6日目 -3- 一緒に帰ろう
朝のルーフィスとのやり取りのせいで、その日の私は、すっかり元気がなくなってしまった。
ルーフィスに誤解されたままなこと。
ルーフィスがディアナを名前で呼んだこと。
それがずっと私の中で燻り続け、いつまで経っても頭から離れない。
それでも今日は、土の日だ。休日の前だけあって、ジェイのお店は、昼も夜も、大勢のお客さんで混雑する。
私は余計なことを頭から締め出す為に、脇目も振らずに働いた。そして頼まれもしないのに、夜も当たり前の顔で、そのまま仕事を手伝った。
何だか、昨日、今日と連続で、昼も夜も働き続けだ。
けれど、今夜ばかりはこの忙しさが有難かった。無心で体を動かしている間は、おかしな悩みで煩わされることもない。
そうして、客席と厨房を、何度往復したときだっただろう。
「おい」
私は不意に、横からジェイに呼び止められた。
(え?)
何だか分からず、食器を抱えたまま、彼を見上げる。と。
(!?)
ジェイが私の額に手のひらを当ててきたのは、本当に突然のことだった。
「……熱はないな」
「な、ないよ。そんなの」
いったい急に、何なのか。
驚いて問うような視線を向けると、ジェイは、肩を竦めてこう答えた。
「昼から様子が変だったからな。熱でもあるのかと思ったんだよ」
(……そ、そうか)
意味不明に思えた彼の行動だったけれど、なんと、私を心配してくれたせいだったらしい。
何だかくすぐったいような気分がわき上がり、私は、少しだけ頬が熱くなった。身内から気遣われる、この有り難いけれど止めてと言いたくなるような、面映ゆさは何なんだろう。
それでも、今日の自分がおかしかった自覚はあるので、私は素直に謝罪の言葉を口にした。
「ごめん、ちょっと疲れてたのかも。でも熱なんてないし、平気だよ」
「別に、謝ることはねえだろ。平気なら、いい」
ジェイはそう言うと、私の頭にポンと大きな手を乗せた。
「けっこう空いてきたから、おまえ、今日はもういいぞ」
「え、でも」
お客さんは減ったけれど、まだ片付けなんかはあるはずだ。やっぱり手伝うよと言おうとした時、ジェイはなぜか私の頭を連続で叩き出した。
「え、何」
手のひらでポンポンされているだけなので、痛くはないが、なかなか地味に鬱陶しい。なにせ、両手は食器で塞がっているので、払うこともできないのだ。
「ちょ、ちょっとジェイ」
「昼間はともかく、夜はただ手伝ってるだけだろ、おまえは。昨夜だって、ずいぶん働いたんだ。俺がこき使ってるみたいに思われるから、さっさと切り上げろ」
「……」
ジェイは呆れたように言ったけれど、こき使ってるみたいに思われるから、という理由は嘘だろう。この口の悪い従兄弟は、私が頷きやすいように、わざとそんな言い方をしてくれているのだ。
「……ありがとう、ジェイ。それじゃ、今日はもう止めておくね」
ジェイの気遣いを嬉しく思いながら、私はその夜の手伝いを切り上げた。
* * * * *
エプロンを外し、空いて来た店内をぐるりと見回すと、いつの間にか、ルーフィスが一人きりでテーブルについていた。
いや、誤解がないように言えば、ルーフィスが来てくれていたことなら、私はちゃんと知っていた。なにせ、注文を取りに行ったのはこの私だ。
ただ心の平穏を保つために、できるだけ彼を視界に入れないようにしていたので、私は今ようやく、彼の状況に気づいたのだ。職場の同僚と思しき三人連れでいたはずなのに、他の人達はどうしたんだろう。
「ルー……」
話し掛けようと近づいた私は、けれど、俯き加減のルーフィスの顔を見たとたん、そのまま声が萎んでしまった。
何か、嫌なことでもあったんだろうか。
テーブルに視線を落とした彼は、見るからに元気がない。
このまま声を掛けていいものかと迷ったが、すでに近づき過ぎていて、今さら引き返すのは不自然な距離だ。
私はためらいつつも、もう一度、今度はきちんと彼に向かって呼び掛けた。
「ルーフィス」
ルーフィスは、ハッとしたように顔を上げた。
「あ……リンカちゃん」
そう答えたルーフィスの顔は、どこか戸惑い気味だった。どうやら声を掛けるまで、私の存在に気づいていなかったらしい。
「大丈夫? もしかして、具合でも悪い?」
「え、どうして?」
「だって、ルーフィスがそんな風にぼんやりしてるなんて、珍しいから」
こちらを見返したルーフィスは、声を掛ける前よりマシな気はするが、やっぱりどこか元気がない。
そういえば、朝も一瞬こんな感じだったな、と私は急に気になった。あのとき彼はすぐに隠してしまったが、もしかして、こうして話すのも煩わしかったりするんだろうか。
とはいえ、突然『じゃあね!』と切り上げるのも、それはそれで、あまりにおかしい。
迷った挙句、私は結局、そのままルーフィスと話を続けることにした。
「確か、職場の人達と来てたよね。他の人達は?」
「ああ、先に帰ったんだ。でも、僕は君が……」
「君が?」
私が、なんだろう。
先を促すつもりで聞き返したのに、ルーフィスは目を伏せ、
「いや、なんでもない」
と、首を左右に振った。
それから私の顔を見て、気を取り直したような微笑を浮かべる。
「リンカちゃん、今日の手伝いはもういいの?」
「えっ? うん。さっきジェイに、さっさと切り上げろって言われたんだ。だから」
「じゃあ、僕と一緒に帰ろう」
「え」
「それともリンカちゃんは、まだここにいたい?」
……その確認は、いったい何だ。
私は動揺して、何て返していいのか、すっかり分からなくなってしまった。
いや、彼が言ったこと自体は、ごくごく普通の内容だと思う。別に、特別すごいことを言われたわけじゃない。
だから、妙にドキッとしてしまった私の方が、この場合はおかしいんだろう。いつもは暗黙の了解のように一緒に帰るので、改めてこんなふうに言われることに、私は慣れていないのだ。
(ど、どうしたんだろう、ルーフィス。何か、話でもあるのかな)
話──と思ったとたん、私の胸は騒めいた。
(もしかして……昨夜のことを、改めて叱る気なんじゃ……)
別にその話をされると決まったわけでもないのに、私は、ルーフィスからの誘いを断りたくなってきた。
昨夜、もうこんなことをするなとは言われたけど、あれじゃ足りなかったのかもしれない。なにせディアナは、一人では歩けない程の怪我をしていたのだ。
まあ、私からしてみれば、どうして殴り掛かってきた方が怪我をするんだ、と文句のひとつも言いたいところだったが、経緯を知らないルーフィスからしてみれば、私から仕掛けた挙句に怪我をさせた、という認識でいるんだろう。もう一度、ちゃんと注意しておこうと思ったとしても不思議はない。
「ええと」
断りたい。
けれど、隣の家なのに『別々に帰ろう』なんて言えば、どう言い繕ったって、避けているのが丸わかりだ。どんな強い心臓を持った人間なら、そんな台詞が言えるっていうんだろう。
「……そ、それじゃ、一緒に帰ろうか」
結局、ごく普通の心臓しか持ち合わせていなかった私は、曖昧な笑顔で、ルーフィスに向かって頷いたのだった。
次話◆ルーフィスの真意




