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6日目 -4- ルーフィスの真意

 遠くの方でさわさわと、木々の葉がさやいでいる。

 夜風に騒めくその音を聞きながら、私は落ち着かない気分でルーフィスの隣を歩いていた。

 他愛のない雑談を交わしていても、いつ昨夜の話を切り出されるかと思うと、これっぽっちも気が抜けない。内容もまるで頭に入ってこない。


(……それならいっそ、私から話を振ってみようか)

 私はふと、そんなことを考えた。

 丸一日経ってから切り出すなんて、今さらな上に言い訳がましくなりそうではあったけれど、このまま悶々としているよりはマシだろう。


 落ち着く為に深く息を吸い込めば、夜の空気に溶けだした、花や草木の匂いが心地良い。少しだけ気持ちが落ち着くのを感じ、私はおそるおそる口を開いた。


「ルーフィス、あの……昨夜の話なんだけど」

「うん。どうしたの?」

「あのね。私、ディアナに喧嘩を売ったわけじゃないんだ」

 目の前に続く土の小径に視線を落としたまま、私は言った。我ながら、いきなり何?と言いたくなるような唐突さだ。ルーフィスの顔を見ることができず、口ごもりつつ説明を続ける。


「だから、ええと、ディアナを転ばせたのもわざとじゃなくて……揉めてるうちに、弾みで転んじゃったと言うか……」

「え、うん。知ってるよ」

「知ってる!?」

 私は驚いて、勢いよくルーフィスの顔を見た。急に視線を向けられたルーフィスが、目を丸くしてこっちを見る。


「え、そんなに驚くようなこと?」

「だ、だってルーフィス、もう絶対こんなことするなって」

「えっ? 違うよリンカちゃん。それは……ああ、でも、そうか。僕の言い方が悪かったかな。確かに、そういう意味にも取れるよね」

 そういう意味もこういう意味も、他にどんな意味があるというのか。思わずルーフィスを凝視すると、彼は困ったように首を傾げた。


「昨夜、外へ出たとき、僕を庇う君の声が聞こえたよ。急いで傍まで行ったら、君がディアナの手首を掴んでいて……」

(!)

 思った通りルーフィスは、あの問題の場面から現場を目撃したようだ。それならやっぱり、変に誤解されているんじゃないかという不安が、私の中に湧き上がる。

 そんな思いが顔に出たのか、ルーフィスは私に向かって微笑んだ。


「リンカちゃん。そんな顔をしなくても、僕はちゃんと知ってるよ。君は、自分からは喧嘩を売ったりしない人だって。だから、絡んできたのは、ディアナの方からなんでしょう?」

「ルーフィス……」

「ディアナはたぶん、何か、僕のことを悪く言ったんだ。それで君が僕を庇って、ディアナのことを怒らせた。君が彼女の手首を掴んだのは、きっと、怒って手を上げたディアナを防いだだけだよね。……違う?」

「──」

 私は、すぐには言葉が出なかった。ルーフィスが、あの状況をここまで正しく理解していたなんて、思ってもみなかったのだ。


「じゃあ、ルーフィスが昨日、もうするなって言ったのは……」

「こんなふうに僕を庇ったりするな、っていう意味だよ」

(!)


 ルーフィスの真意を聞いて、私は本当に驚いた。だって別れ際のあれが、まさか私を心配した(ゆえ)の言葉だったなんて、これが驚かずにいられるだろうか。


『もう絶対、こんなことしないでね』

 誤解をしていたのは、彼ではなく、この私の方だった。あれは、もうこんな暴力をふるわないでね、と私を咎めた言葉じゃなかったのだ。


 何だか、急に気が抜けてしまった。自分では意識していなかったけれど、どうやら私は、店を出てからずっと緊張していたらしい。

 ようやくホッとして、ルーフィスに向かって笑い掛ける。


「そうだったんだね。私、てっきりルーフィスが怒ってるのかって思って──」

「いや。怒ってるのとは、ちょっと違うけど」

「え」

 微妙な言い回しに、一瞬で緊張が戻る。だってこの言い方では『怒ってはいないが、怒りに似た感情は持っている』と言ったも同然じゃないだろうか。


「ど、どうして。私、ルーフィスに、何かした?」

 私は動揺しながら、ルーフィスに訊き返した。

 ……いや、変なことなら、つい最近したばかりだけれど。

 それでも彼は、私が虫に驚いて体当たりをした時だって、特に怒ってはいなかったはずだ。他に何かしたかと考えてみたけれど、特に心当たりもない。

 途惑っている私を見ると、ルーフィスは困ったような笑みを浮かべた。


「君は、自覚がないのかな。ねえ、ちゃんとわかってる? 僕の為に君が危ない目にあったのは、昨日が初めてじゃないってこと」

「え……危ない目?」

 何のことだか、ピンとこない。それでも少し考えて、子供のころの話かな、と思い当たった。私が派手な怪我をしたのは、覚えている限りじゃ、あの時くらいだ。


「もしかして、野犬のこと?」

「うん」

 頷いたルーフィスは、何かを思い出すように、痛ましそうに顔を歪めた。


「僕は未だに忘れられないよ。あのとき君は、僕を庇って、野犬に噛まれて血まみれで──それなのに、僕に向かって『大丈夫?』なんて訊いてくるんだ。忘れられるわけが、ないよね」

「……」

 確かに、庇われて一部始終を目撃するハメになった彼からすれば、ダラダラ血を流しながら安否を問うてくる女なんて、さぞや恐ろしかったことだろう。

 なんといっても、彼だって当時は子供だったのだ。野犬と共に、血まみれの私の姿も、衝撃的な記憶として刻み込まれてしまったに違いない。


 そう考えると、ちょっと申し訳ない気分になった。なにせ私本人は、思い出したところで、平然としているのだから。


「え、ええと、ルーフィス。私はこの通りピンピンしてるし、そんなに気にしなくても」

「気にするよ」

 私の意見を、ルーフィスはあっさり撥ねつけた。


「むしろ、どうして君はもっと気にしてくれないんだろうって思ってる。怒ってるのとは違う、って言ったのは、それだよ。自分自身の危険を放り出す君を見ると、もどかしくてたまらなくなるんだ」

「──」

「昨日のことだって、同じだよ。結果として(かわ)せただけで、君は彼女に殴られてたかもしれない。ねえ、どうしてあんなふうに僕を庇ったりするの? 反撃されそうな相手だって分からなかった?」

 ルーフィスは、いつになく強めに畳み掛けてくる。

 一方の私は、彼に、何ひとつ言い返すことができなかった。ルーフィスは普段が温厚なだけに、それに慣れ切っている私は、一旦、攻めに転じられると、どう対応していいか分からなくなってしまうのだ。


「リンカちゃん」

「は、はい」

 ルーフィスが、真っすぐな眼差しを私へと向けてくる。


「君が僕のことを心配してくれる気持ちは、本当に嬉しいよ。でも僕は、君が危ない目に遭うくらいなら、誰に何を言われていたって構わないんだ」

「ルーフィス……」

「だから、ちゃんと約束して欲しい。これからはあんなふうに、僕を庇ったりしないって」


 うっかり頷きたくなるほどに、彼の気配は真剣だった。

 それでも、そんな約束はできないし、したくない。

 だって、もしルーフィスが自分のせいで理不尽なことを言われたら、私はこの先だって、やっぱり黙ってなんかいられないだろう。

次話◆闇に触れる

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