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6日目 -1- 爽やかで憂鬱な朝

 朝の冷たい空気が、ワンピースの裾からのぞく足にひやりと触れる。

 如雨露(じょうろ)を片手に水を撒けば、清々しい緑の匂いが立ち昇る。

 ……爽やかな朝だった。けれど、この明るく爽やかな雰囲気とは裏腹に、私の気分は重く冴えない。


(まあ、だけど、落ち着いて考えてみれば、そうだよね。あんなところを目撃したら、私が加害者に見えるよね……)

 淡々と花に水を撒きながら、私は昨夜の出来事をしみじみと思い返した。


 確かに、冷静になった今ならば、ルーフィスが誤解するのも当然だったとよく分かる。

 だって彼は、よりにもよって、私がディアナの手首を掴んで揉めていた真っ最中にやってきたのだ。手首をがっちり拘束する私と、泣きそうになりながら、もがくディアナ。あの場面だけを切り取れば、誰がどう見たって私の方が悪者に見えただろう。


 なのに私は、ルーフィスは自分を信じてくれるものだと、無意識のうちに思い込んでいたらしい。

『もう絶対、こんなことしないでね』

 彼にあの一言を言われた瞬間、私は衝撃のあまり、呆然自失になってしまった。


『ちょっと彼と親しいからって、あんまりいい気にならないでよっ!』

 昨夜ディアナに言われた言葉が、今さら胸に突き刺さる。

 あれは言いがかりでも何でもなく、ディアナが見抜いた真実だった。彼女の言葉通り、私は彼と親しいと思って、すっかりいい気になっていたのだ。


 水の入った如雨露を抱え、私はとほとぼと玄関先に移動した。


(ルーフィスはまだ、誤解したままだよね。あのとき私、呆然としすぎて、弁解もできなかったし……)

 次に彼に会ったとき、どんな顔をすればいいのかわからない。どう説明していいのかもわからない。


 どんよりと落ち込みながら、それでも私は、黙々と水やりの作業を続けた。庭だけじゃなく玄関前にも花があるので、水を撒くだけとはいっても、それなりに大変なのだ。


 石畳の両脇に点在する花達を辿るように、一つ一つ、花の株に水を撒く。渇きかけていた土が色を変え、水を浴びた新芽が、心なしかしゃきりとする。

 道路に面した木戸の傍には、淡いブルーの小花がひっそりと揺れていた。

 いくつもの蕾が出番を待つ中、一輪だけふわりと開いた、咲き初めの花が初々しい。けれど、一昨日買ったワンピースの色と似ているな、なんて思いながら水をかけたとたん、せっかく咲いた花は、纏った雫の重みで、どよんと頭を垂れてしまった。

 俯いて、しょんぼりと項垂れて、これじゃまるで、今の自分の姿のようだ。


「……」

 妙に哀しくなって立ち尽くしていたとき、私はふと、気配を感じて顔を上げた。

 見ると、ちょうど隣の家から、ルーフィスが出て来るところだった。目を逸らすのが遅れてしまい、バチリと、視線がぶつかり合う。


 隣の家なのだから、こうして偶然会うのは、何もおかしなことじゃない。なのに心構えのできていなかった私は、そのまま家の中へと逃げたくなった。逃げても意味がないことは分かっていても、こういうのは理屈じゃないのだ。

 けれど視線が合わなかったならともかく、この状況でいきなり家に戻れば、かなり感じの悪いことになるだろう。


 私は自分の気持ちを抑えつけ、その場に留まり、ルーフィスが近づいてくるのを待った。彼が出勤をする時は、いつも、(うち)の前を通るのだ。


「おはよう、リンカちゃん」

「お、おはよう」

 内心、動揺しきりの私を余所に、ルーフィスの態度は、いつもと何ら変わりがなかった。昨夜のことなんて、何も覚えていないかのような屈託のなさだ。少なくとも、不快には思われてはいないようで安堵する。


 それと同時に、私はハッと気がついた。

 偶然とはいえ、これは昨夜の誤解を解く良い機会じゃないだろうか。

 こういうことは、きっと後になるほど言い出し辛くなるだろう。逃げたいなんて、馬鹿なことを考える前に、どう説明するかを考えれば良かった。

 けれど、とにかく何か言わなければ──と私が口を開こうとした瞬間、先に口を開いたのはルーフィスの方だった。


「そういえば、昨夜は家まで送れなくて、ごめん」

(!)

 口にしかけた言葉を飲み込み、彼から言われたことに意識を向ける。謝る必要のないことで謝られている、と気づいた私は、慌てて彼を遮った。


「えっ、そんな謝らなくていいよルーフィス。いくら伯母さんに頼まれてたって、私を送るのなんて、義務でも何でもないんだから」

 ルーフィスは昨夜も気にしていたけれど、そこまで気にすることはないだろう。こう言ってはなんだが、あの、すっ(とぼ)けた伯母さんのことだ。きっちり細やかな対応をしてもらおうなんて、きっと考えていないに違いない。

 重ねて『気にしなくて大丈夫だよ』と言おうとした時、ルーフィスが、口を開いた。


「うん。でも」

 そこで言葉を切り、ちょっと困ったように私の顔を見る。


「心配なんだ。僕が」

「……」

 私は絶句してしまった。

 いつものことだが、ルーフィスは、自分で解っているんだろうか。

 彼はまるで、口説き文句のようなことを平然と口にしている。これが私とルーフィスの間で交わされたやり取りじゃなければ、確実に誤解するだろう。現に、ルーフィスにそんな意図はないと知っている私でさえ、何だか顔が赤くなりそうだった。

 このまま彼に話させてはマズいと思った私は、急いで自分から喋り出した。

次話◆「ディアナ」

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