6日目 -5- 闇に触れる
「ルーフィス。私、それは約束できないよ」
はっきりそう断ると、ルーフィスは途惑ったように私を見た。
「どうして? 僕は、自分のせいで君が傷つくなんて、もう絶対に嫌なんだよ」
「それなら私だって、ルーフィスが酷いことを言われてるのに、黙ってるなんて嫌だよ。だって、そうでしょ。好──」
好きな人が、と言いそうになって、私は慌てて口を噤んだ。
「何?」
「う、いえ、あの……ほら! 私のことは、王子様を守る騎士だとでも思ってくれれば」
「……」
軽い気持ちでおどけたのだけれど、私の台詞を聞いたとたん、ルーフィスは、すっと顔を強張らせてしまった。
……どうやら私は、マズイことを言ったらしい。
そういえば、うっかり失念していたが、彼から見た私の第一印象は『ぶっ飛ばすぞコラーッ!!』だった。そんな私が自分を騎士に例えるなんて、いくら冗談とはいえ、痛い奴だと思われたのかもしれない。丸太を抱えて飛んでくる騎士なんて、どこを探したっているはずもないのだ。
私が自称を許されるとしたら、せいぜい用心棒くらいのものだろう。今から訂正して、言い直そうか──いや、でも、自ら用心棒を表明するなんて、私は一体、何を目指しているんだ──そんなことをぐるぐる考えていた時、ルーフィスが、予想外のことを口にした。
「君も、僕のことを王子様なんて言うんだね」
「え」
(そっち?)
ルーフィスの言葉を聞いて、まず思ったのは、それだった。
意外なことに、彼が引っ掛かったのは、私を騎士に例えたことじゃなく、彼を王子に例えたことの方だったらしい。
王子様。
格好良くて素敵な男性に対する、分かりやすい褒め言葉だと思う。
ルーフィスが陰でこっそり呼ばれているのも頷けるし、なんなら私も、そう思うときがある。
なのに目の前のルーフィスは、とても喜んでいるようには見えなかった。どちらかといえば、その逆だ。
憂いを含んだ表情を見て、私は焦った。とにかく何か言い繕おうと、思いつくまま言葉を紡ぐ。
「え、ええと、あの、まあ、ルーフィスって品行方正というか、汚いこととは無縁というか……」
「──」
(あ)
なんだろう。ひやり、と。
急に、夜風の冷たさが気になった。
夜も更けて、気温が下がってきているのがわかる。けれどそれだけではなく、何か、迂闊に変なことを言ってはいけない気配を感じる。
どうやら私は、また言葉選びを間違ってしまったらしい。
どうしてルーフィスが嫌がっているのかは分からなかったけれど、失言を重ねたことだけは空気で分かる。このまま放っておくのは、多分、良くない。
私は考え考え、口を開いた。
「ごめん、ルーフィス。そう言われるの、嫌なんだね」
おそらく下手な嘘をついても、ルーフィスには見抜かれてしまうだろう。だから私は、言葉を選びながらも、自分の本音を口にした。
「あのね、王子様って言ったのは、冗談で言っただけで……ええと、私はルーフィスを、普通の男の人だと思ってるよ」
「──」
私にとってものルーフィスは、キラキラで手の届かない人ではなく、身近にいる温厚で親しみやすい人だ。だから、普通、と言ったのは嘘じゃない。
本当は、頭の出来や容姿については、まったく普通だと思っていなかったけれど、わざわざそんな余計なことは言わなくてもいいだろう。なぜなら目の前のルーフィスは、私の言葉で、明らかにホッとした様子を見せたからだ。
「ありがとう。君にそう言ってもらえると、安心する」
「普通が安心?」
「うん。リンカちゃんの目に、僕はどんなふうに映ってるのかと思って、気になったんだ」
「え? どんなって」
「僕は――周りの人が思うほど、綺麗な人間なんかじゃないから」
(!?)
