ濡れで……」

 それは、当然の質問だった。

 今の私の姿は、ルーフィスの目から見れば、かなりの謎に違いない。

 強風の日なら、煽られて橋から落ちることはあるかもしれないけれど、今は微風(そよかぜ)すら吹いていないのだ。自ら川に跳び込まない限り、ここまで濡れたりはしないだろう。


「ええと」

 ルーフィスの視線を意識しながら、私は動揺して口ごもった。

 彼はきっと純粋に、私のことが心配でこちらを見ている。それは分かっているし、借りた上着で、透けた下着も今はしっかりと隠れている。

 それでも、手を伸ばせば届く程のこの距離で、冷静でいるのは難しかった。混乱する頭で、何とか言い訳を考える。いくら何でも、惚れ薬を落としたなんて、正直に話すわけにはいかないだろう。


「あ、あの、家の鍵を……落としたんだ。それを拾ったときに、うっかり転んじゃって」

「……」

 まともにルーフィスの顔を見ることができず、私はしどろもどろの嘘をついた。

 けれど緊張する私とは対照的に、ルーフィスの気配は静かなままだ。


「……リンカちゃん、これからジェイの店に行くところだったんだよね?」

「えっ? うん」

「それじゃ僕、図書館に行く前にお店に寄って、事情を話しておくよ。リンカちゃんは、家に戻って着替えて来た方がいい」

(え、図書館?)

 ルーフィスの言葉が気になって、私は尋ねた。


「図書館って……今日は、お休みなんじゃないの?」

「え? ああ、うん、図書館は休館日だよ。でも、ちょっと必要な作業があって、若手が何人か駆り出されたんだ」

「そうか、今日は出勤だったんだね。でもそれなら、お店に寄ったりしたらルーフィスが」

「かまわないよ。僕は」

 仕事に遅れるんじゃないか、と言おうとした私の言葉を、ルーフィスは被せ気味に遮った。


「でも」

「それじゃ、リンカちゃん。その格好でお店まで行くつもりなの?」

 遠慮したまま『うん』と言わない私に、ルーフィスは珍しく、どこか皮肉気にもとれる苦笑を見せた。


「それは……」

 ルーフィスから上着を借りられたお陰で、この格好なら行けないということもない。

 けれど心情としては、あまり選びたい選択肢ではなかった。仕事に少し遅れてしまうのが申し訳なかったけれど、できれば家で着替えて来たい。

 そんな私の表情を読んだのか、ルーフィスは、さらりと言った。


「ほら、嫌でしょう? だから、いいんだよ。……僕も、嫌だから」

(え?)

 私が聞き返すよりも早く、ルーフィスはもう体の向きを変えていた。


「あ、ルーフィス……!」

「大人しく家で着替えてきてね」

 こちらを振り向かずに手だけをひらひら振ると、ルーフィスはそのままスタスタ歩いて行ってしまった。


(……)

 彼の後姿を見送りながら、借りた上着に袖を通す。

 ルーフィスの上着からは、ほんのりと良い香りがした。割と細身に見える彼だけれど、こうして服を借りれば、やっぱり肩幅も、腕の長さも、私にはゆるゆるだ。

 ジェイに借りた時は安心するだけだったのに、ルーフィスから借りた服は、私をとても、そわそわとした気持ちにさせる。


 そして私は、自分とルーフィスの温度差に気づいて、何だか哀しくなってしまった。私がもし、何か物を貸したとしても、ルーフィスはきっと、こんなふうにそわそわなんかしないだろう。

 それに、この格好だって。


(こんな格好で、恥ずかしいと思って意識してるのは私一人で……ルーフィスの態度は、驚くくらい普通だった。本当に、私のこと異性だと思って見てないんだ)

 ぎゅっと自分の体を抱き締める。


 どうすればいいんだろう。

 この気持ちを――私はいったい、どこへ持って行けばいいんだろう?

次話◆ほろ苦い酔い

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