ルーフィスの口から出た思いがけない言葉に、私は自分の耳を疑った。
綺麗な人間なんかじゃない、というのが、どうしても目の前のルーフィスと結びつかない。
「ル、ルーフィス……実は、陰で誰かを陥れたり……」
「リンカちゃん、ぜんぜんそんなふうに思ってないでしょう」
心にもないことを言ったのが伝わったのか、ルーフィスが、ふっと笑う。
私はあっさり頷いた。
「うん、ごめん。言っておいて何だけど、ルーフィスが、そんなことするとは思えない」
「そうだね。君の言う通り、誰かを陥れたことなんてないし、しようと思ったこともないよ。でも……僕には汚い部分なんてないと思われるのは、困るんだ」
不意にルーフィスは足を止め、体ごと私へと向き直った。
一瞬、私は本能的にびくっとした。
何か考えてそうしたわけじゃない。強いて言うなら、何かを感じて体が勝手に反応をしてしまった。
(嫌だ。私、ルーフィスのこと……怖い?)
それが“男の人”に対する脅えなんだと気がついて、私は自分自身に驚いた。
ルーフィスは私のことを、異性としてなんて見てない。それは十分、身に染みて分かっている。
なのに私は、何を意識してるんだろう。
一瞬でもそんなことを思ってしまったことが恥ずかしくて、私は、自分の思いを慌てて頭から振り払った。
「リンカちゃん」
「えっ!? はい」
混乱する私に、ルーフィスが真剣な視線を差し向ける。
「僕を、信用しすぎないで。いつも、ちゃんと警戒していて。君に信頼されるのは本当に嬉しいけど――」
ルーフィスが、目を伏せる。綺麗な青紫の瞳に影が落ち、私の胸をざわつかせる。
「僕だって、ごく普通の人間なんだ。光と闇の両方を併せ持ってる。綺麗な部分ばかりじゃないんだよ」
(ルーフィス……?)
* * * * *
(ずっと、誰よりも近くでルーフィスのことを見てきたはずなのに……)
その夜、家に戻ってからもずっと、私はルーフィスのことばかりを考えていた。
大人しくて、真面目で、誠実で――私が知っているルーフィスは、子供の頃からずっとそんなルーフィスだ。
けれど彼は、自分にも闇の部分があると言う。
(信用しすぎるなって、何? 綺麗な部分ばかりじゃないって、どういうこと?)
ベッドの上に腰掛けたまま、考えを巡らせる。もう眠らなければいけない時間なのに、頭の整理がつかないからか、まったく眠気も感じない。考えれば考えるほど、思考の沼に嵌り込んでいくようだ。
(……でも、もしかすると)
そこでふと、私はある可能性に気がついた。
ルーフィスはただ単に、変な理想像を押し付けられることに、疲れていただけかもしれない。
いくら温厚な彼だって、人間なんだから、負の感情くらいは持ち合わせているだろう。それなのに、日頃から『王子様』といっては持ち上げられ、私にまで品行方正だの何だのと言われて、止めてくれと思ったのかもしれない。
だけど醜い気持ちなんて、程度の差はあったとしても、誰もが抱えているものだ。それを正直に告げるだけ、ルーフィスは私より、よほど誠実かもしれなかった。
(……そう。本当に)
私は、自分の顔を歪ませた。
なんて皮肉なんだろう。
さっきルーフィスが言っていたことは、すべてが私に当て嵌まる。
信用しすぎないで、って言わなければいけないのは、本当は私の方だ。
ちゃんと警戒していて、って言わなければいけないのも、本当は私の方だ。
私はポケットから、惚れ薬の小瓶を取り出した。
こんなおかしな薬を手に入れて、ルーフィスの隣で何食わぬ顔をしている私の方が、彼よりずっと──。
(!)
そこまで考えて、私はハッと目を瞠った。
小瓶の中の薬が、いつのまにか、また微かな深みを増していたのだ。まるで、私の想いを確かに映し出すように。
(──ルーフィス)
動揺を抑えるように、ぎゅっと、薬の小瓶を握りしめる。
彼の持つ闇が何なのか、私には分からない。それでも私が握りしめるこの闇は、きっと彼のものより深いだろう。
心の中で、彼に向かって呼び掛ける。
(ルーフィス、私を信用しすぎないで。貴方こそが私を、いつも、ちゃんと警戒していて)
じわじわ湧き上がる罪悪感から目を背け、私はベッドへ入り、灯りを落とした。
こんな気持ちのままでは、とても眠れる気がしない。無理に深呼吸を繰り返す。
……それでも何度か寝返りを打つうち、私は眠りの波に飲まれていった。
意識がだんだん、深いところへ沈んでいく。──記憶の中の、あの夜へと。
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